「『オツベルと象』が伝えたいことは何だったのか?」考察と解説と解釈【怖いあらすじ内容も簡単に】

象と大空と

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名作 【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】

名作:『オツベルと象』をご紹介させていただきました。

あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。

一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 全文ふりがな付きのあらすじ要約
  2. 作者紹介
  3. 考察と解説と解釈:「伝えたいことは何だったのか?」
  4. 学校教育にまつわる情報
  5. 参考文献

タッチ⇒移動する目次

『オツベルと象』の怖いあらすじ内容を簡単に要約

まずはあらすじと作者紹介です。

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物語:純粋であるが故

象

……あるうしいがものがたる

第一日曜

オツベルときたら、たいしたもんだ。

いねこきかい六台ろくだいえつけて、のんのんのんのんのんのんと、おおそろしないおと*をたててやっている。

じゅう六人ろくにん百姓ひゃくしょうどもが、かおをまるっきりにして、あしんでかいをまわし、やまのようにまれたいねかたっぱしからこいていく。

わらはどんどんうしろのほうげられて、またあたらしいやまになる。

そこらは、もみやわらからたったこまかなちりで、へんにぼうっといろになり、まるでばくけむりのようだ。

その薄暗うすくらごとを、オツベルはほそくしてをつけながら、りょうなかわせて、ぶらぶらったりたりする。

小屋こやはずいぶんがんじょうで、学校がっこうぐらいもあるのだが、なに新式稲しんしきいねこきかいが、六台ろくだいそろってまわってるから、のんのんのんのんふるう*のだ。

なかはいるとそのために、すっかりはらくほどだ。

そして実際じっさいオツベルは、そいつでじょうはららし、昼飯時ひるめしどきには、六寸ろくすん*ぐらいのビフテキだの、雑巾ぞうきんほどあるオムレツの、ほくほくしたのをべるのだ。

とにかく、そうして、のんのんのんのん、やっていた。

 

そしたらそこへどういうわけか、その、白象はくぞうがやってた。

しろぞうだぜ、ペンキをったのでないぜ。

どういうわけでたかって?

そいつはぞうのことだから、ぶんぶらっともりて、ただなんとなくたのだろう。

そのときオツベルは、ならんだかいうしろのほうで、ポケットにれながら、ちらっとするどぞうた。

それからすばやくしたき、なんでもないというふうで、いままでどおったりたりしていたもんだ。

 

するとこん白象はくぞうが、かたあしゆかにあげたのだ。

オツベルはおく薄暗うすくらいところで、りょうをポケットからして、もいちちらっと、ぞうた。

それからいかにも退屈たいくつそうに、わざとおおきなあくびをして、りょうあたまうしろにんで、ったりたりやっていた。

ところがぞうせいよく、まえあしふたつつきだして、小屋こやにあがってようとする。

それでもやっぱりらないふうで、ゆっくりそこらをあるいていた。

そしたらとうとう、ぞうがのこのこあがってた。

そしてかいまえのとこを、のんきにあるはじめたのだ。

 

ところがなにせ、かいはひどくまわっていて、もみは夕立ゆうだちかあられのように、パチパチぞうにあたるのだ。

ぞうはいかにもうるさいらしく、ちいさなそのほそめていたが、またよくると、たしかにすこわらっていた。

 

オツベルはやっとかくめて、いねこきかいまえて、ぞうはなしをしようとしたが、そのときぞうが、とてもきれいな、うぐいすみたいないいこえで、こんなもんったのだ。

「ああ、だめだ。あんまりせわしく、すながわたしのにあたる」

まったくもみは、パチパチパチパチにあたり、またしろあたまくびにぶっつかる。

さあ、オツベルはいのちけだ。

きょうえてこうった。

「どうだい、ここは面白おもしろいかい」

面白おもしろいねえ」ぞうがからだをななめにして、ほそくしてへんした。

「ずうっとこっちにいたらどうだい」

百姓ひゃくしょうどもははっとして、いきをころしてぞうた。

オツベルはってしまってから、にわかにがたがたふるす。

ところがぞうはけろりとして、

「いてもいいよ」

こたえたもんだ。

「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか」

オツベルがかおをくしゃくしゃにして、になってよろこびながらそうった。

 

どうだ、そうしてこのぞうは、もうオツベルの財産ざいさんだ。

いまたまえ、オツベルは、あの白象はくぞうを、はたらかせるか、サーカスだんばすか、どっちにしても万円まんえんじょう、もうけるぜ。

 

