【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『白』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『白』のあらすじ
- 作者紹介
- 考察
- 参考文献
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芥川龍之介:『白』のあらすじ
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:黒い体になってしまった犬の白
ある春の昼過ぎです。
白という犬が、新芽をふいた生垣*の続く道を歩いていました。
が、白は生垣に沿って曲がったところで、突然立ち止まったのです。
それも無理はありません。
その道の先では、一人の犬殺しが、罠を隠して一匹の黒犬を仕留めようと狙っていたのです。
それも黒犬は、白とは大の仲良しの隣の黒なのでした。
何も知らない黒は、犬殺しにもらったパンを食べています。
白は思わず「黒君!危ない!」と叫ぼうとしました。
が、そのために白は犬殺しにジロリとにらまれたので、恐ろしさのあまり、黒を残したまま、一目散に逃げ出しました。
後ろでは「きゃん、きゃん!助けて!」と黒の鳴き声が聞こえましたが、白は夢中で走り続け、命からがら家の庭へと駆け込みました。
そこではちょうどお嬢さんと坊ちゃんが遊んでいたので、さっそく、白は「わんわん(犬殺しがいましたよ!)」と訴えました。
でもなぜか、二人は顔を見合わせるばかりで、頭さえなでてはくれません。
それどころか、こんな妙なことさえ言い出すのです。
「どこの犬?」
「お隣の黒の兄弟?真っ黒ね」
真っ黒!?そんなはずはありません。
しかし、牛乳のように白かったはずの白の体は、今では本当に真っ黒なのです。真っ黒!
それでも白は「わんわん(真っ黒ですが白です)」と吠えたので、二人は「狂犬よ」と白に石を投げつけました。
とうとう庭から追い出された白は、東京中をうろうろ歩きました。
するとある日、「きゃん。助けて!」
黒の最後を思い出させる鳴き声を聞いて、白は思わず身震いをしました。
白が目をつぶってまた逃げ出そうとすると、その鳴き声は白にはこう言っているようにも聞こえたのです。
「きゃん、きゃん。臆病者になるな!」
白が声の方へ行くと、そこでは茶色い子犬が子供たちにいじめられていました。
白は牙をむいて、子供たちに吠えかかりました。
今にも噛みつくかと思うくらいの白の勢いに、子供たちは逃げ出しました。
白は子犬に「いっしょに来い」と声をかけ、子犬を無事に家まで送り届けました。
別れ際、子犬に名前を聞かれた白は、「おじさんは白というのだよ」と答えました。
子犬は、「白?おじさんはどこも真っ黒じゃありませんか?」と不思議がります。
「それでも白というのだよ」
胸がいっぱいになった白は、子犬とまた会うことを約束して別れました。
それから白がどうなったか?
