【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『風の又三郎』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 考察:「伝えたかったこととは?」
- 「どっどど」の意味について
- 参考文献
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『風の又三郎』のあらすじ内容を簡単に要約
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:不思議な体験
谷川の岸に小さな学校がありました。
さわやかに晴れた九月一日の朝のことです。
生徒たちが教室に入ると、そこには顔も知らない子が一人、一番前の机に座っていました。
その男の子は、高田三郎という転校生でした。
奇妙な赤い髪をした三郎は、グレーのだぶだぶの上着を着ていて、白い半ズボンに、赤い革の半靴をはいていました。
顔はまるで熟したりんごのようで、目はまん丸で真っ黒です。
気になった生徒たちは、三郎の近くに寄って、いろいろと話しかけました。
けれども、三郎は返事をしません。
代わりに辺りをきょろきょろ見回しています。
すると、急におかしな風が吹いて、窓ガラスがガタガタ鳴ったのです。
そこでみんなは、三郎のことを、「風の又三郎*」と呼ぶようになりました。
はじめは誰にも相手にされなかった三郎でしたが、やがて六年生の一郎や、五年生の嘉助たちがいっしょに遊んでくれるようになりました。
自然が豊かなところだったので、草原で競馬遊びをしたり、山にぶどうを取りに行ったり、川に遊びに出掛けたこともあります。
そのときは途中で急に激しい雨が降り出して、強い風も吹き始めました。
みんなは、川で泳いでいる三郎をからかうように叫びました。
「雨はざっこざっこ雨三郎」
「風はどっこどっこ又三郎」
すると三郎は、慌てて川からあがり、みんなのところに走っていきます。
そして何かにおびえるようにして、ガタガタ震えながら聞くのです。
「今、叫んだのは、お前たちか?」
みんなは「違う」と答えます。
しかし、三郎は、やはり何かにおびえるようにして、ガタガタ震えていたのでした。
それから数日経った夜のことです。
一郎は夢の中で、いつか三郎が歌っていた歌を聞きました。
「どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも 吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう」
一郎は、妙な胸騒ぎを感じました。
翌朝、一郎は嘉助を連れて、急いで学校へ駆けつけました。
そこで先生から聞いたのは、「三郎は昨日、引っ越した」という話でした。
嘉助は叫びました。
「やっぱりあいつは、風の又三郎だったな」
窓ガラスが風で、ガタガタ鳴りました。
(おわり)
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[用語の説明]
*風の又三郎:地元で伝説となっている『風の神』のこと
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作者:宮沢賢治
作者:宮沢賢治(1896~1933年)
現在の岩手県花巻市出身の童話作家であり詩人。
教員を経た後、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書き続けました。
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岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。
その頃には短歌を創作し始めています。
(前略)また登山や植物・鉱物の採集に熱中した。
(『学習人物事典』452ページ より)
中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。
在学しながら童話を書き始めました。
その後、盛岡高等農林学校を卒業後は、同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行います。
童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けていました。
そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。
今日のこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想がねられたものが多い。
(『学習人物事典』453ページ より)
作品
その他の代表作の一部
生前に刊行されたのは2作品のみだった
宮沢 賢治は数多くの作品を世に送り出していますが、彼の生前に刊行された作品は2作品のみでした。
三十七歳で亡くなるまでに、「グスコーブドリの伝記」、「セロひきのゴーシュ」など、数多くの作品を残した。
しかし生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と、「イーハトヴ童話」の副題がついた童話集『注文の多い料理店』という、二作品のみだった。
なお「イーハトヴ」とは賢治の造語で、岩手県のこと。
有名な詩「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、手帳から発見された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
生前はほとんど無名だったが、死後、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』など、イーハトーヴ(国際共通語として提唱されたエスペラント語的な岩手の表記)童話と呼ばれる一連の作品が高く評価されるようになった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
人物
推敲の徹底
また宮沢 賢治は自身の作品を徹底して推敲*することでも知られていました。
*推敲:自分で書いた文章を読み返し、練り直すこと
徹底的に推敲を重ねることでも知られ、代表作の一つである「銀河鉄道の夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
宮沢賢治の代表的な童話作品。
繰り返し書き直され、生前は未発表に終わった。
(『倫理用語集』176ページ 『銀河鉄道の夜』 より)
仏教の信仰
さらに仏教を深く信仰していたことでも有名です。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
なお、盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。
このころから賢治は日蓮宗を深く信仰するようになり、宗教に身をささげようとして1921(大正10)年に上京、「国柱会」という日蓮宗の会に入って活動した。
(『学習人物事典』453ページ より)
菜食主義者