第二日曜

オツベルときたら、たいしたもんだ。

それにこの前稲まえいねこき小屋ごやで、うまくぶんのものにした、ぞう実際大じっさいたいしたもんだ。

ちからじゅうりきもある。

第一だいいちかけがしろで、きばはぜんたい、きれいなぞうでできている。

かわもぜんたい、りっじょうぞうなのだ。

そしてずいぶんはたらくもんだ。

けれどもそんなにかせぐのも、やっぱり主人しゅじんえらいのだ。

 

「おい、おまえけいはいらないか」まるてたそのぞう小屋ごやまえて、オツベルはかおをしかめてこういた。

「ぼくはけいはいらないよ」ぞうわらってへんした。

「まあってみろ、いいもんだ」こういながらオツベルは、ブリキでこさえたおおきなけいを、ぞうくびからぶらさげた。

「なかなかいいね」ぞうう。

くさりもなくちゃだめだろう」オツベルときたら、ひゃっキロもあるくさりをさ、そのまえあしにくっつけた。

「うん、なかなかくさりはいいね」あしあるいてぞうう。

くつをはいたらどうだろう」

「ぼくは、くつなどはかないよ」

「まあはいてみろ、いいもんだ」オツベルはかおをしかめながら、あかはりおおきなくつを、ぞううしろのかかとにはめた。

「なかなかいいね」ぞうう。

くつかざりをつけなくちゃ」オツベルはもう大急おおいそぎで、よんひゃっキロある分銅ふんどうを、くつうえからはめんだ。

「うん、なかなかいいね」ぞうふたあしあるいてみて、さもうれしそうにそうった。

 

つぎ、ブリキのおおきなけいと、かみくつとはやぶけ、ぞうくさり分銅ふんどうだけで、おおよろこびであるいておった。

「すまないが税金ぜいきんたかいから、今日きょうはすこうし、かわからみずをくんでくれ」

オツベルはりょううしろでんで、かおをしかめてぞうう。

「ああ、ぼくみずをくんでこよう。もう何杯なんばいでもくんでやるよ」

ぞうほそくしてよろこんで、そのひるぎにじゅうだけ、かわからみずをくんできた。

そしてはたけにかけた。

 

夕方ゆうがたぞう小屋こやにいて、じゅっぱのわらべながら、西にしみっつきて、

「ああ、かせぐのはかいだねえ、さっぱりするねえ」

っていた。

 

「すまないが税金ぜいきんがまたがる。今日きょうはすこうしもりから、たきぎをはこんでくれ」

オツベルは、ふさのついたあかぼうをかぶり、りょうをかくし*につっこんで、つぎぞうにそうった。

「ああ、ぼくたきぎをってこよう。いいてんだねえ。ぼくはぜんたい、もりくのはだいきなんだ」

ぞうわらってこうった。

そのひるぎの半日はんにちに、ぞう九百きゅうひゃっぱたきぎをはこび、ほそくしてよろこんだ。

 

晩方ばんがたぞう小屋こやにいて、はちわのわらべながら、西にしよっつきて、

「ああ、せいせいした。サンタマリア」

と、こうひとりごとしたそうだ。

 

そのつぎだ。

「すまないが、税金ぜいきんばいになった、今日きょうはすこうし鍛冶場かじばって、すみいてくれないか」

「ああ、いてやろう。ほんでやったら、ぼく、もう、いきで、いしばせるよ」

ぞうは、のそのそ鍛冶場かじばって、べたんとあしってすわり、ふいごのわりに半日炭はんにちすみいたのだ。

 

そのばんぞうぞう小屋ごやで、ななわのわらべながら、そらいつつきて、

「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」

と、こうった。

 

どうだ、そうしてつぎから、ぞうあさからかせぐのだ。

わら昨日きのうはただわだ。

よくまあ、わのわらなどで、あんなちからるもんだ。

 

実際じっさいぞう経済けいざい*だよ。

それというのもオツベルが、あたまくてえらいためだ。

オツベルときたら、たいしたもんさ。

第五日曜

 

オツベルかね、そのオツベルは、おれもおうとしてたんだが、いなくなったよ。

 

まあ、いてきたまえ。

まえはなしたあのぞうを、オツベルはすこしひどくしぎた。

しかたがだんだんひどくなったから、ぞうがなかなかわらわなくなった。

ときにはあかりゅうをして、じっとこんなにオツベルを見下みおろすようになってきた。

 

あるばんぞうぞう小屋ごやで、さんばのわらべながら、とおつきあおて、

くるしいです。サンタマリア」

ったということだ。

 

