【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『杜子春』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『杜子春』のあらすじ要約
- 作者紹介
- 教訓を考察:「伝えたいことは何だったのか?」
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
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『杜子春』のあらすじを短く要約
まずは考察の前提ともなるあらすじと作者紹介です。
物語:気づかされた大切なこと
ある春の日暮です。
人や車でにぎわう唐*の都:洛陽*の西の門の下に、ぼんやりと月を眺めている杜子春という若者がいました。
親の財産を使い切り、生活に困るほど貧しかった杜子春は、「(腹も減ったし、川へ身を投げて死のうか…)」と思っていたのです。
すると、ある日、老人がやってきて、次のように言いました。
「今、夕日の中でここに立ってみなさい。お前の影の頭に当たる所を、日が落ちたら掘ってみるといい。そこに黄金が埋まっている」
杜子春は驚きました。
しかし、老人が言う通りに穴を掘ってみたところ、本当にたくさんの黄金が出てきたのです。
たちまち大金持ちになった杜子春は、とてもぜいたくな暮らしをし始めました。
すると、その噂を聞いて、杜子春のもとには、それまであまり親しくなかった人も遊びにくるようになりました。
ところが、三年が経つと、杜子春は貧乏に逆戻り。
杜子春はお金を使い果たしてしまい、ほとんどの人は、遊びにこなくなりました。
お金持ちだった頃の友達は、皆知らん顔で誰も助けてはくれません。
そこで、杜子春はまた西の門の下へ行きました。
すると、またあのときの老人が現れます。
老人は、「今度は影の胸の部分を掘ってみよ」と言いました。
杜子春はまたその通りにしてみると、またしても黄金が出て、大金持ちになりました。
ところが、杜子春はまたしても懲りずにぜいたくの限りを尽くしたので、またまた三年余りでお金を使い果たしてしまいました。
そんな杜子春の前に、再び老人が現れます。
老人は杜子春に対し、また大金持ちになる方法を教えようとしました。
しかし、杜子春は、「もうお金はいりません。お金のあるときだけ近づいてきて、貧乏になると見向きもしない人間には愛想が尽きたのです」と言い、老人に、「弟子にしてもらえませんか?」とお願いしました。
じつは老人は、鉄冠子という仙人*だったのです。
杜子春を一夜でお金持ちにできたのは、仙人の術があったからなのでした。
鉄冠子は、「お前は見どころがある」と言い、杜子春が仙人の修行をすることを許しました。
すると鉄冠子は、杜子春を高い山の頂上に座らせて、「これからは色々なことが起こるが、声を出してはいけない」と注意し、杜子春に様々な試練を与えました。
杜子春は試練に耐え続け、一切声を出しませんでした。
虎と蛇に襲われて、「お前は何者だ?答えないと命はないぞ」と言われたときも、杜子春は一言もしゃべりませんでした。
すると、獣は幻のように消えていきました。
大嵐や雷に遭ったときも、杜子春は無言で耐えました。
しかし、ついに怒った神将*に、杜子春は戟*で突かれてしまいます。
杜子春は地獄に落ち、閻魔大王*の前に連れていかれました。
「口を開かねば地獄の責め苦に遭わせるぞ」
杜子春は剣の山や血の池地獄に放り込まれました。
しかし、それでも杜子春は口を開きません。
そこで大王は、強情な杜子春の前に、二匹の馬を引きずり出しました。
馬を見た杜子春は驚きます。
痩せ馬の顔が、死んだ父と母にそっくりなのです。
杜子春の父と母は、馬に姿を変えられてしまっていたのでした。
大王は、馬を鉄の鞭で叩きます。
それでも必死に黙っていた杜子春でしたが、母の顔をした馬が、杜子春に言います。
「私はどうなっても、お前が幸せならそれでいい」
杜子春はとうとう、「お母さん!」と叫んでしまいました。
気がつくと、そこは元の西の門の下です。
杜子春は、仙人にはなれませんでした。
しかし、鉄冠子は、「あのまま黙っていたら、お前のことを殺していた」と言いました。
杜子春は決心しました。
「仙人になれなかったことが嬉しい。人間らしい正直な暮らしをする」
その言葉を聞いた鉄冠子は、自分が持っている家と畑を、杜子春に与えることにしたのでした。
(おわり)
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[用語の説明]
*唐:中国に618~907年まであった王朝の名前
*洛陽:唐にかつて存在した大都市で、現在の中国洛陽市のこと
*仙人:人里離れた山の中に住み、不思議な力を使う人のこと。永遠に生きるとされている
*神将:仏教を守る神様
*戟:古代中国の武器で、長柄の先に刃物がついている
*閻魔大王:地獄の王であり、死者の生前の罪を裁く
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作者:芥川龍之介
作者:芥川龍之介(1892~1927年)
1920年に発表された本作:『杜子春』は、児童向けの文学作品です。
「蜘蛛の糸」、「杜子春」など、子ども向けに書かれた作品もある。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
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生まれは現在の東京都中央区の京橋。新原敏三の長男として生まれました。
辰の年、辰の月、辰の日、辰の時刻に生まれたので、龍之介(本名)と名づけられた。
(『学習人物事典』6ページ より)
しかし、生後まもなく母親が発狂したため、母親の実家である芥川家で育てられ、のち正式に芥川家の養子となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
病弱で神経質な読書好きの少年であった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
府立三中(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1910年(明治43年)に第一高等学校に入学。
学業成績が良かった芥川は、無試験で入学することができました。
その後、1913年(大正2年)には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科に入学。
『羅生門』を発表するも、反響はありませんでした。
しかし、その作家活動の最中、自身の作品:『鼻』を夏目漱石に認められたことにより、新進作家と見なされるようになります。
