【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
童話:『やまなし』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 「『クラムボン』の正体とは?」
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
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『やまなし』のあらすじを短い形で簡単に
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:カニたちが見た水中の世界
五月。二匹の蟹の子供らが、青白い水の底で話していました。
『クラムボン*はわらったよ』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ』
蟹の子供らは、ぽっぽっぽっと続けて五、六粒泡を吐きました。
それは揺れながら水銀*のように光って、斜め上へのぼって行きました。
一匹の魚が、頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ』
『クラムボンは殺されたよ』
魚がまた戻って下流の方へ行きました。
『お魚はなぜああ行ったり来たりするの』
『何か悪いことをしてるんだよ。とってるんだよ』
そのお魚がまた戻ってきました。そのときです。
青光りのまるでぎらぎらする鉄砲玉のようなものが、いきなり飛び込んできました。
青いものの先はコンパスのように黒くとがっています。
と思ったら、魚の白い腹がぎらっと光って上へとのぼり、それっきり消えてしまいました。
二匹は声も出ず居すくまって*しまいました。
そこへお父さんの蟹が出てきました。
『そいつは鳥だよ。かわせみ*というんだ』
『こわいよ、お父さん』
『いい、いい、大丈夫だ。心配するな』
水の底にうつる光の網は、ゆらゆらしていました。
十二月。蟹の子供らは大きくなりました。
あんまり月が明るく水がきれいなので、蟹の子供らは眠らないで天上を見ていました。
するとお父さんの蟹が出てきました。
『もう寝ろ寝ろ。遅いぞ』
そのときトブン。黒い円い大きなものが、天上から落ちてずうっと沈んで、また上へとのぼって行きました。
『かわせみだ』
子供らの蟹は首をすくめて言いました。
お父さんの蟹は、両目を延ばしてよくよく見てから言いました。
『そうじゃない。あれはやまなし*だ。ついて行って見よう。ああいい匂いだな』
三匹はぼかぼか流れて行くやまなしの後を追いました。
やまなしは横になって木の枝に引っかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。
『どうだ。やっぱりやまなしだよ。よく熟している、いい匂いだろう』
『おいしそうだね。お父さん』
『もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んでくる。それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝よう。おいで』
親子の蟹は三匹自分らの穴に帰って行きます。
波はいよいよ青白いほのおをゆらゆらとあげました。
それはまた金剛石*の粉をはいているようでした。
(おわり)
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[用語の説明]
*やまなし:梨のような小さな実をつける植物のこと
*クラムボン:正体不明で様々な説や解釈がある
*水銀:常温で液状になる金属のこと
*居すくまる:身動きができなくなること
*かわせみ:水辺に生息する小鳥
*金剛石:ダイヤモンドを意味する日本語
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作者:宮沢賢治
作者:宮沢賢治(1896~1933年)
現在の岩手県花巻市出身の童話作家であり詩人。
教員を経た後、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書き続けました。
本作:『やまなし』は宮沢 賢治の生前、『岩手毎日新聞』にて掲載されています。
賢治の生前、『岩手毎日新聞』に掲載された童話である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』78ページ やまなし より)
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岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。
その頃には短歌を創作し始めています。
(前略)また登山や植物・鉱物の採集に熱中した。
(『学習人物事典』452ページ より)
中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。
在学しながら童話を書き始めました。
その後、盛岡高等農林学校を卒業後は、同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行います。
童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けていました。
そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。
今日のこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想がねられたものが多い。
(『学習人物事典』453ページ より)
作品
その他の代表作の一部
生前に刊行されたのは2作品のみだった
宮沢 賢治は数多くの作品を世に送り出していますが、彼の生前に刊行された作品は2作品のみでした。
三十七歳で亡くなるまでに、「グスコーブドリの伝記」、「セロひきのゴーシュ」など、数多くの作品を残した。
しかし生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と、「イーハトヴ童話」の副題がついた童話集『注文の多い料理店』という、二作品のみだった。
なお「イーハトヴ」とは賢治の造語で、岩手県のこと。
有名な詩「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、手帳から発見された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
生前はほとんど無名だったが、死後、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』など、イーハトーヴ(国際共通語として提唱されたエスペラント語的な岩手の表記)童話と呼ばれる一連の作品が高く評価されるようになった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
人物
推敲の徹底
また宮沢 賢治は自身の作品を徹底して推敲*することでも知られていました。
*推敲:自分で書いた文章を読み返し、練り直すこと
徹底的に推敲を重ねることでも知られ、代表作の一つである「銀河鉄道の夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
宮沢賢治の代表的な童話作品。
繰り返し書き直され、生前は未発表に終わった。
(『倫理用語集』176ページ 『銀河鉄道の夜』 より)
仏教の信仰
さらに仏教を深く信仰していたことでも有名です。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
なお、盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。
このころから賢治は日蓮宗を深く信仰するようになり、宗教に身をささげようとして1921(大正10)年に上京、「国柱会」という日蓮宗の会に入って活動した。
(『学習人物事典』453ページ より)
菜食主義者
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
農民文化への関心
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