こいつをいたオツベルは、ことごと、ぞうにつらくした。

あるばんぞうぞう小屋ごやで、ふらふらたおれてべたにすわり、わらべずに、じゅう一日いちにちつきて、

「もう、さようなら、サンタマリア」

と、こうった。

 

「おや、なんだって?さよならだ?」

つきがにわかにぞうく。

「ええ、さよならです。サンタマリア」

なんだい、なりばかりおおきくて、からっきし意気地いくじのないやつだなあ。なかがみいたらいいや」

つきわらってこうった。

「おふでかみもありませんよう」

ぞうは、ほそうい、きれいなこえで、しくしくしくしくした。

 

「それ、これでしょう」

 

すぐまえで、わいどもこえがした。

ぞうあたまげてると、あかものどうって、すずり*とかみをささげていた。

ぞうはさっそくがみいた。

「ぼくはずいぶん、めにあっている*。みんなでてきてたすけてくれ」

どうはすぐにがみって、はやしほうあるいてった。

せきどうが、そうしてやまいたのは、ちょうど昼飯頃ひるめしごろだった。

 

このときやまぞうどもは、沙羅さらじゅ*のしたくらがりで、などをやっていたのだが、ひたいあつめてこれをた。

「ぼくはずいぶん、めにあっている。みんなでてきてたすけてくれ」

ぞう一斉いっせいがり、くろになってした。

「オツベルをやっつけよう」

ちょうぞうたかさけぶと、

「おう、出掛でかけよう。グララアガア、グララアガア」

みんながいちおうする。

さあ、もうみんな、あらしのようにはやしなかをなきぬけて、グララアガア、グララアガア、はらほうんでく。

ちいさななどはこぎになり、やぶなにかもめちゃめちゃだ。

グワア グワア グワア グワア、はなみたいにはらなかした。

それから、なんの、はしって、はしって、とうとうこうのあおくかすんだはらてに、オツベルのしきいろ屋根やねつけると、ぞういちふんした。

グララアガア、グララアガア。

 

そのときはちょうどいちはん、オツベルはかわ寝台しんだいうえひるのさかりで、からすのゆめていたもんだ。

あまりおおきなおとなので、オツベルのうちの百姓ひゃくしょうどもが、もんからすこそとて、小手こてをかざしてこうをた。

はやしのようなぞうだろう。しゃよりはやくやってくる。

ところがオツベルは、やっぱりえらい。

をぱっちりとひらいたときは、もうなにもかもわかっていた。

「おい、ぞうのやつは小屋こやにいるのか。よし、めろ。はやぞう小屋ごやめるんだ。ようし、はやまるってい。めちまえ、ちくしょうめ、じたばたしやがるな、まるをそこへしばけろ。さあ、だいじょうだ。だいじょうだとも。あわてるなったら。おい、みんな、こんもんだ。もんめろ。おい、みんな心配しんぱいするなったら。しっかりしろよ」

オツベルはもうたくができて、ラッパみたいないいこえで、百姓ひゃくしょうどもをはげました。

オツベルはいよいよやっとなって、そこらあたりをまわる。

 

もなくめんはぐらぐらとられ、そこらはばしゃばしゃくらくなり、ぞうしきいた。

グララアガア、グララアガア、そのおそろしいさわぎのなかから、

今助いまたすけるから安心あんしんしろよ」

やさしいこえこえてくる。

「ありがとう。よくてくれて、ほんとにぼくはうれしいよ」

ぞう小屋ごやからもこえがする。

さあ、そうすると、まわりのぞうは、一層いっそうひどく、グララアガア、グララアガア、へいのまわりをぐるぐるはしっているらしく、度々中たびたびなかから、おこってまわはなえる。

けれどもへいはセメント*で、なかにはてつはいっているから、なかなかぞうこわせない。

へいなかにはオツベルが、たった一人ひとりさけんでいる。

そのうちそとぞうどもは、なかのからだをだいにして、いよいよへいしかかる。

だんだん、にゅうとかおす。

 

さあ、オツベルはした。六連発ろくれんぱつのピストルさ。

ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ドーン、グララアガア、ところが弾丸たまとおらない。

きばにあたればかえる。

 

一匹いっぴきなぞはこうった。

「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱちかおへあたるんだ」

オツベルはいつかどこかで、こんなもんいたようだとおもいながら、ケースをおびからつめかえた。

 

そのうち、ぞうかたあしが、へいからこっちへはみした。それから、もひとつはみした。

ひきぞうがいっぺんに、へいからどっとちてた。

 