白は、日本各地で人命を救ったのです。
新聞記事などで話題となった、黒い『義犬*』こそが白です。
そして白はある秋の日、自分の家に戻ってきました。
お嬢さんと坊ちゃんは、「白が帰ってきたよ!」と叫びました。
お嬢さんの目の中に映ったのは、たしかに白い犬の姿なのでした。
(おわり)
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[用語の説明]
*生垣:樹木を並べてつくった垣根
*義犬:人のために尽くす犬
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作者:芥川龍之介
作者:芥川龍之介(1892~1927年)
生まれは現在の東京都中央区の京橋。新原敏三の長男として生まれています。
辰の年、辰の月、辰の日、辰の時刻に生まれたので、龍之介(本名)と名づけられた。
(『学習人物事典』6ページ より)
しかし、生後まもなく母親が発狂したため、母親の実家である芥川家で育てられ、のち正式に芥川家の養子となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
病弱で神経質な読書好きの少年であった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
府立三中(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1910年(明治43年)に第一高等学校に入学。
学業成績が良かった芥川は、無試験で入学することができました。
その後、1913年(大正2年)には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科に入学。
『羅生門』を発表するも、反響はありませんでした。
しかし、その作家活動の最中、自身の作品:『鼻』を夏目漱石に認められたことにより、新進作家と見なされるようになります。
大学生のとき、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』といった日本の古典を題材にした短編小説「鼻」を発表。
この作品が夏目漱石に絶賛され、文壇で注目されるようになった。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
大学卒業後は横須賀の海軍機関学校の教師や大阪毎日新聞社を経た後、1918年(大正7年)頃から本格的な作家活動を始めています。
作品:その他の代表作の一部
評価:『芥川賞』の制定
『芥川賞』は、芥川龍之介の功績を記念してつくられた文学賞です。
新人作家に与えられる文学賞である「芥川賞」の由来となった人物である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
作風:人間のエゴイズムや芸術至上主義などを鋭く描いた
『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。
(『学習人物事典』6ページ より)
『今昔物語集』という古典に取材しつつも、人間の本質と近代人の心理を追求するものであった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
人物:「この世で信じられるものは自分の神経だけ」
龍之介は、この世で信じられるものは自分の神経だけだとくり返し書いているが、そのようなとぎすまされた、するどい感性と知性で『手巾』『蜜柑』『トロッコ』などの作品を書き、やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
特徴:短編小説が多かった
なお、繰り返す通り、芥川龍之介の作品には、短編小説が多いことが特徴でもありました。
(前略)やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
晩年:暗く苦しげな作風への変化
(前略)1919(大正8)年頃から「疲労と倦怠」の中で、不眠・神経衰弱が進行し(後略)
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
(前略)1925(大正14)年ごろから神経衰弱や胃腸病になやみ、また、そのころさかんになってきたプロレタリア文学に、新しい時代の新しい芸術を感じとっていた。
(『学習人物事典』6、7ページ より)
(前略)26(大正15)年には、創作上の苦しみもあって、友人に自殺の決意を語っている。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
そして、それに自分の芸術がついていけないのではないかという不安から、かれの作品はしだいに暗く苦しげなものとなり、『玄鶴山房』『河童』などのけっ作を発表したものの、1927(昭和2)年7月、田端(いまは北区田端)の自宅で睡眠薬自殺をとげた。
(『学習人物事典』7ページ より)
「唯ぼんやりした不安」
「唯ぼんやりした不安」という遺書の言葉は、大きな不安に向かう時代を象徴するものとして、知識人に衝撃を与えた。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
芥川龍之介:『白』の考察
最後は考察です。
『枠物語』の様式が使われている
本作:『白』には、『枠物語』の様式が使われています。
白百合女子大学大学院児童文学専攻(当時)の池田美桜さんは、この『枠物語』を次のように解説して下さっています。
伝聞形式や過去回想形式等を用いることで作品中に一つ以上の物語を埋め込んでいる、入れ子型構造の物語形態をいう。枠小説とも。
(『童話学がわかる』168ページ より)
本作においては、あらすじの終盤で白が日本各地で人命を救い、新聞記事などで話題になったことが、この『枠物語』の様式で語られていました。
白百合女子大学文学部助教授(当時)の井辻朱美さんは、このような『枠物語』の様式を、次のように解説なされていました。
枠物語とは古くは『千一夜物語』にもさかのぼることのできる、物語の中に物語のある入れ子構造のことであるが、今世紀になってからの枠物語の大半は、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」のように、<ここ>に住む主人公たちが、異世界へいざなわれて冒険をし、<ここ>にもどってくるという形をとるようになった。
(『童話学がわかる』147ページ より)
『枠物語』とは?代表作品12例からその効果を考察【わかりやすく説明】
芥川龍之介:『白』のあらすじの解説まとめ
白は友人を見捨てた罪により、体が黒くなりました。
ですが、それ以後、白は他の犬や人間を見捨てることなく、助け続けました。
そして、ついにはそのことが白にとっての償いとなり、最後は白い犬に戻ることができました。