【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『なめとこ山の熊』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 解説と考察と解釈:「伝えたいことは何だったのか?」
- 参考文献
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『なめとこ山の熊』のあらすじを簡単に要約
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:小十郎の思い
なめとこ山は大きな山だ。
熊狩りの名人の淵沢小十郎は、いつもなめとこ山に熊を捕りに行く。
なめとこ山には、熊がごちゃごちゃいた。
その熊の胆*は、とにかく名高い*。
小十郎は、片目が不自由なごりごりした親父だ。
山刀と大きな重い鉄砲を持って、たくましい黄色い犬を連れ、なめとこ山のあたりを歩き回った。
山の熊たちは、そんな小十郎が好きだった。
小十郎が山の中を通ると、熊たちは、面白そうに高い所から小十郎を見送っている。
けれども、熊も色々だ。
気の激しい熊なら小十郎の方へかかっていく。
そのときは、小十郎は落ち着いて熊の月の輪*めがけてズドンとやるのだった。
そして小十郎は熊に言う。
「熊、おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売なら、てめえも撃たなけぁならねえ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ」
小十郎は、もう熊の言葉だってわかるような気がした。
ある年の夏。
小十郎が山の中で岩にのぼると、すぐ前の木に大きな熊がいた。
小十郎はすぐ鉄砲を突きつけた。すると熊は叫んだ。
「殺すのはもう二年ばかり待ってくれ。おれにはやり残した仕事がある。二年後にはお前の家の前で、ちゃんと死んでやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」
小十郎は変な気がして、じっと考えて立ってしまった。
熊はゆっくり去って行った。
小十郎はやっぱりぼんやり立っていた。
それからちょうど二年後。
小十郎の家の外に、あの熊が血を吐いて倒れていた。
小十郎は思わず拝むようにした。
一月のある日のこと。
小十郎は朝、山へ出かけるとき、九十になる母に、今まで言ったことのないことを言った。
「おれも年取って、生まれてはじめて狩りに出るのが嫌になった気がする」
その後、小十郎が頂上で休んでいたときだ。
いきなり大きな熊が、小十郎にかかってきたのだ。
小十郎は、落ち着いて鉄砲を構えた。
ぴしゃという鉄砲の音が、小十郎には聞こえた。
ところが、熊は少しも倒れないでこちらにやってくる。
小十郎は、があんと頭が鳴ってまわりが一面、真っ青になった。
それから遠くで、こう言う熊の言葉を聞いた。
「おお小十郎、お前を殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと、小十郎は思った。
そして小十郎は今までのことを思った。
「熊ども、ゆるせよ」
それから三日目の晩だった。
山の上の平らなところに、黒い熊たちが輪になって集まり、じっと雪にひれ伏したまま、いつまでもいつまでも動かなかった。
そしてその輪の一番高い所には、小十郎の死骸が半分座ったように置かれていた。
その顔は、まるで生きているときのように冴え冴えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。
(おわり)
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[用語の説明]
*胆:内臓の主要部分
*名高い:有名であること
*月の輪:『ツキノワグマ』という熊の胸元にある三日月模様のこと
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作者:宮沢賢治
作者:宮沢賢治(1896~1933年)
現在の岩手県花巻市出身の童話作家であり詩人。
教員を経た後、農民の生活向上に尽力しながら、童話や詩を書き続けました。
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岩手県の花巻町(現在の花巻市)に生まれた後、14歳で盛岡中学校に入学。
その頃には短歌を創作し始めています。
(前略)また登山や植物・鉱物の採集に熱中した。
(『学習人物事典』452ページ より)
中学を卒業後は盛岡高等農林学校に入学。
在学しながら童話を書き始めました。
その後、盛岡高等農林学校を卒業後は、同校の研究生として残り、郷土の土性調査を行います。
童話の創作は後述した『国柱会』に入会後も続けていました。
そのかたわら詩を書き、たくさんの童話を書いた。
今日のこされている賢治の童話の大部分は、このころに書かれたり、構想がねられたものが多い。
(『学習人物事典』453ページ より)
作品
その他の代表作の一部
生前に刊行されたのは2作品のみだった
宮沢 賢治は数多くの作品を世に送り出していますが、彼の生前に刊行された作品は2作品のみでした。
三十七歳で亡くなるまでに、「グスコーブドリの伝記」、「セロひきのゴーシュ」など、数多くの作品を残した。
しかし生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と、「イーハトヴ童話」の副題がついた童話集『注文の多い料理店』という、二作品のみだった。
なお「イーハトヴ」とは賢治の造語で、岩手県のこと。
有名な詩「雨ニモマケズ」は、賢治の死後、手帳から発見された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