大学生のとき、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』といった日本の古典を題材にした短編小説「鼻」を発表。
この作品が夏目漱石に絶賛され、文壇で注目されるようになった。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
大学卒業後は横須賀の海軍機関学校の教師や大阪毎日新聞社を経た後、1918年(大正7年)頃から本格的な作家活動を始めています。
作品:その他の代表作の一部
評価:『芥川賞』の制定
『芥川賞』は、芥川龍之介の功績を記念してつくられた文学賞です。
新人作家に与えられる文学賞である「芥川賞」の由来となった人物である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
作風:人間のエゴイズムや芸術至上主義などを鋭く描いた
『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。
(『学習人物事典』6ページ より)
『今昔物語集』という古典に取材しつつも、人間の本質と近代人の心理を追求するものであった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
人物:「この世で信じられるものは自分の神経だけ」
龍之介は、この世で信じられるものは自分の神経だけだとくり返し書いているが、そのようなとぎすまされた、するどい感性と知性で『手巾』『蜜柑』『トロッコ』などの作品を書き、やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
特徴:短編小説が多かった
なお、繰り返す通り、芥川龍之介の作品には、短編小説が多いことが特徴でもありました。
(前略)やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
晩年:暗く苦しげな作風への変化
(前略)1919(大正8)年頃から「疲労と倦怠」の中で、不眠・神経衰弱が進行し(後略)
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
(前略)1925(大正14)年ごろから神経衰弱や胃腸病になやみ、また、そのころさかんになってきたプロレタリア文学に、新しい時代の新しい芸術を感じとっていた。
(『学習人物事典』6、7ページ より)
(前略)26(大正15)年には、創作上の苦しみもあって、友人に自殺の決意を語っている。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
そして、それに自分の芸術がついていけないのではないかという不安から、かれの作品はしだいに暗く苦しげなものとなり、『玄鶴山房』『河童』などのけっ作を発表したものの、1927(昭和2)年7月、田端(いまは北区田端)の自宅で睡眠薬自殺をとげた。
(『学習人物事典』7ページ より)
「唯ぼんやりした不安」
「唯ぼんやりした不安」という遺書の言葉は、大きな不安に向かう時代を象徴するものとして、知識人に衝撃を与えた。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
「『杜子春』が伝えたいことは何だったのか?」【2つの教訓と考察】
では、「本作:『杜子春』を通じて、作者が伝えたいことは一体何だったのでしょう?」
参考文献を元に、2つのことを考察しました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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<1>思いやりの大切さ
まず一つ目は、『思いやりの大切さ』です。
なぜなら、本作では主人公である杜子春が、馬の姿に変えられた母とのやり取りを通して、思いやりの心を取り戻した様子が描かれていたからです。
さらにそれによって杜子春自身が生き方を見直すことになっただけでなく、仙人もそんな杜子春のことを認め、最後には杜子春に家と畑を与えることに決めています。
以上のことは、人間らしい思いやりの心を持つことに、大きな価値があると強調されていたように自分には見えました。
<2>お金は人生のすべてではない
そして二つ目は、『お金は人生のすべてではない』になります。
この理由は、本作に登場した杜子春が、大金を手にして束の間の幸せを手に入れたものの、結局それは杜子春にとって本当の幸せではなかった…ということが描かれていたためです。
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もちろんお金は人生において決して不必要なものではありませんが、少なくとも杜子春が最後に望んだ『人間らしい正直な暮らし』のなかには、大金の必要性は含まれていないようでした。
「では、一体人生で必要なものは何か?」とのことですが、それは本作で具体的に明かされていたわけではありません。
とはいえ、これは自分が思うに、本作は、人生において大切なものは人それぞれであるということも同時に伝えたかったようにも感じました。
よってもしそのことを前提にするのであれば、本作の最後で杜子春が言った『人間らしい正直な暮らし』を現実に実践するためには、結局のところその人自身がその言葉の意味をどう思い描くかによって見出すしかない気もしています。
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『杜子春』と学校教育
最後は童話:『杜子春』の学校教育にまつわる情報です。
小学6年生の教科書に掲載
まず本作は小学校6年生の教科書に掲載されたことがあります。
「杜子春」は、小学六年生の教科書にその一部が採録された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
実際に行われた指導例:『工夫されている描写に注意して朗読』
なお、実際の学校教育の現場では、本作は、『登場人物や情景の描写で、特に工夫されていることに注意して朗読する』といった指導に結び付けられたことがあるようです。
「杜子春」は、小学六年生の教科書にその一部が採録された。
授業では、登場人物や情景の描写で、特に工夫されている点に注意して朗読する、という指導が行われた。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
「『杜子春』が伝えたいことは何だったのか?」あらすじと教訓と考察を短く要約【芥川龍之介】まとめ
童話:『杜子春』は、一人の若者が様々な経験を通して、本当に大切なことを見出していく物語でした。
そこで描かれていたことは、思いやりの心や、人生を生きていくうえでの価値観などといった、幅広い教訓があったように思います。