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
農民文化への関心
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
農民芸術の提唱
その後、教職を辞して自ら農耕に従事し、農業と宗教・芸術の融合をめざす農民芸術を提唱(後略)
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
作風
五感を刺激する世界観
児童文学の研究者:冨田 博之さんは、宮沢 賢治の作品の世界観を次のように表現なされています。
賢治の世界は、五感を刺激するんです。
音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。
(『童話学がわかる』136ページ より)
オノマトペ
劇作家の如月小春さんは、宮沢 賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げられています。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
如月さんはこのような宮沢 賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
科学からの視点
賢治は詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。
のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、自然を冷静に見つめる科学者の目と、ゆたかな想像力がとけあって、ふしぎな明るさにみちている。
(『学習人物事典』453ページ より)
独特な世界
自然と交感する感受性と、『法華経』の思想を軸とした、独特な作品の世界をつくりあげた。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
名言
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、宮沢 賢治が理想としていた幸福論を表す言葉です。
宮沢賢治が、羅須地人協会の理念として1926(昭和元)年に記した『農民芸術概論綱要』の中の言葉。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
この言葉は、個人の幸福が世界の幸福に包含されていることを意味しています。
宮沢賢治は、個人と社会を対立的なものとしてとらえる考え方を否定し、個人だけの幸福というものはありえず、世界の幸福が同時にその中の個々の幸福でもあるような世界を夢みた。
その実践が、農業が単なる生活のための手段となっている現状を批判し、労働と宗教・芸術の一体化をめざした農民芸術であった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
評価
劇化される童話の豊富さ
さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月小春さんは、自身の経験から、宮沢 賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話して下さっています。
童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。
といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。
児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。
(『童話学がわかる』136ページ より)
如月さんはこの理由を、宮沢 賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。
それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。
「『風の又三郎』で伝えたかったことは何だったのか?」【考察】
では、「本作:『風の又三郎』で、作者の宮沢賢治が伝えたかったことは何だったのでしょうか?」
参考文献を元に、考察しました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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『自然の壮大さ』
結論からいうと、作者は本作を通じて、『自然の壮大*さ』を伝えたかったのではないかと自分は考察しました。
*壮大:規模が大きくて立派であること
その理由はまず本作が”自然”に焦点をあてていたこと。
そしてそこで描かれていた自然が、人間の力が及ばない”壮大”なものでもあったことにあります。
本作では自然豊かな場所を舞台に、突然激しい雨が降り出したり、強い風が吹き始めたりする描写がありました。
『風の又三郎』という地元で伝説の『風の神』の存在も、風(≒自然)が壮大であることを裏付けていたように見えなくもありません。
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また繰り返す通り本作の作者:宮沢 賢治は、農業に高い関心を持っていました。
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
農業は自然の影響を受けやすい産業です。
よって見方によっては、このことも作者が自然に深い関心を持っていた側面だったともいえるのではないでしょうか。
少なくとも自分は、仮に本作に自然の壮大さを伝えたい意図が含まれていたとするなら、以上のことは、作者が自身の作品にそのことを反映させた理由の一端であるような気もしています。
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『風の又三郎』の「どっどど」の意味の解説
最後は本作:『風の又三郎』に登場する、「どっどど~…」の意味についての見解です。
『風の音』by如月小春さん
これは人物紹介においてもご紹介させていただきましたが、劇作家の如月小春さんは、「どっどど~…」を『風の音』だと話されていました。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
なお、これも繰り返しになりますが、このような表現は『オノマトペ*』といいます。
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
如月さんは次のようにも話されていました。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
(『童話学がわかる』138ページ より)
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
【『風の又三郎』で伝えたかったことを考察】あらすじ内容を簡単に要約【「どっどど」の意味の解説も】まとめ
本作:『風の又三郎』では、三郎と交流した生徒たちの不思議な体験が描かれていました。