【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『銀河鉄道の夜』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 解説と考察:「伝えたいことは何だったのか?」
- 名言
- 参考文献
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『銀河鉄道の夜』のあらすじ内容を簡単に短く要約
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:星祭りの日の夜に
星祭りの日も、ジョバンニは活版所*で働かなくてはいけませんでした。
お父さんは「ラッコの上着を持ってくる」と言って北の海に漁に出たきり便りがなく、お母さんは病気だったからです。
ジョバンニはお父さんのことで、同級生からよくからかわれていました。
「ラッコの上着が来るよ」
同級生のザネリが叫ぶと、他のみんなも口々にジョバンニのことをからかいます。
でも、カムパネルラだけは、そうしたことをせず、気の毒そうな顔をしていました。
星祭りの夜、同級生たちにからかわれたジョバンニは、たまらず黒い丘の頂上まで逃げ出します。
その冷たい草の上で寝転んだジョバンニは、さびしく星空を眺めていました。
そんなとき、
「銀河ステーション、銀河ステーション」
という不思議な声が、どこからともなく聞こえてきたのです。
気がつくと、ジョバンニは天の川に沿って走る小さな汽車に乗っていました。
そこには、なぜかカムパネルラも乗っています。
2人は銀河の旅へと出かけたのでした。
旅の中で2人は、様々な人に出会いました。
化石を発掘する人、鳥を捕まえてお菓子のように変えてしまう人、青年に連れられた兄弟。
青年は話しました。
「船が氷山にぶつかって沈んだが、救命ボートに乗ることはできなかった。沈没船*に乗っていて、気がついたらここにいた」
すると、近くにいた男は慰めます。
「どんなつらいことでも、正しい道を進む中での出来事なら、一足ずつ本当の幸福に近づくのです」
兄弟の姉は、車窓から見えるサソリの火を見つめながら、2人に話し始めます。
それは、
「たくさんの命を奪ったサソリが、自分が死ぬとき、『本当のみんなの幸せのためにこの体を使って下さい』と神様にお願いした」
という話でした。
サウザンクロス*の停車場に着くと、青年たちをはじめ、たくさんの人が降りていきました。
汽車の中は、にわかにがらんとさびしくなります。
ジョバンニとカムパネルラは、「本当の幸せ」について、話し合いました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」
ジョバンニが言いました。
「僕わからない」
カムパネルラがぼんやり言いました。
ジョバンニは、天の川にあいた真っ暗な穴を見て誓いました。
「僕もうあんな大きな闇の中だってこわくない。きっとみんなの本当のさいわいを探しに行く。どこまでもどこまでも僕たちいっしょに進んで行こう」
「ああ、きっと行くよ。あそこの野原はなんてきれいだろう。あっ、あそこにいるの僕のお母さんだよ」
カムパネルラが、窓の外を指差したので、ジョバンニもそちらを見ました。
でも、ジョバンニが振り返ると、そこにカムパネルラの姿は、もうどこにも見えませんでした。
ジョバンニは泣き出し、あたりが真っ暗になったように感じました。
ジョバンニが目を開くと、そこはもとの黒い丘の上でした。
それからジョバンニは家へ帰る途中で、カムパネルラが行方不明になっていることを知りました。
カムパネルラは、舟から落ちた同級生のザネリを助けようとして、川に飛び込み、行方がわからなくなっていたのです。
町の人たちは、その行方を捜しているところでした。
ジョバンニは、カムパネルラはもうあの銀河の外れにしかいないような気がしました。
ジョバンニは、河原にいたカムパネルラのお父さんに、「彼といっしょだった」と言おうとしましたが、何も言えませんでした。
するとカムパネルラのお父さんはそんなジョバンニに、「あなたのお父さんから元気であるとの便りがあった」と告げました。
ジョバンニは胸がいっぱいになり、一目散にお母さんの待つ家へと走っていきました。
(おわり)
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[用語の説明]
*活版所:字型を組んだ版で印刷をする活版印刷をするところ
*沈没船:本作内でこの船は、「氷山にぶつかって沈んだ」と説明されているため、1912年に沈没した豪華客船:タイタニック号がモデルだとされている
*サウザンクロス:南十字星のこと
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作者:宮沢賢治
作者:宮沢賢治(1896~1933年)
現在の岩手県花巻市出身の童話作家であり詩人。
教員を経た後、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書き続けました。
本作:『銀河鉄道の夜』は1934年に発表されています。
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岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。
その頃には短歌を創作し始めています。
(前略)また登山や植物・鉱物の採集に熱中した。
(『学習人物事典』452ページ より)
中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。
在学しながら童話を書き始めました。