オツベルはケースをにぎったまま、もうくしゃくしゃにつぶれていた。

 

はやくももんいていて、グララアガア、グララアガア、ぞうがどしどしなだれむ。

ろうはどこだ」

みんなは小屋こやせる。

まるなんぞは、マッチのようにへしられ、あの白象はくぞう大変たいへんせて小屋こやた。

「まあ、よかったね、せたねえ」

みんなはしずかにそばにより、くさりどうはずしてやった。

 

「ああ、ありがとう。ほんとにぼくはたすかったよ」

白象はくぞうは、さびしくわらってそうった。

 

おや、□*、かわはいっちゃいけないったら。

 

(おわり)

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よう説明せつめい

おおそろしないおと大変大たいへんおおきなおと

*ふるう:ふるえる

六寸ろくすんやく18cセンチmメートルながさのこと

*かくし:ポケットのこと

経済けいざい経済的けいざいてき

すずりいしなどでつくった、すみをするための文房ぶんぼうのこと

*めにあっている:ひどいめにあっている

沙羅さらじゅ:インドにえる常緑じょうりょく高木こうぼく

*セメント:建築けんちく木工ぼくこうなどで使つかわれるふんじょう物質ぶっしつのこと

*□:本作ほんさくかたであるうしいが、だれかにびかけたことだとされている

*原文、一字不明。語り手のうしいが、だれかに呼びかけたことばと思われる。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』181ページ オツベルとぞう より)

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作者:宮沢賢治

宮沢賢治

作者:宮沢みやざわけん(1896~1933年)

現在の岩手県花巻市出身の童話作家であり詩人。

教員を経た後、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書き続けました。

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岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。

その頃には短歌を創作し始めています。

(前略)また登山や植物・鉱物こうぶつさいしゅうねっちゅうした。

(『学習人物事典』452ページ より)

中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。

在学しながら童話を書き始めました。

その後、盛岡高等農林学校を卒業後は、同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行います。

童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けていました。

そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。

今日こんにちのこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想こうそうがねられたものが多い。

(『学習人物事典』453ページ より)

作品

その他の代表作の一部

>>注文の多い料理店

>>銀河鉄道の夜

>>雨ニモマケズ

>>よだかの星

>>やまなし

>>グスコーブドリの伝記

>>セロ弾きのゴーシュ

>>風の又三郎

>>なめとこ山の熊

>>永訣えいけつの朝

生前に刊行されたのは2作品のみだった

宮沢 賢治は数多くの作品を世に送り出していますが、彼の生前に刊行された作品は2作品のみでした。

三十七歳で亡くなるまでに、「グスコーブドリの伝記」、「セロひきのゴーシュ」など、数多くの作品を残した。

しかし生前に刊行されたのは、詩集『はるしゅ』と、「イーハトヴ童話」の副題がついた童話集『注文の多い料理店』という、二作品のみだった。

なお「イーハトヴ」とは賢治の造語で、岩手県のこと。

有名な詩「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、手帳から発見された。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)

生前はほとんど無名だったが、死後、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』など、イーハトーヴ(国際共通語として提唱されたエスペラント語的な岩手の表記)童話と呼ばれる一連の作品が高く評価されるようになった。

(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)

人物

推敲の徹底

また宮沢 賢治は自身の作品を徹底して推敲すいこう*することでも知られていました。

*推敲:自分で書いた文章を読み返し、練り直すこと

徹底的に推敲すいこうを重ねることでも知られ、代表作の一つである「ぎん鉄道てつどうの夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)

宮沢賢治の代表的な童話作品。

繰り返し書き直され、生前は未発表に終わった。

(『倫理用語集』176ページ 『銀河鉄道の夜』 より)

仏教の信仰

さらに仏教を深く信仰していたことでも有名です。

両親とも熱心ねっしんぶっきょう信者しんじゃで、けんもおさないとき、両親のとなえるおきょうをそらでおぼえたりした。(中略)

上級に進んでからは仏教の本、とくに法華ほけきょう*を読むようになった。

(『学習人物事典』452ページ より)

*法華経:正式名称は『みょうほうれんきょう』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている

なお、盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。

このころからけん日蓮にちれんしゅうを深く信仰しんこうするようになり、しゅうきょうに身をささげようとして1921(たいしょう10)年に上京、「こくちゅうかい」という日蓮宗の会に入って活動した。

(『学習人物事典』453ページ より)

