【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『堕落論』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、作品の世界観を壊さないよう最大限留意しつつ、現代語訳風にして要約しています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きの現代語訳風のあらすじ要約
- 作者紹介
- 「伝えたいことは何だったのか?」【解説と考察】
- 名言集
- 参考文献
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『堕落論』のあらすじ内容をわかりやすく要約
まずは解説と考察の前提となる本作のあらすじ要約と作者紹介です。
生きているから堕ちるだけだ
半年のうちに世の中は変わった。
戦争によって若者たちは花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋*となる。
けなげな気持ちで男を戦争に送った女たちも、半年のうちに夫の位牌を拝むことも事務的になる。
やがて新たな面影を胸に宿すのも、遠い日のことではない。
人間が変わったのではない。
人間は元来そういうもので、変わったのは世の中のうわべだけのことだ。
元来、日本人は最も憎悪心の少ない、また永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。
規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なのだ。
特攻隊*の勇士は、ただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないか。
未亡人が聖女であることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始めるのではないか。
歴史という生き物の巨大さと同様に、人間自体も驚くほど巨大だ。
生きるということは実に唯一の不思議である。
六十、七十の将軍たちが、切腹もせずに法廷にひかれるなどとは、終戦によって発見された、壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落*というものを真実の母として、はじめて人間が誕生したのだ。
生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道があり得るのだろうか。
終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定と、その不自由さに気づくのであろう。
人間は永遠に自由ではあり得ない。
なぜなら、人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
政治上の改革は一日で行われるが、人間の変化はそうはいかない。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かうにしても、人間自体をどうこうできるものではない。
戦争は終わった。
特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているのではないか。
人間は変わりはしない。
ただ人間へ戻ってきたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできない。防ぐことによって、人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。
そのこと以外の中に、人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
そして人のように、日本もまた堕ちることが必要であろう。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなど、うわべだけの愚かなものである。
(おわり)
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[用語の説明]
*闇屋:混乱期に物資を高値で売りさばく商人のこと
*特攻隊:体当たり攻撃をする決死部隊のこと
*堕落:落ちぶれ、本来の正しい姿や価値などを失ってしまうこと
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作者:坂口安吾
作者:坂口安吾(1906~1955年)
新潟県出身の小説家。
新潟県の大地主の家に生まれた。
父は県会議長、のちに衆議院議員をつとめ、漢詩*にも通じていた。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
*漢詩:中国の伝統的な詩のこと
中学に進学したが、家庭の複雑さもあって奔放・孤独な日常を送り中退、仏教を学ぼうと1926(昭和元)年に東洋大学哲学科に入学した。
交流のあった芥川龍之介の自殺に衝撃を受け、精神的に不安定となるが、アテネ=フランセで学ぶうちに小説家を志す。
大学卒業後、同人誌を創刊、創作を始めて新進作家となった。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
その他の代表作には『教祖の文学』や『風と光と二十の私と』など多数。
評価
古い道徳観を否定した自由で大胆な作品の数々は、社会に衝撃を与え続けました。
『無頼派』
特に本作:『堕落論』はベストセラーとなり、太宰治らとともに『無頼派』と称されるまでになりました。
(前略)人間が人間本来の姿に戻ることを「堕落」と呼んでベストセラーとなり、太宰治らとともに「無頼派」と呼ばれた。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
鋭い評論と独特の視点からの文明批評
やがて物心ともに苦しい生活の中で、「突きつめた極点で生きることに向かった時、そこから新しい倫理が発足する」と説くなど、鋭い評論を発表した。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
作品は多彩で、独特の視点からの文明批評も有名である。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
「『堕落論』が伝えたいことは何だったのか?」わかりやすく解説【考察】
では、「本作:『堕落論』が伝えたいことは何だったのでしょう?」
参考文献を元に、まとめました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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【結論】『人間の本質は不変なのだから、それを受け入れ、肯定するしかない』
結論からいうと、本作は、『人間の本質は不変なのだから、それを受け入れ、肯定する以外に人間を導くことはできない』ということを伝えたかったのではないかと自分は考察しました。
その理由は、本作では、次の2つのメッセージが垣間見えるからです。
- 人間の本質は不変であり、決して変えることはできない
- そうであるなら、いっそのこと、人間の堕落すらも切り離せない不変の本質として受け入れ、肯定する以外ない
<1>不変性
まず一つ目のメッセージは、一言でいえば不変性です。
そしてその不変性は、本作においては、世の中のいかなる影響によっても決して変わるものではないとされていました。
たとえ戦争や道徳や政治、価値観などの変化などがあったとしても…です。
半年のうちに世の中は変わった。
戦争によって若者たちは花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。
けなげな気持ちで男を戦争に送った女たちも、半年のうちに夫の位牌を拝むことも事務的になる。
やがて新たな面影を胸に宿すのも、遠い日のことではない。
人間が変わったのではない。
人間は元来そういうもので、変わったのは世の中のうわべだけのことだ。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向かうにしても、人間自体をどうこうできるものではない。
政治上の改革は一日で行われるが、人間の変化はそうはいかない。
<2>原点回帰
2つの目のメッセージは、原点回帰への提言だと自分は考えました。
このことは本作のタイトルにも使われている”堕落”という言葉の意味が、本作においては”人間が本来の姿に戻ること”と定義されていることにも理由の一端があります。
(前略)人間が人間本来の姿に戻ることを「堕落」と呼んでベストセラーとなり、太宰治らとともに「無頼派」と呼ばれた。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
つまり本作には『堕落論(≒原点回帰論)』という意味合いもあったのではないか…と自分は考えたということです。
人間は変わりはしない。
ただ人間へ戻ってきたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
それを防ぐことはできない。防ぐことによって、人を救うことはできない。
なお、本作の最後では、この”変わらない”という本質は、何も人間だけに留まらず、日本という国の本質でもあると指摘されていました。
そして人のように、日本もまた堕ちることが必要であろう。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
政治による救いなど、うわべだけの愚かなものである。
よって以上のことから本作は、作者なりの、人間をはじめとした国への提言という側面もあったのかもしれません。もちろん実際のところはわかりませんが。
とはいえ、個人的に本作は、
「人間が真の自由を手に入れるためには、人間本来の姿を取り戻すことに立ち返ること」
といった、現代人にも訴えかけてくるメッセージ性があったように感じました。
『堕落論』の名言集
最後は本作:『堕落論』の名言集です。
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注:名言の選定基準は自分の独断と偏見です。
悪しからずご了承下さいませ。
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「人間は変わりはしない」
人間は変わりはしない。
ただ人間へ戻ってきたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。
変わらない、変わることができない人間の本質を突いているかのような名言です。
「人間は生き、人間は堕ちる」
人間は生き、人間は堕ちる。
シンプルながら、この一文には作者が考える人間観が凝縮されている気がしました。
【『堕落論』の伝えたいこと】あらすじをわかりやすく解説&考察【名言とともに】まとめ
本作:『堕落論』は、当時の世の中の劇的な移り変わりに目が向けられながらも、人間の本質が鋭く突かれた作品であったように自分は思いました。