【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『飛び込め』のご紹介です。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ
- 作者紹介
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
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『飛び込め』のあらすじ
あらすじと作者紹介です。
物語:響き渡る叫び声
ある船が、世界一周をして自分の国へと帰る途中でした。
大変静かな良い天気だったので、船に乗っている人はみな甲板へと出ていました。
そしてその人たちの間を、一匹の大きな猿が歩き回りながら、みんなを面白がらせています。
猿は、変な格好をしたり、飛び上がったり、おかしな顔をしたり、みんなの真似をしたりーーみんなが自分を見て面白がるのをよく知っているらしく、ますます得意になって、ひょこひょこと歩き回っていました。
そのうちに、猿は船長の息子で、十二才になる少年に飛びつくと、帽子を引っつかんで自分の頭にかぶり、するするとマストにのぼっていきました。
どっとみんなが笑います。
が、少年は帽子をとられて、笑っていいのか泣いていいのかわからず、戸惑っていました。
猿は、マストの一番下の、ほげた*に腰かけると、帽子をぬいで、歯と手でそれをやぶり始めました。
それからは、からかうように少年の方を指差したり、あっかんべーをしてみせたりします。
少年はカッとなって、猿を怒鳴りつけました。
が、猿はますますいじわるになり、もっと帽子をやぶろうとします。
水夫*たちはそれを見て、「アハハハ」と大声で笑いました。
ついに少年は、真っ赤になって上着を脱ぎ捨て、猿の後を追ってマストへ飛びつきました。
するするっと、瞬く間に一番下のほげたまでのぼりました。
ところが、猿はもっと身軽ですばしっこいのです。
少年が帽子をとろうとした途端、猿はもっと高いところへとのぼってしまいました。
「どんなことがあったって、お前を逃がすものか!」
少年はそう叫び、自身も上へとのぼっていきました。
猿は、おいでおいでをすると、さらに上へとのぼっていきます。
こうなれば、少年もけんか腰です。
大人しく引き下がるわけにはいきません。
猿も少年も、負けずにのぼっていき、みるみるうちに、マストの一番上までのぼり着きました。
猿はそこから、精一杯からだを伸ばすと、後ろ足でロープをつかみ、一番高いほげたの端っこに、ひょいと帽子を引っ掛けます。
それからはマストのてっぺんに腰をかけ、からだを曲げたり伸ばしたり、おかしな格好をして歯をむき出して、「キャッキャ」と笑い出しました。
マストからそのほげたの端までは二メートル近くもあったので、ロープにもマストにも頼らずに行くより仕方がありません。
が、少年は夢中でした。
少年はいきなりマストから離れ、ほげたを伝ってそろそろと歩き出します。
甲板ではみんなが、猿と船長の息子がすることを見て笑っていました。
が、ふいに少年が、ロープからも手をはなし、両手で調子をとりながら、ほげたの上を歩き出すと、みんなは、はっと息を止めました。
あの目がくらむように高いほげたを、もし少年が踏み外したら、少年は甲板にぶつかって、こっぱみじんになってしまうでしょう。
それに、もし無事にほげたの端にたどり着き、帽子をとったとしても、引き返すのはとても難しいことです。
向きを変え、何事もなくマストまで帰れるのでしょうか。
みんなは、一言も物を言わずに、じっと少年を見上げたままどうなることかとはらはらとしていました。
このとき、あまりにこわいので、誰かがふいに、「あ!」と叫びました。
その叫び声を聞き、少年は、はっと我にかえります。
そして下を見た途端、「うわ!高い!!」
少年のからだが、よろよろっとしました。
ちょうどそのとき、船長が船室から出てきました。
手には、かもめを撃とうと思って鉄砲を持っています。
船長は、マストの上にいる息子を見るとすぐ、とっさに息子を狙って銃を構え、叫びました。
「海へ!海の中へすぐ飛び込め!じゃないと撃つぞ!!」
少年は、ふらふらしているのに、まだどうしていいのかよくわからない様子です。
「飛び込め!じゃないと撃つぞ!!いち、にい……」
「さーん」
そうお父さんが叫んだ途端、少年は大きく手を振って、頭から、「やあっ!」と飛び込みました。
少年のからだは、まるで大砲のたまのようにどぼんと海の中へと沈みます。
が、そのからだが波にのまれるかのまれないかのうちに、二十人の勇敢な水夫が、船から海へと飛び込みます。
四十秒も経ったでしょうかーーみんなにはとても長い時間が経ったように思われたのですがーー少年のからだが浮かび上がってきました。