生前はほとんど無名だったが、死後、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』など、イーハトーヴ(国際共通語として提唱されたエスペラント語的な岩手の表記)童話と呼ばれる一連の作品が高く評価されるようになった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
人物
推敲の徹底
また宮沢 賢治は自身の作品を徹底して推敲*することでも知られていました。
*推敲:自分で書いた文章を読み返し、練り直すこと
徹底的に推敲を重ねることでも知られ、代表作の一つである「銀河鉄道の夜」には、一次稿から四次稿までが存在する。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』38ページ 宮沢賢治 より)
宮沢賢治の代表的な童話作品。
繰り返し書き直され、生前は未発表に終わった。
(『倫理用語集』176ページ 『銀河鉄道の夜』 より)
仏教の信仰
さらに仏教を深く信仰していたことでも有名です。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
なお、盛岡高等農林学校卒業後は、日蓮宗を深く信仰するようになったといいます。
このころから賢治は日蓮宗を深く信仰するようになり、宗教に身をささげようとして1921(大正10)年に上京、「国柱会」という日蓮宗の会に入って活動した。
(『学習人物事典』453ページ より)
菜食主義者
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
農民文化への関心
1924(大正13)年、詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』を自費出版した賢治は、2年後の1926(大正15)年に農学校をやめ、農民のため肥料設計の相談や、新しい農民文化をつくりだすために全力をかたむけた。
「羅須地人協会」をつくって、農村青年のための農業化学や芸術の講義をしたりした。
(『学習人物事典』453ページ より)
農民芸術の提唱
その後、教職を辞して自ら農耕に従事し、農業と宗教・芸術の融合をめざす農民芸術を提唱(後略)
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
作風
五感を刺激する世界観
児童文学の研究者:冨田 博之さんは、宮沢 賢治の作品の世界観を次のように表現なされています。
賢治の世界は、五感を刺激するんです。
音、光、色彩、匂い、そういうものにあふれている。
(『童話学がわかる』136ページ より)
オノマトペ
劇作家の如月小春さんは、宮沢 賢治の童話の魅力の一つに、『オノマトペ*』の存在を挙げられています。
(前略)賢治の童話の魅力に、オノマトペがある。
(『童話学がわかる』138ページ より)
*オノマトペ:『ワクワク』など、状態や動作などを言葉で表現したもの
『月夜のでんしんばしら』では、でんしんばしらの軍隊が月夜に行進する様子が、
「ドッテテ ドッテテ ドッテテド」
というオノマトペで表現されている。
また『貝の火』では、つりがねそうがならす朝の鐘の音が、
「カンカンカンカエコカンコカンコカン」
と表現されている。
『風の又三郎』では、この物語のいわば本当の主役である風の音が、歌詞としてこう表わされている。
「どっどど どどうど どどうどどどう」
(『童話学がわかる』138ページ より)
【『風の又三郎』で伝えたかったことを考察】あらすじ内容を簡単に要約【「どっどど」の意味の解説も】
如月さんはこのような宮沢 賢治のオノマトペについて、次のようにまとめています。
童話として子どもたちがこれら、賢治のオノマトペに触れた時、敏感に反応を返してくるのはむろんのことである。
それはいわば、子どもたちにとっては物語世界の入り口として誘い込まれずにはおられない魅力をたたえているのだ。
(『童話学がわかる』139ページ より)
科学からの視点
賢治は詩人・童話作家であるとともに、科学者でもあった。
のこされた400あまりの詩、100あまりの童話には、自然を冷静に見つめる科学者の目と、ゆたかな想像力がとけあって、ふしぎな明るさにみちている。
(『学習人物事典』453ページ より)
独特な世界
自然と交感する感受性と、『法華経』の思想を軸とした、独特な作品の世界をつくりあげた。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
名言
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、宮沢 賢治が理想としていた幸福論を表す言葉です。
宮沢賢治が、羅須地人協会の理念として1926(昭和元)年に記した『農民芸術概論綱要』の中の言葉。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
この言葉は、個人の幸福が世界の幸福に包含されていることを意味しています。
宮沢賢治は、個人と社会を対立的なものとしてとらえる考え方を否定し、個人だけの幸福というものはありえず、世界の幸福が同時にその中の個々の幸福でもあるような世界を夢みた。
その実践が、農業が単なる生活のための手段となっている現状を批判し、労働と宗教・芸術の一体化をめざした農民芸術であった。
(『倫理用語集』175ページ 宮沢賢治 より)
評価
劇化される童話の豊富さ
さきほどもご紹介させていただいた劇作家の如月小春さんは、自身の経験から、宮沢 賢治の童話の、劇化作品の豊富さを次のように話して下さっています。
童話を原作として劇化される作品は無数にあるが、原作者を日本人に限定すると、これはもう圧倒的に、宮沢賢治が多い。
といっても別にきちんと統計をとって調べたわけではないのだが、児童劇の現場に関わっている者の一人として、これは実感以外の何ものでもない。
