【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
童話:『ナイチンゲールとバラの花』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『ナイチンゲールとバラの花』のあらすじ
- 参考文献
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『ナイチンゲールとバラの花』のあらすじ
あらすじと作者紹介です。
物語:人間の若者に恋をした、小鳥のナイチンゲールの願い
「赤いバラを持ってきたなら、明日の舞踏会*で踊ってあげましょう」
女性は言いました。
しかし、学生である一人の若者は、それを聞いて涙を浮かべています。
なぜなら、その若者には、そんな赤いバラの当てが一切ないからです。若者は嘆きます。
「あぁ…賢者たちの本を読み、哲学も学び尽くしたはずなのに…僕の庭には一輪の赤いバラがないために、僕の人生は不幸になってしまうのか…」
近くにいた一羽のナイチンゲール*は、そんな若者の様子を木の上から見ていました。
そしていつの間にか、ナイチンゲールは若者のことを好きになっていました。
「愛しい人…なんて恋は素晴らしいのかしら…宝石よりも貴く、お店で買うこともできない…」
ナイチンゲールは若者のため、赤いバラを求めて飛び回ります。
そして若者の部屋の窓の下に生える木にたどり着きました。
その木は赤いバラの木です。
ですが、今年は冬の寒さのために、一つも花が咲いていません。
「一輪だけでいいのです…赤いバラを…どうしても手に入れたいのです…!」
「それなら一つだけ方法がある。けれども、あまりにも恐ろしい方法だ」
「大丈夫ですから、教えて下さい!」
「…赤いバラが欲しいのなら、月明かりの下、お前が歌うことによって花を咲かせ、それをお前の胸の血で染めなければいけないのだ」
「一輪のバラに支払う対価が死とは…」
飛び立ったナイチンゲールは若者の姿をもう一度見て、「幸せになってね…」と鳴きました。
「赤いバラをあげる。あなたは真実の恋をするの。哲学よりも賢く、権力よりも強い恋を…」
若者の耳には、ただ鳥の鳴き声が聞こえました。
やがて月がのぼると、ナイチンゲールはバラの木のところへ飛んでいきます。
そして自分の胸をバラのとげに押し当てて、一晩中歌い続けました。
まずは芽生えた恋の歌を、次に情熱の魂の歌を、最後は死によって完成する恋の歌を。
バラは真っ赤になりました。
ナイチンゲールは最後に一声高く歌い、やがて命尽きました。
昼になり、若者が窓を開けると、美しいバラが咲いています。
若者は喜んでその赤いバラを摘み、すぐに恋する女性のもとへと駆けつけます。
「赤いバラです!僕と踊ってくれるんですよね!!」
しかし、女性は次のように返します。
「そのバラは私のドレスには合わないわ。本物の宝石を頂いたんですの。花よりもずっと高価な」
若者は怒り、持っていたバラの花を道へと投げ捨てます。
そこへは馬車が通り、バラはひかれてしまいました。
若者は言います。
「恋なんて、現実に何の役に立つというのだ!」
若者は部屋へ戻ると、埃塗れの本を読み始めました。
(おわり)
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[用語の説明]
*舞踏会:西洋の正式なダンスパーティーのこと
*ナイチンゲール:美しい声で鳴く小鳥のこと
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作者:オスカー・ワイルド
作者:オスカー・ワイルド(1854~1900年)
イギリスの小説家であり劇作家であり、詩人。
オックスフォード大学を主席で卒業。
アイルランドのダブリン生まれ。
父は医者、母は詩人でした。
オックスフォード大学はダブリンのトリニティ=カレッジで学んだ後に入学。
在学中から数々の詩を発表し、ニューディゲイト賞を受賞しています。
その他の代表作には『幸福の王子』や『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』など多数。
人物:『唯美主義』
ワイルドは19世紀末の『唯美主義*』を代表する作家として活躍しました。
*唯美主義:美や芸術を最高の価値とみなす考えのこと
当時の社会では不道徳とされた生活を送りながら、作家活動を送っていました。
なお、このようなワイルドの主義主張は、少なくとも彼が学生だった頃から育まれていたようです。
いわゆる〈芸術のための芸術〉を主張して、一種の唯美主義運動に重要な役わりをはたしたのも学生時代だった。
(『学習人物事典』536ページ より)
(前略)ロンドンに出て、唯美主義をじっさいの行動にあらわそうとして、ヒマワリの花を胸にかざって、街のなかを得意げに歩いた話は有名である。
(『学習人物事典』536ページ より)
(前略)1891年には長編『ドリアン=グレイの肖像』を出して評判になった。
これは自伝的小説で、唯美主義の鏡ともいわれている。
(『学習人物事典』536ページ より)
評価:戯曲の成功
(前略)かれの才能がいちばんよく出ているのは、戯曲である。
まず、1892年の喜劇『ウィンダミア夫人の扇』の成功がある。
翌1893年には『取るに足らぬ女』、1895年には『理想の夫』『まじめが第一』がつづけて上演された。
よく知られた戯曲『サロメ』は1891年、パリ滞在中にフランス語で書いたもので、1893年に出版された。
(『学習人物事典』536ページ より)
『ナイチンゲールとバラの花』まとめ
小鳥のナイチンゲールは自分の命と引き換えに、赤いバラを若者に捧げます。
ナイチンゲールは自分が恋した若者のため、最後までその若者の幸せを願っていました。
しかし、一方でその若者にとっては、恋は命をかけるほどのものではなかったようです。