【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『論語』のご紹介です。
全文ふりがな付きで、現代語訳風にまとめています。一つの参考にして下さいませ。
- 内容要約
- 孔子の人物像
- 参考文献
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『論語』の内容要約
内容と作者紹介です。
人が生きるべき道
紀元前五百年頃のことである。
中国の魯*の国に、孔子という人がいた。
役人だった孔子は、国のために力を尽くした。
だが、やがて政治の争いに敗れ、国を追われてしまう。
そこで孔子は、「(立派な王様にお仕えしたい…)」と願い、十四年をかけ、周りの国々をまわった。
ところが、孔子が仕えたいと思う王様は、どこにもいなかった。
孔子は魯に戻り、国に仕える人を育てるための学校を開く。
それから孔子の死後、孔子の弟子たちが、「先生の言葉を忘れないように」と書物に残したのが、「子曰(先生は言われた)」で始まる『論語』である。次のような内容だ。
先生は言われた。
「昔の名君*の行いを学び、自分で考え、体験を重ね、やがてそれを自分の身に付ける。同じ道を目指す友が、遠くからはるばるたずねてくれることもあるだろう。そんな人生は、なんと楽しいことだろうか」
「年少者は、家庭では親孝行をし、社会に出たら、目上の人に従うことが何より大切だ」
「仕事は素早くやり、言葉は控えめに」
「自分が人に知られていないのは、心配なことではない。自分が人のことを知らないことが心配なのだ」
「何を、何のためにするかによって、人の価値は決まる」
「古いものから学び、新しい知識を得よ」
「人から学ぶだけで、自分で考えなければ真実は見えない。自分で考えるだけで、人から学ばなければ、独りよがりになる」
「正義を行わないのは、勇気がないからだ」
「朝、真実がわかれば、夕方、死んでも悔いはない」
「三人が友になれば、それぞれに二人ずつの先生ができたことになる」
「間違った行動は、決して天が許さない」
先生が言われた。
「物事が移りゆく姿は、川の流れの通りだ。昼も夜も流れは止まらない」
「人間は誰にも間違いはある。間違いはすぐ直せ。間違って直さないことが間違いだ」
「自分に厳しく、人には優しくしなさい」
いつも心に留めておくべき言葉は?
この問いに先生は答えられた。
「それは恕だ。恕とは、自分が嫌だと思うことは、他人にもしてはいけないことだ。恕は思いやりともいう」
「多数が悪いと言っても、必ず自分で真実を調べよ。多数が良いと言っても、必ず自分で真実を調べよ」
「目指す道が違う人とは、助け合わなくてもいい。だが、人と生まれれば、人とともに生きるしかない」
先生である孔子は、こうして『論語』を語り終えた。
(おわり)
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[用語の説明]
*魯:かつて中国にあった国であり、現在でいう山東省のこと
*名君:優れた君主のこと。なお、君主とは、世襲によって国家を統治する最高位の人のことをいう
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話者:孔子
孔子(紀元前551~479年)
古代中国の思想家。
本作:『論語』は約2,500年前に書かれた書物であり、そこには孔子が考えた、”理想の生き方”が記されている。
孔子の死後、弟子たちが編集した孔子と弟子の言行録。
(『倫理用語集』91ページ 論語 より)
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姓は孔、名は丘、字*は仲尼、魯の国に生まれた。
父は下級貴族に属する勇敢な武将であったが、幼くして両親と死別し、貧窮の中で苦学した。
若い頃は、倉庫番や家畜の飼育係など、下級の役人となった。
(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)
*字:成人してからの名のこと
その後、孔子は教養を身に付けたことで、頭角を現していきます。
(前略)つらい少年時代を送ったが、勉強がすきで、世の中がよくおさまっていたむかしの周の時代のことをよく学んだ。