農民芸術の提唱
その後、教職を辞して自ら農耕に従事し、農業と宗教・芸術の融合をめざす農民芸術を提唱(後略)
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
作風
五感を刺激する世界観
児童文学の研究者:冨田 博之さんは、宮沢 賢治の作品の世界観を次のように表現なされています。
賢治の世界は、五感を刺激するんです。
音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。
(『童話学がわかる』136ページ より)
オノマトペ
劇作家の如月小春さんは、宮沢 賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げられています。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
【『風の又三郎』で伝えたかったことを考察】あらすじ内容を簡単に要約【「どっどど」の意味の解説も】
如月さんはこのような宮沢 賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
科学からの視点
賢治は詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。
のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、自然を冷静に見つめる科学者の目と、ゆたかな想像力がとけあって、ふしぎな明るさにみちている。
(『学習人物事典』453ページ より)
独特な世界
自然と交感する感受性と、『法華経』の思想を軸とした、独特な作品の世界をつくりあげた。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
名言
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、宮沢 賢治が理想としていた幸福論を表す言葉です。
宮沢賢治が、羅須地人協会の理念として1926(昭和元)年に記した『農民芸術概論綱要』の中の言葉。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
この言葉は、個人の幸福が世界の幸福に包含されていることを意味しています。
宮沢賢治は、個人と社会を対立的なものとしてとらえる考え方を否定し、個人だけの幸福というものはありえず、世界の幸福が同時にその中の個々の幸福でもあるような世界を夢みた。
その実践が、農業が単なる生活のための手段となっている現状を批判し、労働と宗教・芸術の一体化をめざした農民芸術であった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
評価
劇化される童話の豊富さ
さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月小春さんは、自身の経験から、宮沢 賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話して下さっています。
童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。
といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。
児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。
(『童話学がわかる』136ページ より)
如月さんはこの理由を、宮沢 賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。
それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。
やまなしに登場する『クラムボン』の正体とは?
本作:『やまなし』には、『クラムボン』という言葉が度々登場しました。
よって本作を見た方のなかには、「クラムボンとは?」などと疑問に思われた方もいたはずです。自分もその一人です。
そこでここからは、そんなクラムボンについて、まとめてみました。
前提:作者の造語であり、その意味も明かされていない
まず大前提として、『クラムボン』という言葉は、本作の作者:宮沢賢治の造語です。
そして宮沢賢治はその言葉の意味を、生前、一切明かしていません。
「クラムボン」は賢治の造語で、それが何か、作者は明示していない。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』78ページ やまなし より)
そのため、クラムボンの正体は一言でいうなら”謎”。謎の存在です。
説1:『クラムボン=泡』
とはいえ、クラムボンが現在でも謎であることは変わらないものの、その解釈には、いくつかの説が生まれてきました。
その一つが、『クラムボン=カニたちが吐いた泡』という解釈です。
「かにの吐く泡」など、いくつかの解釈がある。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』78ページ やまなし より)
この解釈はおそらく、『泡が割れたことを「死んだ」と解釈できる場面があるから』だと思われます。
理由については以下にまとめた本作のあらすじでの出来事を見ればご理解いただけるはずです。
【『クラムボン=泡』説の理由】
1.カニたちが水底から泡を吐く
2.その泡はカニたちの頭の上へとのぼっていった
3.同じくカニたちの頭の上を一匹の魚が通過
4.そこでカニたちは「クラムボンは死んだよ」などと発言
つまりカニたちが作中で「クラムボンは死んだよ」などと発言したのは、カニたち自身が吐いた泡が割れたタイミングだった…と考察できる側面があるということです。
そのため、『クラムボン=カニたちが吐いた泡』である…というのがこの解釈になります。
もっと具体的にいうなら、「クラムボンは死んだよ」という言葉は、「泡(クラムボン)は割れた(死んだ)よ」と置き換えられるともいえます。
もちろんこのことは一つの解釈に過ぎません。
真偽は不明です。
ですが、個人的には、最も納得がいく解釈に感じています。
『やまなし』と学校教育
最後は童話:『やまなし』の学校教育にまつわる情報です。
小学6年生の教科書に掲載
まず本作は小学校6年生の教科書に掲載されたことがあります。
小学六年生の教科書に採録された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』78ページ やまなし より)
このことは塾講師をしていた自分の経験上でも、そうだったと記憶しています。
実際に行われた指導例:『各表現からの情景の想像』
なお、実際の学校教育の現場では、本作は、『「クラムボンはかぷかぷわらったよ」などの表現から情景を想像してもらう』といった指導に結び付けられたことがあるようです。
授業では、「クラムボンはかぷかぷわらったよ」「月光の虹がもかもか集まりました」といった表現から、どのような情景が想像できるか考えさせるなどの指導が行われた。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』78ページ やまなし より)
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とはいえ、実際の学校教育の現場でこの指導例を行うとなると、やや難易度が高い気がしないでもありません。
というのも、個人的に本作は人によっては抽象度が高い側面もある気がしているからです。
それは繰り返しになりますが、本作に登場するクラムボンの正体がハッキリしていないことや、オノマトペがいくつか差し込まれていることなどがその理由です。
よってもしこの指導例を教育の現場で行う際は、少なからず指導側の工夫や技量に左右されそう…に思いました。あくまで個人的な考えですが。
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『やまなし』あらすじを短い形で簡単にまとめ
童話:『やまなし』は、水底に住むカニたちが見た水中の世界が描かれています。
かわせみが魚を食べる五月。やまなしが実る十二月。
それらが対比する形で、物語が構成されていたのが特徴的でした。