水夫たちは少年をつかむと、船の上へと引き上げました。
五、六分も経つと、少年の口や鼻からは水がどんどんと流れ出し、少年はやっと息をし始めました。
船長は、息子が息を吹き返したのを見ると、突然、「うーっ」と、喉を締め付けられるような声を出し、自分の船室へと走り込みました。
船長は、泣いているところを誰にも見られたくなかったのです。
(おわり)
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[用語の説明]
*ほげた:帆を張るためのマストの横木のこと
*水夫:船乗りのこと
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作者:レフ・トルストイ
作者:レフ・トルストイ(1828~1910年)
なやみ苦しみながら、人間の真の幸せを考えつづけたロシアの大文学者
(『学習人物事典』314ページ より)
レフ・トルストイは、十九世紀のロシア文学を代表する小説家である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』170ページ より)
ロシア出身の作家であり、思想家。
平和を理想に掲げ、領地の農民の教育や生活改善などに取り組んだ後、結婚を機に執筆活動に専念しました。
カザン大学を中退。結婚とともに宗教的信仰を深め、次々と大作を発表して順調な文筆活動を続け、名声も高まった。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
思想家としても知られ、ロシアの政治や社会にも影響を与えた。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』170ページ より)
その他の代表作には『イワンの馬鹿』や『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』など多数。
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伯爵家の四男として、帝政ロシア(旧ソ連の前身)のトゥーラ市にほど近いヤースナヤ・ポリャーナに誕生。
父親はロシアでも指おりの名門の貴族だった。
母親はトルストイが2歳のときになくなったので、親せきの女性に育てられた。
人間に対する愛の気持ちをはぐくんでくれたのはかの女だったと、トルストイはのちに回想している。
(『学習人物事典』314ページ より)
幼い頃、両親と死別し、動揺・不安・放蕩の青年時代を過ごした。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
人物:農民への愛
何不自由ない子ども時代を送ったが、トルストイにいちばん大きなえいきょうをあたえたのは、ロシアの自然と農民の生活であった。
農民たちと身近にくらしているうちに、トルストイはしぜんに農民を愛するようになっていった。(中略)
故郷でトルストイは地主として農場の経営にのりだし、農民のくらしをあらためるように考えていったが、なかなかうまくはゆかず、1848年にはモスクワに出て、だらしのない生活を送るようになった。
(『学習人物事典』314ページ より)
転機:文学への道
そこで、1851年に生活をかえるために軍隊に入ったトルストイは、翌年に『幼年時代』を発表し、文学の道に進むようになった。
その後ロシアがトルコ・イギリスなどとたたかったクリミア戦争に従軍*したが、1856年3月に戦争がおわると軍隊をやめて、翌年、ヨーロッパに旅行した。
しかし、ヨーロッパの物質文明に失望したトルストイは、帰国して領地の農民のためにはたらく決心をした。
そして、ヤースナ・ポリャーナで農場経営に精を出すとともに、農民たちの教育にも力をつくした。
(『学習人物事典』314ページ より)
1861年に農奴解放令が発布されると、彼は農民側にたって、「暴力によって悪人に手向かうな」と非暴力主義を主張した。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
いっぽう、文学のしごとにも力を注ぎ、最初の長編小説『戦争と平和』(1863~1869年)が完成する。
この作品は、ナポレオン戦争を中心とした時代のロシアの社会をえがいた、世界文学でも数少ない雄大な作品である。
それから4年ほどして、トルストイは第2の大作『アンナ=カレーニナ』(1873~1876年)を書きはじめ、4年近い歳月をかけて完成した。
(『学習人物事典』314ページ より)
*クリミア戦争に従軍:青年だったトルストイは、砲兵隊の士官として参加。またその戦いのありさまは、『セバストポリ物語』など、いくつかの作品に残している
思想:『トルストイ主義』
