『ナイチンゲールとバラの花』あらすじをご紹介【童話】

薔薇と哀愁と

名作童話:『ナイチンゲールとバラの花』のご紹介です。

あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 『ナイチンゲールとバラの花』のあらすじ
  2. 参考文献

『ナイチンゲールとバラの花』のあらすじ

あらすじと作者紹介です。

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物語:人間の若者に恋をした、小鳥のナイチンゲールの願い

バラ

あかいバラをってきたなら、明日あしたとうかいおどってあげましょう」

女性じょせいいました。

しかし、学生がくせいである一人ひとり若者わかものは、それをいてなみだかべています。

なぜなら、その若者わかものには、そんなあかいバラのてが一切いっさいないからです。若者わかものなげきます。

「あぁ…賢者けんじゃたちのほんみ、哲学てつがくまなくしたはずなのに…ぼくにわには一輪いちりんあかいバラがないために、ぼく人生じんせいこうになってしまうのか…」

ちかくにいたいちのナイチンゲールは、そんな若者わかもの様子ようすうえからていました。

鳥(茶色)

そしていつのにか、ナイチンゲールは若者わかもののことをきになっていました。

いとしいひと…なんてこい素晴すばらしいのかしら…宝石ほうせきよりもとうとく、おみせうこともできない…」

 

ナイチンゲールは若者わかもののため、あかいバラをもとめてまわります。

そして若者わかもの部屋へやまどしたえるにたどりきました。

そのあかいバラのです。

ですが、としふゆさむさのために、ひとつもはないていません。

 

一輪いちりんだけでいいのです…あかいバラを…どうしてもれたいのです…!」

「それならひとつだけ方法ほうほうがある。けれども、あまりにもおそろしい方法ほうほうだ」

だいじょうですから、おしえてください!」

「…あかいバラがしいのなら、つきかりのした、おまえうたうことによってはなかせ、それをおまえむねめなければいけないのだ」

 

一輪いちりんのバラにはらたいとは…」

 

ったナイチンゲールは若者わかもの姿すがたをもういちて、「しあわせになってね…」ときました。

あかいバラをあげる。あなたは真実しんじつこいをするの。哲学てつがくよりもかしこく、けんりょくよりもつよこいを…」

若者わかものみみには、ただとりごえこえました。

 

やがてつきがのぼると、ナイチンゲールはバラののところへんでいきます。

そしてぶんむねをバラのとげにてて、一晩ひとばんじゅううたつづけました。

まずは芽生めばえたこいうたを、つぎじょうねつたましいうたを、さいによって完成かんせいするこいうたを。

バラはになりました。

 

ナイチンゲールはさい一声高ひとこえたかうたい、やがていのちきました。

 

ひるになり、若者わかものまどけると、うつくしいバラがいています。

若者わかものよろこんでそのあかいバラをみ、すぐにこいする女性じょせいのもとへとけつけます。

あかいバラです!ぼくおどってくれるんですよね!!」

しかし、女性じょせいつぎのようにかえします。

 

「そのバラはわたしのドレスにはわないわ。本物ほんもの宝石ほうせきいただいたんですの。はなよりもずっとこうな」

 

若者わかものおこり、っていたバラのはなみちへとてます。

そこへはしゃとおり、バラはひかれてしまいました。

若者わかものいます。

こいなんて、現実げんじつなんやくつというのだ!」

若者わかもの部屋へやもどると、ほこりまみれのほんはじめました。

(おわり)

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よう説明せつめい

とうかい西洋せいよう正式せいしきなダンスパーティーのこと

※ナイチンゲール:うつくしいこえとりのこと

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作者:オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルド

作者:オスカー・ワイルド(1854~1900年)

イギリスの小説家であり劇作家であり、詩人。

オックスフォード大学を主席で卒業。

アイルランドのダブリン生まれ。

父は医者、母は詩人でした。

オックスフォード大学はダブリンのトリニティ=カレッジで学んだ後に入学。

在学中から数々の詩を発表し、ニューディゲイト賞を受賞しています。

その他の代表作には『幸福の王子』や『ドリアン・グレイの肖像』、『サロメ』など多数。

人物:『唯美主義』

ワイルドは19世紀末の『ゆいしゅ*』を代表する作家として活躍しました。

*唯美主義:美や芸術を最高の価値とみなす考えのこと

当時の社会では不道徳とされた生活を送りながら、作家活動を送っていました。

なお、このようなワイルドの主義主張は、少なくとも彼が学生だった頃から育まれていたようです。

いわゆる〈芸術のための芸術〉を主張して、一種の唯美主義運動に重要な役わりをはたしたのも学生時代だった。

(『学習人物事典』536ページ より)

(前略)ロンドンに出て、唯美主義をじっさいの行動にあらわそうとして、ヒマワリの花を胸にかざって、街のなかを得意げに歩いた話は有名である。

(『学習人物事典』536ページ より)

(前略)1891年には長編『ドリアン=グレイの肖像』を出して評判になった。

これは自伝的小説で、唯美主義の鏡ともいわれている。

(『学習人物事典』536ページ より)

評価:戯曲の成功

(前略)かれの才能がいちばんよく出ているのは、戯曲である。

まず、1892年の喜劇『ウィンダミア夫人の扇』の成功がある。

翌1893年には『取るに足らぬ女』、1895年には『理想の夫』『まじめが第一』がつづけて上演された。

よく知られた戯曲『サロメ』は1891年、パリ滞在中にフランス語で書いたもので、1893年に出版された。

(『学習人物事典』536ページ より)

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『ナイチンゲールとバラの花』まとめ

小鳥のナイチンゲールは自分の命と引き換えに、赤いバラを若者に捧げます。

ナイチンゲールは自分が恋した若者のため、最後までその若者の幸せを願っていました。

しかし、一方でその若者にとっては、恋は命をかけるほどのものではなかったようです。

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参考文献

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