菜食主義者

(前略)またさいしょくしゅしゃ*となった。

(『学習人物事典』452、453ページ より)

*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと

農民文化への関心

1924(たいしょう13)年、詩集『春としゅ』、童話集『注文の多いりょうてん』を自費じひしゅっぱんした賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のうみんのためりょう設計せっけい相談そうだんや、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。

羅須らすじんきょうかい」をつくって、農村青年のための農業化学やげいじゅつこうをしたりした。

(『学習人物事典』453ページ より)

農民芸術の提唱

その後、教職を辞して自ら農耕に従事し、農業と宗教・芸術の融合をめざす農民芸術を提唱(後略)

(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)

作風

五感を刺激する世界観

児童文学の研究者:冨田 博之さんは、宮沢 賢治の作品の世界観を次のように表現なされています。

賢治の世界は、五感を刺激するんです。

音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。

(『童話学がわかる』136ページ より)

オノマトペ

劇作家の如月きさらぎばるさんは、宮沢 賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げられています。

(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。

(『童話学がわかる』138ページ より)

*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの

『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、

「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」

というオノマトペで表現されている。

また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、

「カンカンカンカエコカンコカンコカン」

と表現されている。

『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。

「どっどど どどうど どどうどどどう」

(『童話学がわかる』138ページ より)

本と青空と 【『風の又三郎』で伝えたかったことを考察】あらすじ内容を簡単に要約【「どっどど」の意味の解説も】

如月さんはこのような宮沢 賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。

童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。

それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。

(『童話学がわかる』139ページ より)

科学からの視点

けんは詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。

のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、ぜん冷静れいせいに見つめる科学者の目と、ゆたかな想像そうぞうりょくがとけあって、ふしぎな明るさにみちている。

(『学習人物事典』453ページ より)

独特な世界

自然と交感する感受性と、『法華ほけきょう』の思想を軸とした、独特な作品の世界をつくりあげた。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)

名言

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、宮沢 賢治が理想としていた幸福論を表す言葉です。

宮沢賢治が、羅須地人協会の理念として1926(昭和元)年に記した『農民芸術概論綱要』の中の言葉。

(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)

この言葉は、個人の幸福が世界の幸福に包含されていることを意味しています。

宮沢賢治は、個人と社会を対立的なものとしてとらえる考え方を否定し、個人だけの幸福というものはありえず、世界の幸福が同時にその中の個々の幸福でもあるような世界を夢みた。

その実践が、農業が単なる生活のための手段となっている現状を批判し、労働と宗教・芸術の一体化をめざした農民芸術であった。

(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)

評価

劇化される童話の豊富さ

さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月きさらぎばるさんは、自身の経験から、宮沢 賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話して下さっています。

童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。

といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。

児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。

(『童話学がわかる』136ページ より)

如月さんはこの理由を、宮沢 賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。

それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。

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「『オツベルと象』が伝えたいことは何だったのか?」【考察と解説と解釈】

では、「本作:『オツベルと象』が伝えたいことは何だったのでしょう?」

参考文献を元に、3つのことを考察しました。

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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。

間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。

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<1>『搾取への反対』

まず一つ目は『搾取さくしゅへの反対』です。

前提として、”搾取”という言葉の意味は次の通りとなります。

生産手段が私有化されている社会において、支配階級(生産手段の所有者)が被支配階級による労働の成果をわがものにしてしまうこと。

(『倫理用語集』237ページ 搾取 より)

「わかりづらい…」と思った方もいるかもしれませんが、以下の画像が搾取の一例です。

搾取

本作では純粋な心を持つ白象が、オツベルに搾取されていく様子がえがかれていました。

白象への仕事の負担が増えるにつれ、藁の量が減っていく描写などがそうです。

よって自分はこの『搾取への反対』が、本作が伝えたかったことの一つだと考察しました。

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<2>『資本主義社会への反対』

またもっと広い視点で見れば、本作は『資本主義社会への反対』を伝えたかったのかもしれない…と考察することもできます。

さきほど搾取の意味をご紹介させていただきましたが、あれには以下の続きがあります。

生産手段が私有化されている社会において、支配階級(生産手段の所有者)が被支配階級による労働の成果をわがものにしてしまうこと。

資本主義社会においては、資本家が、賃金として支払った分をこえて労働者を働かせ、その超過分の成果を利潤として確保することをいう。

(『倫理用語集』237ページ 搾取 より)

