名作童話:『よだかの星』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『よだかの星』のあらすじ要約
- 考察:「伝えたかったこととは?」
- 参考文献
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『よだかの星』のあらすじ内容を簡単に短く要約
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:悲しみの行く末
よだか*は、実にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、平たくて、耳までさけています。
他の鳥は、よだかを嫌がり、首を背けたり、真っ向から悪口を言いました。
よだかは鷹の兄弟でも親類でもありません。
飛び方と鳴き声が鷹に似ていたため、”たか”という名がついていました。
鷹は、このことを非常に嫌がっていました。
ある夕方、とうとう、鷹がよだかのうちへやってきて言いました。
「”市蔵“という名に変えてみんなに披露しろ。もし明後日の朝までにそうしなかったら、つかみ殺すぞ」
鷹はそのような無理を言って帰っていきました。
よだかは悩み、思いました。
「(いったい僕は、なぜこうみんなに嫌がられるのだろう。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へ札をかけるなんて、辛い話だなあ)」
もう雲はねずみ色になり、向こうの山には山焼けの火が真っ赤です。
よだかが口を大きく開いて空を横切ると、何匹もの虫がのどの中に入ってきました。
急に胸がどきっとして、よだかは大声をあげて泣き出しました。
「(ああ、たくさんの虫が、毎晩僕に殺される。そして僕が今度は鷹に殺される。ああ、辛い。僕はもう虫を食べないで飢えて死のう。いや、その前に、僕は遠くの空の向こうに行ってしまおう)」
そしてよだかは弟であるカワセミに別れを告げ、翌朝、お日さまに向かって飛んで行きました。
「どうか私を連れてって下さい」
しかし、お日さまからは、昼の鳥ではないのだから星に頼むよう言われます。
夜になり、よだかは空を飛び巡ります。
しかし、西のオリオンにも、南の大犬座にも、北の大熊星にも、東の鷲の星までにも断られてしまいます。
よだかはすっかり力を落とし、羽を閉じ、地に落ちて行きました。
もう一尺で地面につくというとき、よだかは空へ真っ直ぐに飛び上がりました。
それからキシキシキシッと高く高く叫びました。
その声はまるで鷹でした。
寒さに息は凍り、せわしく動かしていた羽はしびれてしまいました。
これがよだかの最後でした。
もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、逆さになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。
しばらく経ってよだかは目を覚まします。
そして自分のからだが青い美しい光になって、静かに燃えているのを見ました。
すぐとなりは、カシオペア座でした。
よだかの星は、今でもまだ燃えています。
(おわり)
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[用語の説明]
*よだか:一般的には『よたか』と呼ばれる全長約29cmのヨタカ目ヨタカ科の鳥であり、鷹とは違う種類に分類される。羽毛は全体的にまだらで、口が大きく、くちばしは幅広い
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作者:宮沢賢治
作者:宮沢賢治(1896~1933年)
現在の岩手県花巻市出身の童話作家、詩人。
本作:『よだかの星』は1934年に発表されています。
教員を経て、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書きました。
その他の代表作には『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』、『やまなし』、『セロ弾きのゴーシュ』など多数。
宮沢賢治は岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。
その頃には短歌を創作し始めました。
(前略)また登山や植物・鉱物の採集に熱中した。
(『学習人物事典』452ページ より)
中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。
在学しながら童話を書き始めます。
その後、盛岡高等農林学校を卒業後は同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行いました。
なお、童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けています。
そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。
今日のこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想がねられたものが多い。
(『学習人物事典』453ページ より)
人物
仏教の信仰
宮沢賢治は仏教を深く信仰していたことでも有名でした。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
また盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。
このころから賢治は日蓮宗を深く信仰するようになり、宗教に身をささげようとして1921(大正10)年に上京、「国柱会」という日蓮宗の会に入って活動した。
(『学習人物事典』453ページ より)
菜食主義者
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
農民文化への関心
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
作風
五感を刺激する世界観
児童文学の研究者:冨田博之さんは、宮沢賢治の作品の世界観を次のように表現しています。
賢治の世界は、五感を刺激するんです。
音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。
(『童話学がわかる』136ページ より)
オノマトペ
劇作家の如月小春さんは、宮沢賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げていました。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
如月さんはこのような宮沢賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
科学からの視点
賢治は詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。
のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、自然を冷静に見つめる科学者の目と、ゆたかな想像力がとけあって、ふしぎな明るさにみちている。
(『学習人物事典』453ページ より)
評価:劇化される童話の豊富さ
さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月小春さんは、自身の経験から、宮沢賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話しています。
童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。
といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。
児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。
(『童話学がわかる』136ページ より)
如月さんはこの理由を、宮沢賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。
それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。
『よだかの星』の考察「伝えたいことは何だったのか?」【作品視点】
以上を踏まえた考察ですが、前提として、本作:『よだかの星』では、安直に一つの答えが提示されているわけではありません。
自分が思うに、本作には、見た人が考えを巡らせるための余白があえて残されていたように思いました。
(本作に限らず宮沢賢治の作品はそのような傾向が強いのかもしれませんが)
そのため、ここからの情報は主に自分の考察に過ぎません。
あくまで一つの参考にして下さいませ。
結論:『『命の尊さ』を伝えたかった』【理由は2つ】
結論からいうと、本作:『よだかの星』には、『『命の尊さ』を、見た人に考えてほしいと願う…作者:宮沢賢治のメッセージが少なからず込められていたように考察』します。
その理由は2つにわけてお伝えさせていただきます。
<1>生き物たちの”命”に焦点があてられていた
まず本作では、『主によだかの視点から、生き物たちの”命”に焦点』が一つあてられていました。
- 鷹に命を脅かされる
- 生きるために虫を食べる(殺す)ことへの葛藤
- 辛くて死んでしまいたいという思い
よって作者が”命”という存在に対し、この作品を通じて何らかのメッセージ性を持たせていたとしても何ら不思議ではありません。
<2>青く美しい光(”尊さ”(価値))
さらにそれが命の”尊さ”であると自分が考えた理由は、本作における結末にあります。
本作では、『最終的によだかの命は尽きてしまったものの、その姿は星となり、青く美しく光り続けているとの描写があります…これはつまり、命には限りない”尊さ”(価値)があることを示唆したメッセージだと自分は考察』しました。
もちろん本作の結末をどう解釈するかは人それぞれですので、自分は”よだかが救われたあらすじだった”と無理強いしたいわけではありません。
人によっては悲しいあらすじだったと解釈する方もいることだろうと思います。
ですが、以上の自分の解釈は、以下1⇒2の順に本作で描かれていた色の変遷にも着目した結果です。
- 赤色…山焼けの火の赤
- 青色…よだか自身の青く美しい光
つまり本作で描かれていた色の変遷をその意味合いとともに考察すると、赤色(苦悩)⇒青色(開放)だったと捉えることもできると自分は考えたということです。
そのため、以上のことが、『本作には、『命の尊さ』を見た人に考えてほしい…もしくは伝えたいとする作者の意図が込められていたと自分が考察』した理由です。
『よだかの星』の考察「伝えたいことは何だったのか?」【作者視点】
最後ここからの考察は、作品そのものというより、作者:宮沢賢治の視点から考えた自分の考察です。
『菜食主義者』の宮沢賢治の葛藤≒よだかの葛藤?
まず作者の人物像でもご紹介させていただいた通り、宮沢賢治は『菜食主義者*』でした。
(前略)また菜食主義者となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
本作では、よだかが生きるためとはいえ、生き物(虫)を食べることに強く葛藤する場面があります。
よだかにとって、生き物(虫)を食べるかどうかということは…言わば死活問題。
ですが、そうはいっても食べなければ生きてはいけません。
とはいえ、よだかが生き物(虫)を食べるということは、同時にその相手の命を奪うことでもあるといえます。
…そしてこのような類の葛藤は、菜食主義者の方が抱く数ある葛藤の一つであると自分は聞いたことがあります。
そのため、作品でよだかが抱えていた葛藤は、菜食主義者の作者:宮沢賢治が生前に感じたことがある葛藤だった可能性もあると自分は考察しました。
そしてもしそうであるなら、宮沢賢治自身がそのような葛藤の過程や結果として、何らかの形で”命の尊さ”を深く考えるに至ったため、その経験を作品を通じて反映(もっと言うなら周知)させたかったのではないか…と自分は考えるに至りました。
もちろんこのことは自分の単なる考察ですし、そもそも菜食主義者の方々の全員がそのような葛藤を抱えているとはいえませんが。
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『『空腹』が主題となっている』by西成彦さん
またこのような葛藤を広い視点で見た場合、そこには”食事”という側面が垣間見えます。
なかでも文学研究者で立命館大学名誉教授の西成彦さんは、本作には、『空腹』という主題があることを次のように考察していました。
「アリとセミ」から「ヘンゼルとグレーテル」を経て、「マッチ売りの少女」や「不思議の国のアリス」まで、さらにはカフカの「変身」や「断食芸人」、宮沢賢治の「注文の多い料理店」や「よだかの星」まで、今日童話と呼ばれるものの多くが「空腹」を主題とすることは決して偶然ではないでしょう。
(『童話学がわかる』159ページ より)
言うまでもなく、空腹の問題は、広くいえば、食事の問題ともいえるはず。
そしてこれも言うまでもなく、『命』に直結する問題でもあります。
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『よだかの星』のあらすじ内容を簡単に短く要約「考察と伝えたいこととは?」まとめ
本作:『よだかの星』は、よだかの悲しみや苦悩が鮮明に描かれていました。
そしてそこで描かれていた偏見やいじめ、食物連鎖などなどは、私たちが生きる世界においてもまったく無関係ではありません。
もちろんあらすじをどう解釈するかは見た人に委ねられているとは思いますし、解釈の方向性を無理に強制することは、作者が望んでいたことではないように思います。
(あくまで個人的な意見ですが)
とはいえ、少なくとも本作を命の尊さや意義を考えるための教材とするのであれば、作者にとって望外の喜びなのではないか…少なくとも自分はそう思いました。