【芥川龍之介:『白』】あらすじと解説「なぜ白の体は黒くなったのか?」

白黒な犬

名作童話:『白』のご紹介です。

あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 『白』のあらすじ
  2. その解説
  3. 参考文献

芥川龍之介:『白』のあらすじ

まずはあらすじと作者紹介です。

スポンサーリンク

物語:黒い体になってしまった犬の白

北海道犬

あるはるひるぎです。

しろといういぬが、しんをふいた生垣いけがきつづみちあるいていました。

が、しろ生垣いけがき沿ってがったところで、突然とつぜんまったのです。

それも無理むりはありません。

 

そのみちさきでは、一人ひとり犬殺いぬごろしが、わなかくして一匹いっぴき黒犬くろいぬ仕留しとめようとねらっていたのです。

 

それも黒犬くろいぬは、しろとはだいなかしのとなりくろなのでした。

なにらないくろは、犬殺いぬごろしにもらったパンをべています。

しろおもわず「黒君くろくんあぶない!」とさけぼうとしました。

 

が、そのためにしろ犬殺いぬごろしにジロリとにらまれたので、おそろしさのあまり、くろのこしたまま、一目散いちもくさんしました。

 

うしろでは「きゃん、きゃん!たすけて!」とくろごえこえましたが、しろちゅうはしつづけ、いのちからがらいえにわへとみました。

そこではちょうどおじょうさんとぼっちゃんがあそんでいたので、さっそく、しろは「わんわん(犬殺いぬごろしがいましたよ!)」とうったえました。

でもなぜか、二人ふたりかお見合みあわせるばかりで、あたまさえなでてはくれません。

それどころか、こんなみょうなことさえすのです。

 

「どこのいぬ?」

「おとなりくろきょうだいくろね」

 

くろ!?そんなはずはありません。

しかし、牛乳ぎゅうにゅうのようにしろかったはずのしろからだは、いまでは本当ほんとうくろなのです。くろ

 

それでもしろは「わんわん(くろですがしろです)」とえたので、二人ふたりは「きょうけんよ」としろいしげつけました。

とうとうにわからされたしろは、とう京中きょうじゅうをうろうろあるきました。

するとある、「きゃん。たすけて!」

くろさいおもさせるごえいて、しろおもわずぶるいをしました。

しろをつぶってまたそうとすると、そのごえしろにはこうっているようにもこえたのです。

 

「きゃん、きゃん。おくびょうものになるな!」

 

しろこえほうくと、そこでは茶色ちゃいろいぬどもたちにいじめられていました。

しろきばをむいて、どもたちにえかかりました。

いまにもみつくかとおもうくらいのしろいきおいに、どもたちはしました。

しろいぬに「いっしょにい」とこえをかけ、いぬ無事ぶじいえまでおくとどけました。

 

わかぎわいぬまえかれたしろは、「おじさんはしろというのだよ」とこたえました。

いぬは、「しろ?おじさんはどこもくろじゃありませんか?」と不思議ふしぎがります。

「それでもしろというのだよ」

むねがいっぱいになったしろは、いぬとまたうことを約束やくそくしてわかれました。

 

それからしろがどうなったか?

しろは、日本にほんかく人命じんめいすくったのです。

新聞しんぶん記事きじなどでだいとなった、くろい『けん』こそがしろです。

そしてしろはあるあきぶんいえもどってきました。

じょうさんとぼっちゃんは、「しろかえってきたよ!」とさけびました。

じょうさんのなかうつったのは、たしかにしろいぬ姿すがたなのでした。

(おわり)

ーーーーー

よう説明せつめい

生垣いけがき樹木じゅもくならべてつくったかき

けんひとのためにくすいぬ

ーーーーー

スポンサーリンク

作者:芥川龍之介

芥川龍之介

作者:あくたがわりゅうすけ(1892~1927年)

現在の東京都中央区の京橋で、新原敏三にいはらとしぞうの長男として生まれました。

たつの年、辰の月、辰の日、辰の時刻に生まれたので、龍之介(本名)と名づけられた。

(『学習人物事典』6ページ より)

しかし、生後まもなく母親が発狂したため、母親の実家である芥川家で育てられ、のち正式に芥川家の養子となった。

(『学習人物事典』6ページ より)

府立三中(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1910年(明治43年)に第一高等学校に入学。

学業成績が良かった芥川は、無試験で入学することができました。

その後、1913年(大正2年)には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科に入学。

作家活動の最中、自身の作品『鼻』をなつ漱石そうせきに認められたことで、新進作家と見なされるようになります。

大学卒業後は、横須賀の海軍機関学校の教師や大阪毎日新聞社を経た後、1918年(大正7年)頃から本格的な作家活動を始めました。

作品:その他の代表作の一部

>>羅生門

>>鼻

>>蜘蛛の糸

評価:『芥川賞』の制定

芥川賞』は、芥川の功績を記念してつくられた文学賞です。

作風:人間のエゴイズムや芸術至上主義などを鋭く描いた

『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。

(『学習人物事典』6ページ より)

人物:「この世で信じられるものは自分の神経だけ」

龍之介は、この世で信じられるものは自分の神経だけだとくり返し書いているが、そのようなとぎすまされた、するどい感性と知性で『手巾ハンケチ』『蜜柑』『トロッコ』などの作品を書き、やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。

(『学習人物事典』6ページ より)

特徴:短編小説が多かった

なお、繰り返す通り、芥川の作品には、短編小説が多いことが特徴でもありました。

(前略)やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。

(『学習人物事典』6ページ より)

晩年:暗く苦しげな作風への変化

(前略)1925(大正14)年ごろから神経衰弱や胃腸病になやみ、また、そのころさかんになってきたプロレタリア文学に、新しい時代の新しい芸術を感じとっていた。

そして、それに自分の芸術がついていけないのではないかという不安から、かれの作品はしだいに暗く苦しげなものとなり、『玄鶴山房』『河童』などのけっ作を発表したものの、1927(昭和2)年7月、田端(いまは北区田端)の自宅で睡眠薬自殺をとげた。

(『学習人物事典』6、7ページ より)

スポンサーリンク

芥川龍之介:『白』のあらすじの解説まとめ

白は友人を見捨てた罪により、体が黒くなりました。

ですが、それ以後、白は他の犬や人間を見捨てることなく、助け続けました。

そして、ついにはそのことが白にとっての償いとなり、最後は白い犬に戻ることができました。

スポンサーリンク

参考文献

スポンサーリンク

関連ページ