当サイトを見て下さりありがとうございます。
運営者のトモヤです。(平成生まれです)
現在は、機械設計エンジニアとして、自動車部品や搬送機の製品設計をしています。
当サイト『トモヤログ』は、そんな運営者の僕が人生を通じて経験したこと、勉強してきたことをまとめたWebサイトとなります。
サイトについての簡単な理解や、運営者の僕自身が持つスキル、使ってきたツールなどは以下からご覧下さいませ。
それでは、サイトのテーマともなっている僕の経歴については、自己紹介に代えてここから順にお伝えさせて頂きます<(_ _)>
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運営者トモヤの経歴
生まれから話すと長くなりますので、当サイトのテーマである高校時代からの話となります。大きく5つにわかれています。
<1>工業高校が人生の転機になる
高校は地元の工業高校に進学しました。
本当は普通科高校に進学したかったのですが、恥ずかしながら、頭が足りずに消去法です…。笑
当時は大の勉強嫌いでしたし、部活でサッカーに熱中していたこともあり、学校の成績は落ちこぼれレベルでした…。
そのため、決してモノづくりがしたくて工業高校に進学したわけではありません。
入学しても、やる気はゼロでした…。
また工業高校は卒業して就職が基本ですので、僕も当時は『卒業したら働くかー』程度に思っていました。特に目標もありませんでした。
ですが、高校生活を送っていると、工業高校ならではの機械設計や機械工作といった専門科目の勉強が面白くなり、人生ではじめて『勉強って面白い!』ということに気づきます。
すると誰に言われるわけでもなく、学校終わりや休日も家で学校の勉強をするように。
その結果、底辺高校といえど、成績は校内でトップになっていました。
卒業後は学園生として就職するか、大学進学するかで迷いましたが、大学の方が専門的なことをたくさん勉強できると思い、進学することに決めます。
工業高校で大学進学するときは推薦が基本ですが、僕が行きたい大学には推薦の枠がありませんでした。
なので早い時期から受験勉強をして、一般入試で進学を決めました。
なお、工業高校で勉強し始めた機械設計は今の僕の仕事(機械設計エンジニア)になっています。
そのため、僕にとって工業高校に入学したことは、勉強の面白さに気づけたこと、現在の仕事につながっていることから、間違いなく人生の転機になりました。
工業高校には本当に感謝しています。
また高校時代に知り合った教師やクラスメイトは僕にとっての財産です。
しかしながら、繰り返す通り、工業高校は卒業して就職することが基本です。
僕が大学受験をするに当たっては、色んな情報が不足していたのも事実でした。
なので僕が工業高校について当サイトでお伝えしているのは、そんな過去の自分のように情報不足で困る生徒のためを思ってのことです。
『大人になったら、お前の経験を生徒たちに伝えてやって欲しい』
高校時代の当時の恩師に言われた言葉ですが、サイトを通じてではありますが、曲がりなりにもその恩師の言葉を体現できているのは、僕にとって一つの恩返しです。
【工業高校のすべて】当サイトで卒業生の自分が伝えた内容の全まとめ
<2>大学では機械工学×心理学(ヒューマンインターフェース)を研究
進学先の大学では機械工学を専攻しました。
ですが、研究では『ヒューマンインターフェース』といって、『ヒトがモノを快適に使うこと』をテーマとしていたので、心理学も必修です。
とはいえ、心理学についてはまったく興味がなかったので、勉強しないと卒業できない状態はとても苦痛でした。笑
しかも研究では高度な内容が要求されたので、本とか論文は死ぬほど読むハメに…。
大学が閉まるまで図書館で勉強する日々は大変に感じることもありましたが、おかげで学問的な力はついたと思っています。
【大学生活の完全ガイド】理系大学出身の自分が当サイトでお伝えしてきたすべて【まとめ】
<3>公文と進学塾で塾講師の仕事もする
高校、大学時代の僕は勉強に力を入れていたことは事実ですが、勉強だけの生活を送っていたわけではありません。笑
大学時代は部活(フットサル)もやっていましたし、バイトにも力を入れていました。
なかでも塾講師のバイトは、バイトといえども生徒や保護者のことを考えて、徹底的に仕事と向き合ってきました。
進学塾では問題を自作していましたし、公文では教材研究も熱心に行っていました。
研修の現場に自ら顔を出すことなどして、教育への学びを深めることもできました。
塾業界の闇も垣間見ることができました。
特に公文で講師をしていたときの日々はとても良い思い出があります。
公文式本部の社員の方々の人柄は皆、素晴らしかったですし、公文式の一貫した教育の理念や経営体系には素晴らしさを感じました。
周りの講師の方々など、職場環境にもとても恵まれましたし、何より多くの子供たちが懐いてくれたのも僕の財産となっています。
また冗談だとはわかっていますが、公文式の本部の方々から社員になることを薦めて頂いたことも印象に残っています。
おかげで?技術職で働くことを決めていた僕の進路が揺らぎかけました。笑
結果として現在僕はエンジニアなので、教育業界とはまったく違った世界にいます。
しかし、塾講師での経験は、お客様(生徒や保護者)ファーストで尽くすことをはじめとして多くのことを学べました。
【公文式のすべて】公文の元講師の自分が当サイトで伝えた内容【まとめ】
<4>特別区(技術系)かエンジニアかで進路を迷った結果、後者として働くことを決意
就職活動は機械系の技術職に一本化して進めました。
最終的に合格した技術公務員(特別区)かエンジニアかで迷いましたが、より専門的な仕事ができる後者に就職を決めました。
【特別区の完全ガイド】受験から合格への道のりを総まとめ【経験談】
<5>機械設計エンジニアとして製品設計の仕事をする日々←イマココ
大学を卒業してから現在は、機械設計エンジニアとして製品設計の仕事をしています。
これまでに自動車部品や搬送機器、設備の設計など色んな仕事を経験させて頂きました。
納期の問題や日々降りかかる無理難題など、正直なところ、大変なことも多いです。笑
ですが、日々勉強を必要とされる技術職の仕事は、僕にとってたまらなく面白い環境です。
まだまだ半人前ではありますが、これからも謙虚に勉強することと周りへの感謝を忘れずに、今やるべきことに集中し、目の前のことに誠実に向き合っていきます。
当サイトはそんな僕の生きた証です。
以上が僕の経歴になります。
ご覧頂きありがとうございました。