その後、盛岡高等農林学校を卒業後は、同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行います。
童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けていました。
そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。
今日のこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想がねられたものが多い。
(『学習人物事典』453ページ より)
作品
その他の代表作の一部
生前に刊行されたのは2作品のみだった
宮沢 賢治は数多くの作品を世に送り出していますが、彼の生前に刊行された作品は2作品のみでした。
三十七歳で亡くなるまでに、「グスコーブドリの伝記」、「セロひきのゴーシュ」など、数多くの作品を残した。
しかし生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と、「イーハトヴ童話」の副題がついた童話集『注文の多い料理店』という、二作品のみだった。
なお「イーハトヴ」とは賢治の造語で、岩手県のこと。
有名な詩「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、手帳から発見された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
生前はほとんど無名だったが、死後、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』など、イーハトーヴ(国際共通語として提唱されたエスペラント語的な岩手の表記)童話と呼ばれる一連の作品が高く評価されるようになった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
人物
推敲の徹底
また宮沢 賢治は自身の作品を徹底して推敲*することでも知られていました。
*推敲:自分で書いた文章を読み返し、練り直すこと
徹底的に推敲を重ねることでも知られ、代表作の一つである「銀河鉄道の夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
宮沢賢治の代表的な童話作品。
繰り返し書き直され、生前は未発表に終わった。
(『倫理用語集』176ページ 『銀河鉄道の夜』 より)
仏教の信仰
さらに仏教を深く信仰していたことでも有名です。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
なお、盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。
このころから賢治は日蓮宗を深く信仰するようになり、宗教に身をささげようとして1921(大正10)年に上京、「国柱会」という日蓮宗の会に入って活動した。
(『学習人物事典』453ページ より)
菜食主義者
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
農民文化への関心
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
農民芸術の提唱
その後、教職を辞して自ら農耕に従事し、農業と宗教・芸術の融合をめざす農民芸術を提唱(後略)
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
作風
五感を刺激する世界観
児童文学の研究者:冨田 博之さんは、宮沢 賢治の作品の世界観を次のように表現なされています。
賢治の世界は、五感を刺激するんです。
音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。
(『童話学がわかる』136ページ より)
オノマトペ
劇作家の如月小春さんは、宮沢 賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げられています。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
【『風の又三郎』で伝えたかったことを考察】あらすじ内容を簡単に要約【「どっどど」の意味の解説も】
如月さんはこのような宮沢 賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
科学からの視点
賢治は詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。
のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、自然を冷静に見つめる科学者の目と、ゆたかな想像力がとけあって、ふしぎな明るさにみちている。
(『学習人物事典』453ページ より)
独特な世界
自然と交感する感受性と、『法華経』の思想を軸とした、独特な作品の世界をつくりあげた。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
名言
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、宮沢 賢治が理想としていた幸福論を表す言葉です。
宮沢賢治が、羅須地人協会の理念として1926(昭和元)年に記した『農民芸術概論綱要』の中の言葉。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
この言葉は、個人の幸福が世界の幸福に包含されていることを意味しています。