このころからトルストイの考え方は大きくかわり、社会制度をあらためるだけでは人間はすくえないと考えて、いろいろまよったすえに、ついに宗教に救いを見いだすようになった。
トルストイはその考えを、『告白*』(1880~1882年)によって明らかにしている。
この世界にはびこる不正をなくすには、暴力によらず、キリスト教的な人間愛によるべきだとする<トルストイ主義>は、童話『イワンの馬鹿』(1885年)にもよくあらわされている。
(『学習人物事典』315ページ より)
『戦争と平和』や『復活』などの作品を書いたトルストイは、人間と世界をすくう道を考えつづけ、トルストイ主義を説いて世界に大きなえいきょうをおよぼした。
(『学習人物事典』314ページ より)
*告白:1882年に完成した作品だが、発表されるとすぐさま発売禁止となった。またこの作品を境にトルストイの目は宗教に向けられるようになったが、その宗教活動は厳しく監視されてもいた
晩年:理想と現実の狭間で
最後の長編『復活』(1898~1899年)は、トルストイの晩年の考え方をまとめたものといえるが、いっぽう、その考え方を実現することのむずかしさにも、なやまなければならなかった。
(『学習人物事典』315ページ より)
晩年、トルストイは、農民たちの惨状に心を痛め、地主としての特権や家族を捨てて一農民として生きようと決意し、漂泊の旅にでたが、一寒村の駅で行き倒れて死んだ。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
そうしたなやみのはてに、1910年10月、家庭も財産もすてて放浪の旅に出たが、やがて肺炎にかかって、11月7日にいなかの鉄道の駅*でその人生をおえた。
(『学習人物事典』315ページ より)
*いなかの鉄道の駅:リャザン・ウラル鉄道の小さな駅である『アスターポボ』のこと。現在では『トルストイ駅』と改名され、『トルストイ博物館』となっている
影響:ロランやガンディーら
トルストイの思想は、ガンディーやロマン=ロラン、日本の白樺派同人など、世界の多くの人々に大きな影響を与えた。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
大地に汗して働く農民にひかれた彼は、農耕生活を大切にし、国家・軍隊や私有財産制を否定し、キリスト教の隣人愛の実践と非暴力主義による人類救済を提唱した。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
逸話:『戦争と平和』で得た収入の使い道
彼は「『戦争と平和』から得られた収入は、自分に何かを求めてやってくる人々のために使いたい」と妻にいい、その収入を家計に用いることを許さなかったと伝えられている。
(『倫理用語集』263ページ トルストイ より)
『飛び込め』と学校教育
最後は本作:『飛び込め』の学校教育にまつわる情報です。
小学4年生の教科書に掲載
まず本作は小学校4年生の教科書に掲載されたことがあるようです。
「とびこみ」は、小学四年生の教科書に採録された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』170ページ より)
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補:上記ではタイトルが『とびこみ』と表記されていますが、これはこのページでご紹介させていただいた『飛び込め』とまったく同じ作品です。
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実際に行われた指導例
なお、実際の学校教育の現場では、本作は、少なくとも次の2つの指導が行われたことがあるといいます。
<1>場面の様子を詳しく読み取る
まず一つ目は、『登場人物の行動に注意して、場面の様子を詳しく読み取る』です。
「とびこみ」は、小学四年生の教科書に採録された。
授業では、次のような指導が行われた。
・登場人物の行動に注意して、場面の様子を詳しく読み取る。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』170ページ より)
<2>書き出しの部分とその後の事件との結び付きを振り返る
二つ目は、『書き出しの部分とその後に起こった事件との結び付きの振り返り』です。
「とびこみ」は、小学四年生の教科書に採録された。
授業では、次のような指導が行われた。(中略)
・書き出しの部分が、その後に起こる事件とどのように結び付いてくるのかを、振り返ってみる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』170ページ より)
トルストイ:『飛び込め』のまとめ
本作:『飛び込め』では、登場人物たちの心情が、場面ごとに刻々と描かれていました。