児童劇ばかりでなく、大人を対象とした劇にも、また映画やテレビドラマなどにも、賢治の童話を下敷きにしたもの、あるいはそれをモチーフにして自由に展開させたものなど、私自身が見たことのあるものだけでも相当の数にのぼるはずだ。
(『童話学がわかる』136ページ より)
如月さんはこの理由を、宮沢 賢治の童話が周知されていること、手に入りやすいといった事情に加え、童話自体に特色があるからだと考察。
それはさきほどの”五感を刺激する世界観”にも通ずることでした。
「『なめとこ山の熊』で作者が伝えたいことは何だったのか?」【解説と考察と解釈】
では、「本作:『なめとこ山の熊』で、作者の宮沢賢治が伝えたいことは何だったのでしょう?」
参考文献を元に、3つのことを考察しました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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<1>因果応報
まず一つ目は、『因果応報』です。
【『因果応報』とは?】
『良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある』という意味の言葉
人間の行為(カルマ)によってその幸・不幸や運命が決まるという考え。
輪廻転生の考えと結びついて、前世の行為の結果として現世があり、また現世の行為のあり方によって来世の生活が決まる。
(『倫理用語集』74ページ 因果応報 より)
なぜなら、本作では熊狩りという行いをしていた小十郎が、最後には熊に狩られるという報いを受けた…と自分は考察したからです。
そのため、自分は本作ではこの『因果応報』に近い考えが描かれていたと考えました。
もちろん小十郎にとって、熊狩りは生きるための行いでしたので、それが必ずしも悪い行いだったとはいえない面もあるかもしれませんが。
仏教用語
とはいえ、この『因果応報』という言葉は元々、仏教用語です。
繰り返す通り、本作の作者:宮沢 賢治は、仏教を深く信仰していたことでも有名でした。
両親とも熱心な仏教の信者で、賢治もおさないとき、両親のとなえるお経をそらでおぼえたりした。(中略)
上級に進んでからは仏教の本、とくに法華経*を読むようになった。
(『学習人物事典』452ページ より)
*法華経:正式名称は『妙法蓮華経』といわれる仏教の重要な経典の一つであり、シャカが亡くなる前の8年の間に説いていた教えをまとめたものだともいわれている
よって以上のことから、本作でこの『因果応報』が描かれていたと考えることは、まったく的外れではない気もしています。
とはいえ、考察としては強引な面もありますので、繰り返す通り、あくまで一つの参考にしていただければ幸いです。
<2>種差別への反対
そして考えられる二つ目の考察は、『種差別への反対』です。
つまり本作では、人間と動物(熊)を差別することへの作者の反対意見が描かれていたのではないか…と自分は考察したということです。
その理由は、まず本作に登場する熊は、まるで人間のように言葉を話していました。
そしてそのように人間と熊の境界が曖昧にされていた描写があったのは、種の区別への作者の問題提起があったためでは…と自分が考えたことにあります。
なお、この『種差別への反対』については、オーストラリアの倫理学者:ピーター・シンガーの存在が有名です。
狭い工場内で飼育され、ただ太るために生きる肉用鶏や、機械のように妊娠・分娩・子の剝奪が繰り返される工場畜産の惨状を知り、種差別 speciesism①(人類は動物より優越的立場にあるから、動物の生命や尊厳を無視して、差別や搾取を繰り返してもよいとする態度)に反対して、ベジタリアンに転向した。
(『倫理用語集』304ページ ピーター=シンガー より)
ベジタリアンへの転向
上記の通り、ピーター・シンガーはこの『種差別への反対』の結果、『ベジタリアン』へと転向するまでになったといいます。
そしてお気づきの方もいるかもしれませんが、本作の作者:宮沢 賢治も『ベジタリアン』でした。
(前略)また菜食主義者*となった。
(『学習人物事典』452、453ページ より)
*菜食主義者:いわゆる『ベジタリアン』のことで、動物性食品(肉や魚や卵など)を避けた食生活を送る人のこと
もちろんこれらの理由だけで、宮沢 賢治が本作で『種差別への反対』を伝えたかったと決めつけるのはあまりに強引です。
とはいえ、少なくとも自分は以上のことから、「もしかしたら…」と考えました。
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ちなみにこの『種差別への反対』が垣間見える作者の他作には、『注文の多い料理店』や『オツベルと象』などがあります。
【『注文の多い料理店』が伝えたいことを考察】怖いあらすじ内容を短く簡単に【顔が戻らない理由】
「『オツベルと象』が伝えたいことは何だったのか?」考察と解説と解釈【怖いあらすじ内容も簡単に】
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<3>資本主義の一端
最後三つ目の考察は、『資本主義の一端』です。
私有財産を基礎にし、自由競争・自由経済の原則によって、自由な経済活動を保障する制度。
(『倫理用語集』234ページ 資本主義 より)
繰り返しになりますが、本作の小十郎は、熊狩りによって生活をしていました。
しかし、当然ながらその実態は、熊の犠牲の上に成り立っています。
作者はそのような資本主義のリアルを、より身近な視点から伝えようとした意図もあったのではないか…自分はそのようにも考察しました。
「『なめとこ山の熊』で作者が伝えたいことは何か?」解説と考察と解釈【あらすじも簡単に要約】まとめ
本作:『なめとこ山の熊』では、熊狩りの小十郎と熊の交流が描かれていました。
人間と動物というありふれた構図でありながら、複雑で深遠な意図も垣間見えてくる…本作は、そんな名作だったように自分は思います。