【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『羅生門』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 解説と考察:「伝えたいことは何だったのか?」
- 参考文献
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『羅生門』のあらすじ内容をわかりやすく簡単に要約
まずは解説と考察の前提となるあらすじと作者紹介です。
物語:それは生きるため
ある日の夕暮れのこと。
羅生門*の下で、下人*が雨宿りをしていました。
下人は4、5日前に勤めていた先をクビになり、今はお金を稼ぐ手段がありません。
「(これからどうしたらよいものか…)」
あれこれと考えていました。
羅生門の下には、下男の他には誰もいません。
町では地震や飢饉*など、様々な災害が続けて起こっていたため、多くの人が亡くなり、町もひどく荒れていました。
町にはキツネやタヌキが現れ、泥棒もよく出るようになりました。
引き取り手のない死体を羅生門まで運び、捨てていく人も、珍しくはありませんでした。
この日、下人は少しでも楽に夜を明かそうと思い、門の2階へ上ろうとしていました。
そのとき、下人は人の気配を感じたのです。
下人は、2階には死体しかないと思っていたので気になりました。
そこで、はしごの一番上の段まで上って、中の様子をうかがうと、1人の老婆がいるのがわかりました。
その老婆は、火を灯した松の木の切れ端を持って、髪の毛の長い死体をのぞき込んでいました。
そしてなんと、老婆は死体から髪の毛を1本ずつ、引き抜き始めたのです。
下人は老婆がしていることに、激しく怒りました。
中へと入っていき、「何をしているのか!」と老婆を問い詰めます。
老婆は下人をおそれながらも、「死体から髪の毛を抜いてかつらにしようと思った」と答えました。
そして老婆は言うのです。
「自分が飢え死にしないためには、かつらを売るしかないのだ。この死体の女だって、生きている頃は悪さをしていたのだから」
下人はそんな老婆の言葉を聞いたことで、ある勇気が湧いてきました。
そしてこう言い捨てたのです。
「じゃあ、己がおいはぎ*をしても、恨まないよな。己もこうしないと飢え死にするんだ」
下人は老婆の着物をはぎとり、夜の闇へと消えていきました。
下人の行方は、誰も知りません。
(おわり)
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[用語の説明]
*羅生門:平安時代の京都の朱雀大路にあった羅城門のこと
*下人:身分が低い者のこと
*飢饉:農作物が不作で食べ物が不足すること
*おいはぎ:人を襲って物を奪うこと
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作者:芥川龍之介
作者:芥川龍之介(1892~1927年)
本作:『羅生門』は1915年に発表されています。
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生まれは現在の東京都中央区の京橋。新原敏三の長男として生まれました。
辰の年、辰の月、辰の日、辰の時刻に生まれたので、龍之介(本名)と名づけられた。
(『学習人物事典』6ページ より)
しかし、生後まもなく母親が発狂したため、母親の実家である芥川家で育てられ、のち正式に芥川家の養子となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
病弱で神経質な読書好きの少年であった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
府立三中(現在の東京都立両国高等学校)を経て、1910年(明治43年)に第一高等学校に入学。
学業成績が良かった芥川は、無試験で入学することができました。
その後、1913年(大正2年)には、東京帝国大学(現在の東京大学の前身)英文科に入学。
この2年後に発表されたのが本作:『羅生門』になりますが、反響はありませんでした。
しかし、その作家活動の最中、自身の作品:『鼻』を夏目漱石に認められたことにより、新進作家と見なされるようになります。
大学生のとき、『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』といった日本の古典を題材にした短編小説「鼻」を発表。
この作品が夏目漱石に絶賛され、文壇で注目されるようになった。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
大学卒業後は横須賀の海軍機関学校の教師や大阪毎日新聞社を経た後、1918年(大正7年)頃から本格的な作家活動を始めています。
作品:その他の代表作の一部
評価:『芥川賞』の制定
『芥川賞』は、芥川龍之介の功績を記念してつくられた文学賞です。
新人作家に与えられる文学賞である「芥川賞」の由来となった人物である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』223ページ 芥川龍之介 より)
作風:人間のエゴイズムや芸術至上主義などを鋭く描いた
『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。
(『学習人物事典』6ページ より)
『今昔物語集』という古典に取材しつつも、人間の本質と近代人の心理を追求するものであった。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