宮沢賢治は、個人と社会を対立的なものとしてとらえる考え方を否定し、個人だけの幸福というものはありえず、世界の幸福が同時にその中の個々の幸福でもあるような世界を夢みた。
その実践が、農業が単なる生活のための手段となっている現状を批判し、労働と宗教・芸術の一体化をめざした農民芸術であった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
評価
劇化される童話の豊富さ
さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月小春さんは、自身の経験から、宮沢 賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話して下さっています。
童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。
といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。
児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。
(『童話学がわかる』136ページ より)
如月さんはこの理由を、宮沢 賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。
それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。
「『銀河鉄道の夜』が伝えたいことは何だったのか?」【解説と考察】
では、「本作:『銀河鉄道の夜』が伝えたいことは何だったのでしょうか?」
参考文献を元に、考察しました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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2つの前提
まず本作を考察するうえでは、2つの前提について触れておく必要があります。
[前提1]作者が他作でも展開した様々なテーマが凝縮した作品
その一つ目の前提は、本作には作者:宮沢賢治がその他の作品で展開した様々なテーマが凝縮されているということです。
現実と夢、生と死、自己犠牲、真の宗教の追求など、宮沢賢治が様々な作品の中で展開したテーマが凝縮されている。
(『倫理用語集』176ページ 銀河鉄道の夜 より)
[前提2]作者の妹:トシの存在が影響した作品
そして二つ目の前提が、本作の執筆には、作者の妹:トシの存在が、大きな影響を与えたとされていることです。
徹底的に推敲を重ねることでも知られ、代表作の一つである「銀河鉄道の夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。
また、この作品には、賢治と仲の良かった妹のトシが若くして亡くなったことが、大きな影響を与えたと考えられている。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
結論:『誰かの幸せを願い、尽くすことの貴さ』
そして以上を前提としたうえで、本作が伝えたかったことは、『誰かの幸せを願い、尽くすことの貴さ*』であったと自分は考察しました。
*貴さ:極めて価値が高いこと
その理由は、まず本作には”幸福”や”さいわい”といった類義語を含め、”幸せ”という単語が複数登場します。
さらに汽車に乗った人たちがその幸せについての見解を口々にし、ジョバンニとカムパネルラも幸せ(=さいわい)を探しに行くことを誓った場面がありました。
よって本作には、”幸せ”という大きなテーマがあったと考えられます。
続いて、誰かのために尽くすことの貴さについては、作中でのカムパネルラの自己犠牲から垣間見えます。
このことについてはさきほどお伝えした一つ目の前提でいうと、『グスコーブドリの伝記』にも、明確に自己犠牲が描かれていました。
【『グスコーブドリの伝記』が伝えたいことの解説と考察と解釈】あらすじ内容も簡単に【宮沢賢治】
また作者の妹:トシへの直接的な思いが描かれた詩:『永訣の朝』にも、作者を思いやるトシの姿が描かれています。
なお、トシの存在という意味では、さきほどの二つ目の前提とも通じていることです。
【『永訣の朝』を解説】わかりやすく簡単に伝えたかったことを解説【現代語訳風】
さらにこの誰かのために尽くす自己犠牲を”命”というテーマにも通じていると見るならば、『よだかの星』にも生き物の命が描かれていました。
『よだかの星』のあらすじ内容を簡単に短く要約【考察】「伝えたいことは何だったのか?」
以上のことは、作者の”理想”の幸せが描かれていたのかもしれません。
その意味では、作者の”理想”の自分が表現されていた考察でき得る『雨ニモマケズ』にも、本作と通ずるテーマがあるともいえそうです。
「『雨ニモマケズ』で言いたいこととは?」全文ふりがな付きでわかりやすく内容の意味を考察&解説
以上すべてのことが、本作が伝えたかったことが、『誰かの幸せを願い、尽くすことの貴さ』であったと自分が考察した理由です。
『銀河鉄道の夜』の名言
最後は本作:『銀河鉄道の夜』に登場した名言です。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」
作中でジョバンニが口にしたセリフです。
「本当の幸せとは何か?」という問いを、本作を見た人に語りかけてくるセリフでもあったように思います。
【『銀河鉄道の夜』が伝えたいことの解説と考察】あらすじ内容を簡単に短く要約【名言】まとめ
本作:『銀河鉄道の夜』には、銀河の旅の通じて「本当の幸せとは何か?」と向き合うことになる少年の姿が描かれていました。