【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『トロッコ』のご紹介です。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 考察:「伝えたいことは何だったのか?」
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
タッチ⇒移動する目次
『トロッコ』のあらすじ要約
まずは考察の前提となるあらすじと作者紹介です。
物語:目の前を続く道
良平が八つの年に、小田原熱海間に、軽便鉄道*敷設の工事が始まった。
良平は毎日村外れへ、その工事の見学に行った。
トロッコ*でただ土を運搬するのが面白かったからだ。
トロッコの上には土工*が二人、土を積んだ後ろにたたずんでいる。
トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走ってくる。
良平はそんな景色を眺めながら、土工になりたいと思うことがあった。
せめては一度でも土工といっしょに、トロッコへ乗りたいと思うこともあった。
ある夕方、良平は二つ下の弟と、弟の友達の三人で、トロッコのある村外れへ行った。
土工の姿は見えなかった。
良平たち三人は、恐る恐る、一番端にあったトロッコを押した。トロッコは突然ごろりと車輪をまわした。
ごろり、ごろり、トロッコは三人に押されて、線路を登っていった。
そのうちに線路の勾配が急になり、トロッコはいくら押しても動かなくなった。
良平は二人に合図をした。
「さあ、乗ろう!」
三人はトロッコへ飛び乗った。
トロッコは最初はゆっくり、それからは勢いをつけて、一息に線路を下り出した。
良平は有頂天になった。
しかし、トロッコは二、三分の後、もう元の場所に戻っていた。
三人はもう一度トロッコを押そうとしたものの、背の高い土工に見つかってしまった。
三人はその土工に怒鳴られたので、その場から逃げ出した。
その後、十日余り経ってから、良平は昼過ぎに一人でまたトロッコを眺めに行った。
そこには二人の若い土工がいた。
良平はこの二人なら、叱られないだろうと思った。良平はトロッコの側へと駆けて行く。
「おじさん。押してやろうか?」
すると若い土工は返事をした。
「おお。押してくよう」
良平はどんどんと、遠くまでトロッコを押しては乗るを繰り返した。
良平は最初は楽しかったが、だんだんと日が暮れてきたので心細くなった。
するととうとう、「われはもう帰んな。おれたちは、今日は向こうに泊まるから」と、土工に村からかなり離れた場所で言われた。
良平はべそはかいた*が、泣かずに駆けて帰った。
だが、良平は家の門口へ駆け込むと、とうとう大声で、わっと泣き出さずにはいられなかった。
良平は二十六の年、妻子といっしょに東京へ出てきた。
が、良平はどうかすると、全然何の理由もないのに、そのときのことを思い出すことがある。
全然何の理由もないのに?
塵労*に疲れた良平の前には、今でもやはりその時のように、坂のある道が、細々と一筋断続*している。……
(おわり)
ーーーーー
[用語の説明]
*軽便鉄道:線路の幅が狭い小型の鉄道
*トロッコ:土砂などを運ぶ手押し式の小型の貨車
*土工:土木工事をする労働者のこと
*べそをかく:今にも泣き出しそうな顔になること
*塵労:世の中を生きるうえでの煩わしい苦労のこと
*断続:時々途切れながらも続いていること
ーーーーー
作者:芥川龍之介
作者:芥川龍之介(1892~1927年)
本作:『トロッコ』は1922年に発表されています。
ーーーーー
生まれは現在の東京都中央区の京橋。新原敏三の長男として生まれました。
辰の年、辰の月、辰の日、辰の時刻に生まれたので、龍之介(本名)と名づけられた。
(『学習人物事典』6ページ より)
しかし、生後まもなく母親が発狂したため、母親の実家である芥川家で育てられ、のち正式に芥川家の養子となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
病弱で神経質な読書好きの少年であった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
府立三中(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1910年(明治43年)に第一高等学校に入学。
学業成績が良かった芥川は、無試験で入学することができました。
その後、1913年(大正2年)には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科に入学。
この2年後には『羅生門』を発表しますが、反響はありませんでした。
しかし、その作家活動の最中、自身の作品:『鼻』を夏目漱石に認められたことにより、新進作家と見なされるようになります。
大学生のとき、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』といった日本の古典を題材にした短編小説「鼻」を発表。
この作品が夏目漱石に絶賛され、文壇で注目されるようになった。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
大学卒業後は横須賀の海軍機関学校の教師や大阪毎日新聞社を経た後、1918年(大正7年)頃から本格的な作家活動を始めています。
作品:その他の代表作の一部
評価:『芥川賞』の制定
『芥川賞』は、芥川龍之介の功績を記念してつくられた文学賞です。
新人作家に与えられる文学賞である「芥川賞」の由来となった人物である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