人物:「この世で信じられるものは自分の神経だけ」
龍之介は、この世で信じられるものは自分の神経だけだとくり返し書いているが、そのようなとぎすまされた、するどい感性と知性で『手巾』『蜜柑』『トロッコ』などの作品を書き、やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
特徴:短編小説が多かった
なお、繰り返す通り、芥川龍之介の作品には、短編小説が多いことが特徴でもありました。
(前略)やがて大正時代の代表的な短編小説家となった。
(『学習人物事典』6ページ より)
晩年:暗く苦しげな作風への変化
(前略)1919(大正8)年頃から「疲労と倦怠」の中で、不眠・神経衰弱が進行し(後略)
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
(前略)1925(大正14)年ごろから神経衰弱や胃腸病になやみ、また、そのころさかんになってきたプロレタリア文学に、新しい時代の新しい芸術を感じとっていた。
(『学習人物事典』6、7ページ より)
(前略)26(大正15)年には、創作上の苦しみもあって、友人に自殺の決意を語っている。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
そして、それに自分の芸術がついていけないのではないかという不安から、かれの作品はしだいに暗く苦しげなものとなり、『玄鶴山房』『河童』などのけっ作を発表したものの、1927(昭和2)年7月、田端(いまは北区田端)の自宅で睡眠薬自殺をとげた。
(『学習人物事典』7ページ より)
「唯ぼんやりした不安」
「唯ぼんやりした不安」という遺書の言葉は、大きな不安に向かう時代を象徴するものとして、知識人に衝撃を与えた。
(『倫理用語集』174ページ 芥川龍之介 より)
「『羅生門』が伝えたいことは2つある?」【解説と考察】
では、「本作:『羅生門』が伝えたいことは何だったのでしょう?」
参考文献を元に、2つのことを考察しました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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<1>『「”正しい”とは何か?」という問い』
まず一つ目は、『「”正しい”とは何か?」という問い』です。
なぜなら、本作では登場人物たちそれぞれが考える”それぞれの正しさ”が描かれてはいたものの、その答えは明かされていたわけではなかったからです。
たとえば、老婆は自身が生きるため、死体の髪の毛を引き抜きました。
それは老婆自身が生きるためには仕方がなかった(≒老婆にとっての正しい)と考えていたためによる行動です。
一方で下人は当初、そんな老婆の行動に、激しい怒りを見せています。
それは下人にとって死体から髪の毛を引き抜くことは間違っているという道徳な考えがあったからなのかもしれませんし、自身には真似できない老婆の行動に何か別の思うことがあったからなのかもしれません。
とはいえ、以上のことは、いずれにしても老婆と下人それぞれにとっては間違っていない(≒それぞれの視点からの正しい)という考えが元になっていたと自分は考えます。
もちろん本作の最後で下人がおいはぎをしたことも、「人がやっているから自分もやってもいいだろう」との下人の身勝手に近い考えが引き起こした行動だったのかもしれません。
ですが、繰り返す通り、そのそれぞれの正しさの答えは本作のなかで明かされていたわけではありません。
老婆は別としても、下人の姿は本作の最後で闇の中に消えてしまっているため、その行動の善悪への見解も闇の中です。
そのため、以上のことから本作が伝えたかったことは答えというより、むしろ人間のエゴを通じた『「”正しい”とは一体何か?」という一種の問い』であったと自分は考察しました。
つまりは道徳的にも様々な意見がある”正しさ”や”正義”といったことを、本作を通じて考えるためのきっかけにしてほしかったのではないかということです。
『羅生門』『鼻』『芋粥』『地獄変』などの初期の作品は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典を材料として、これらの物語に登場する人物の心理にメスを入れ、人間のエゴイズム(自分だけの幸福や利益を追いもとめる考え方や態度)や、芸術至上主義(芸術を自分にとって最上のものと考え、宗教や道徳・政治などの上におく考えや態度)などをするどくえがいたものが多い。
(『学習人物事典』6ページ より)
<2>『因果応報』
二つ目は『因果応報』です。
【『因果応報』とは?】
『良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある』という意味の言葉
人間の行為(カルマ)によってその幸・不幸や運命が決まるという考え。
輪廻転生の考えと結びついて、前世の行為の結果として現世があり、また現世の行為のあり方によって来世の生活が決まる。
(『倫理用語集』74ページ 因果応報 より)
これは同作者の童話:『蜘蛛の糸』でも指摘させていただいたことです。
とはいえ、本作では死体から髪の毛を引き抜いた老婆がおいはぎにあうといった、見方によっては因果応報ともいえる描写がなされています。
よって本作でもこの因果応報が伝えたいことの一つだったのではないか…と自分は考察しました。
【『羅生門』が伝えたいこと】あらすじ内容をわかりやすく簡単に要約【解説と考察】まとめ
本作:『羅生門』は、人間の弱い心を浮き彫りにしたうえで、人の命や正しさなどといった、道徳的な側面が描かれていました。