(『学習人物事典』158ページ より)
当時の貴族の教養とされた詩(宴会の席で音楽の伴奏で歌うもの)、書(古代の王の政治上の訓戒)、礼(礼儀作法)を学び、やがて弟子もあらわれた。
52歳の時に魯の官吏となり、その知識と実力を認められて大司冦(司法長官)になり、大臣として魯の政治に参加した。
(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)
しかし、孔子の政治改革はうまくはいかず、56歳の時に魯の国を離れることになります。
その後は約14年に渡り、弟子とともに訪れた国々で自身が考える理想を説きましたが、必ずしもその理想は受け入れてはもらえませんでした。
孔子は、かれの考え方に賛成してくれそうな国々をたずねて歩きまわったが、こころよくむかえてくれる国もあれば、相手にしてくれない国もあった。
(『学習人物事典』158ページ より)
魯の国に戻ってからの晩年の孔子は、弟子の教育に専念します。
塾を開塾し、自身の考えを広く弟子たちに伝えていきました。
孔子の塾は遠くからも弟子が集まり、その数は3000人にもおよんだという。
(『学習人物事典』159ページ より)
功績:『儒教』の祖
孔子は『儒教』の生みの親であり、その思想は孔子の死後も広く影響をもたらしました。
孔子の教えを継承し、発展させた思想・学派。
(『倫理用語集』88ページ 儒教 より)
74歳で死去したが、その教えは弟子によって継承されて儒教と呼ばれ、漢の時代には官学となり、中国の正統な学問として伝えられた。
(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)
孔子の教えである儒学は、孔子が死んで300年あまりたったころ、前漢の武帝によってみとめられ、〈儒教〉として、政治にたずさわる役人たちがかならず学ぶ学問となった。(中略)
その後、儒教は日本にもつたわって、大きなえいきょうをのこしている。
(『学習人物事典』159ページ より)
(前略)儒教は中国の政治や社会の指導原理として重んじられた。
また、日本や朝鮮・ベトナムにも伝えられ、その政治思想や道徳に影響を与えた。
(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)
思想
孔子が理想とした政治とは、主君と家臣が、また父と子が、それぞれの立場をわきまえ、国や家のまとまりをみださないようにすることであった。(中略)
そのような社会をつくるうえで、人がもたなければならない心がまえを、孔子は「仁」とよび、その「仁」が形になってあらわれたものが「礼」だと考えた。
(『学習人物事典』159ページ より)
仁
孔子の教えの中心的な言葉。
仁という字は「人」と「二」からなっており、人と人の間に自然に生まれる親愛の心を、すべての人におし広めたものである。
(『倫理用語集』88ページ 仁〈孔子〉 より)
なお、孔子は「仁とは何か?」と聞かれた際、「人を愛す」と答えたとされています。
仁は、他者も自分と同じ人間であることを認めて、他者を愛する心であり、他人への思いやり(恕)、自分を欺かない純粋な真心(忠)、自分のわがままを抑える心がけ(克己)などによって養われる。
(『倫理用語集』88ページ 仁〈孔子〉 より)
義
(前略)自分だけの利益や欲に走らない態度が「義」である。
(『学習人物事典』159ページ より)
徳
この「仁」と「義」の心を「徳」ともいい、この「徳」をもって国をおさめれば、法律でしばる政治よりもはるかによく国はおさまる、と孔子と儒家*たちは考えた。
(『学習人物事典』159ページ より)
*儒家:孔子の教えを受け継ぐ思想家のこと
礼
他者を敬う態度やふるまい、礼儀作法、社会規範を意味する。
孔子は、心の内面にある仁が、他者を敬う態度や言動となってあらわれたものが礼であると説いた。
(『倫理用語集』90ページ 礼〈孔子〉 より)
信
他者への誠実な心。
(『倫理用語集』89ページ 信〈孔子〉 より)
孝
親への親愛の心。
(『倫理用語集』89ページ 孝〈孔子〉 より)
【孔子:『論語』】名言一覧集【現代語訳風にその思想を簡単に要約】まとめ
本作:『論語』は、孔子の理想が散りばめられていました。