上記の資本主義社会を絡めた解説は、白象とオツベルが生きる世界観にも通じていることだと自分は考えました。

以上が二つ目の考察です。

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<3>『種差別への反対』

そして最後三つ目は、『種差別への反対』です。

つまり本作では、人間と動物を差別することへの反対意見が描かれていたということです。

なお、この『種差別への反対』については、オーストラリアの倫理学者:ピーター・シンガーの存在が有名です。

狭い工場内で飼育され、ただ太るために生きる肉用鶏や、機械のように妊娠・分娩・子の剝奪はくだつが繰り返される工場畜産の惨状を知り、しゅ差別 speciesism①(人類は動物より優越的立場にあるから、動物の生命や尊厳を無視して、差別や搾取さくしゅを繰り返してもよいとする態度)に反対して、ベジタリアンに転向した。

(『倫理用語集』304ページ ピーター=シンガー より)

本作では動物である白象が、人間のオツベルに苦しめられる様子が描かれていたとも見ることができます。

よってそのあらすじからは、

どの種も平等であるべき

動物の命を軽く見ることへの警告

といったメッセージが込められていたと自分は考えました。

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ちなみにこの『種差別への反対』が垣間見える作者の他作には、『注文の多い料理店』や『なめとこ山の熊』などがあります。

ラスボス 【『注文の多い料理店』が伝えたいことを考察】怖いあらすじ内容を短く簡単に【顔が戻らない理由】

クマのアップ 「『なめとこ山の熊』で作者が伝えたいことは何か?」解説と考察と解釈【あらすじも簡単に要約】

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ベジタリアンへの転向

またさきほどご紹介させていただいた倫理学者:ピーター・シンガーは、この『種差別への反対』の結果、『ベジタリアン』へと転向するまでになったといいます。

お気づきの方もいるかもしれませんが、本作の作者:宮沢みやざわけんも『ベジタリアン』でした。

(前略)またさいしょくしゅしゃ*となった。

(『学習人物事典』452、453ページ より)

*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと

もちろんこれらの理由は、宮沢 賢治が本作で『種差別への反対』を伝えたかったと決定づけられるものではありません。

少なくとも自分は以上のことも、「もしかしたら…」と考えたまでです。

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『オツベルと象』と学校教育

最後は童話:『オツベルと象』の学校教育にまつわる情報です。

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中学1年生の教科書に掲載

まず本作は中学校1年生の教科書に掲載されたことがあるようです。

純真で素直な白象が、ずる賢いオツベルによって、純粋に働くことの喜びを失い、心身ともに傷ついていく姿が描かれている童話である。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

実際に行われた5つの指導例

なお、実際の学校教育の現場では、少なくとも次の5つの指導に結び付けられたことがあるといいます。

<1>牛飼いとオツベルの関係の変化を捉える

まず一つ目は、『本作の語り手である牛飼いと、オツベルの関係の変化を捉える』です。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。

・牛飼いとオツベルの関係が、話の展開に沿ってどのように変化しているかとらえる。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

<2>語り手である牛飼いがオツベルと白象をどう見ているかがわかる表現と変化に注目

二つ目は、『その牛飼いがオツベルと白象をどう見ているかがわかる表現に注目し、変化を捉える』です。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。(中略)

・語り手である牛飼いが、オツベルと白象をどう見ているかがわかる表現に注目し、その変化をとらえる。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

<3>白象の食べる藁の束の数の変化と白象の様子の変化を捉える

三つ目は、『白象の食べる藁の束の数の変化と、白象の様子の変化を捉える』です。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。(中略)

・白象の食べるわらの束の数の変化と白象の様子の変化をとらえる。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

<4>擬声語や擬態語、比喩などがどのように表現されているかに注目

四つ目は、『擬声語や擬態語、比喩などが、動きの激しさや勢いにどう使われ、表現されているかに注目』です。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。(中略)

・擬声語や擬態語、比喩などの表現方法を使い、動きの激しさや勢いがどのように表現されているかに注目する。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

<5>結末の白象の様子から心情を捉える

最後は『結末部分の白象の様子から、その心情を捉える』になります。

中学一年生の教科書に採録され、授業では、次のような指導が行われた。(中略)

・結末部分の白象の様子から、心情をとらえる。

(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』183ページ オツベルとぞう より)

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【『オツベルと象』が伝えたいことの考察と解説と解釈】怖いあらすじ内容も簡単にまとめ

童話:『オツベルと象』には、純粋な心を持つ白象が、オツベルのずる賢さによって傷ついていく様子が描かれていました。

どこか現実社会の縮図のような作品だったと自分には見えました。

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参考文献

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