作風:人間のエゴイズムや芸術至上主義などを鋭く描いた
『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。
(『学習人物事典』6ページ より)
『今昔物語集』という古典に取材しつつも、人間の本質と近代人の心理を追求するものであった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
人物:「この世で信じられるものは自分の神経だけ」
龍之介は、この世で信じられるものは自分の神経だけだとくり返し書いているが、そのようなとぎすまされた、するどい感性と知性で『手巾』『蜜柑』『トロッコ』などの作品を書き、やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
特徴:短編小説が多かった
なお、繰り返す通り、芥川龍之介の作品には、短編小説が多いことが特徴でもありました。
(前略)やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
晩年:暗く苦しげな作風への変化
(前略)1919(大正8)年頃から「疲労と倦怠」の中で、不眠・神経衰弱が進行し(後略)
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
(前略)1925(大正14)年ごろから神経衰弱や胃腸病になやみ、また、そのころさかんになってきたプロレタリア文学に、新しい時代の新しい芸術を感じとっていた。
(『学習人物事典』6、7ページ より)
(前略)26(大正15)年には、創作上の苦しみもあって、友人に自殺の決意を語っている。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
そして、それに自分の芸術がついていけないのではないかという不安から、かれの作品はしだいに暗く苦しげなものとなり、『玄鶴山房』『河童』などのけっ作を発表したものの、1927(昭和2)年7月、田端(いまは北区田端)の自宅で睡眠薬自殺をとげた。
(『学習人物事典』7ページ より)
「唯ぼんやりした不安」
「唯ぼんやりした不安」という遺書の言葉は、大きな不安に向かう時代を象徴するものとして、知識人に衝撃を与えた。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
「『トロッコ』の作者:芥川龍之介が伝えたいことは何だったのか?」【考察】
では、「本作:『トロッコ』で、作者の芥川龍之介が伝えたいことは何だったのでしょう?」
参考文献を元に、考察しました。
ーーーーー
注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
ーーーーー
『人生の断面』
結論からいうと、本作の作者:芥川龍之介は、本作を通じて、『人生の断面』を伝えたかったのではないかと考察します。
トロッコをおして遠くまで行ってしまった少年の心細さを通して、人生の断面をうきぼりにしている。
(『学習人物事典』7ページ 芥川 龍之介 トロッコ より)
つまりはかつて8歳だったときの良平が辿った道を、”人生の道”にたとえているということです。
なお、このような、道を人生にたとえた表現は、『人生行路』と言われます。
本作に限らず、数多くの歌や詩、小説などでも使われることがある表現です。
古代中国の思想家:孔子も、人が歩む道を人生の道にたとえていました。
古代中国においては、道は人のいつも通う道の意味から、人間の生きる道や宇宙の原理を意味するようになった。
孔子は、人間の守り行うべき道徳の規範としての人倫の道を説いた。
(『倫理用語集』88ページ 道〈孔子〉 より)
もちろんだからといって、本作の作者がこれらの例に影響を受けていたと言いたいわけではありません。
本作の作者がそのような安易な方であったともまったく思っていないです。
とはいえ、本作の最後では、26歳になった良平の前に、良平がかつて8歳だったときに駆け抜けたはずの道がいまだに続いているとの描写がなされています。
これは良平がかつて歩んだ道が、後に”人生においての道”でもあったというたとえであったと自分は考察しました。
【孔子:『論語』】名言一覧集【現代語訳風に孔子の思想を簡単に要約】
『トロッコ』と学校教育
最後は本作:『トロッコ』の学校教育にまつわる情報です。
中学1年生の教科書に掲載
まず本作は中学校1年生の教科書(おそらく国語)に掲載されたことがあるようです。
「トロッコ」は、中学一年生の教科書に採録されている。
日が暮れかけた頃に見知らぬ場所に一人放り出されてしまった主人公の驚きと不安、孤独が、作品の主題につながっている。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』74ページ 芥川龍之介 より)
実際に行われた指導例:『人物の心情に深く結び付く情景描写を捉える』
なお、実際の学校の授業では、本作における『登場人物の心情に深く結び付く情景描写を捉える』といった問題が採用されていたようです。
「トロッコ」は、中学一年生の教科書に採録されている。(中略)
授業では、次のような指導が行われた。
・人物の心情に深く結びつく情景描写をとらえる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作 再び』74ページ 芥川龍之介 より)
【芥川龍之介:『トロッコ』で作者の伝えたいこと】あらすじから考察まとめ
本作:『トロッコ』は、良平が歩んできた道が、様々な側面から描かれていました。