【孔子:『論語』】名言一覧集【現代語訳風に孔子の思想を簡単に要約】

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名作 【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】

名作:『論語』のご紹介です。

全文ふりがな付きで、現代語訳風にまとめています。一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 内容要約
  2. 孔子の人物像
  3. 参考文献

『論語』の内容要約

内容と作者紹介です。

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人が生きるべき道

万里の長城

元前げんぜんひゃく年頃ねんごろのことである。

ちゅうごく*のくにに、こうというひとがいた。

役人やくにんだったこうは、くにのためにちからくした。

だが、やがてせいあらそいにやぶれ、くにわれてしまう。

そこでこうは、「(立派りっぱ王様おうさまにおつかえしたい…)」とねがい、じゅうねんをかけ、まわりの国々くにぐにをまわった。

ところが、こうつかえたいとおも王様おうさまは、どこにもいなかった。

 

こうもどり、くにつかえるひとそだてるための学校がっこうひらく。

それからこう死後しごこう弟子でしたちが、「先生せんせいことわすれないように」と書物しょもつのこしたのが、「いわく先生せんせいわれた)」ではじまる『ろん』である。つぎのような内容ないようだ。

 

先生せんせいわれた。

むかし名君めいくん*のおこないをまなび、ぶんかんがえ、体験たいけんかさね、やがてそれをぶんける。おなみち目指めざともが、とおくからはるばるたずねてくれることもあるだろう。そんな人生じんせいは、なんとたのしいことだろうか」

ねんしょうしゃは、ていでは親孝行おやこうこうをし、社会しゃかいたら、うえひとしたがうことがなにより大切たいせつだ」

ごとばやくやり、ことひかえめに」

ぶんひとられていないのは、心配しんぱいなことではない。ぶんひとのことをらないことが心配しんぱいなのだ」

なにを、なんのためにするかによって、ひと価値かちまる」

ふるいものからまなび、あたらしいしきよ」

ひとからまなぶだけで、ぶんかんがえなければ真実しんじつえない。ぶんかんがえるだけで、ひとからまなばなければ、ひとりよがりになる」

せいおこなわないのは、ゆうがないからだ」

あさ真実しんじつがわかれば、夕方ゆうがたんでもいはない」

三人さんにんともになれば、それぞれに二人ふたりずつの先生せんせいができたことになる」

ちがった行動こうどうは、けっしててんゆるさない」

 

先生せんせいわれた。

物事ものごとうつりゆく姿すがたは、かわながれのとおりだ。ひるよるながれはまらない」

人間にんげんだれにもちがいはある。ちがいはすぐなおせ。ちがってなおさないことがちがいだ」

ぶんきびしく、ひとにはやさしくしなさい」

 

いつもこころとどめておくべきことは?

このいに先生せんせいこたえられた。

「それはじょだ。じょとは、ぶんいやだとおもうことは、にんにもしてはいけないことだ。じょおもいやりともいう」

すうわるいとっても、かならぶん真実しんじつ調しらべよ。すういとっても、かならぶん真実しんじつ調しらべよ」

目指めざみちちがひととは、たすわなくてもいい。だが、ひとまれれば、ひととともにきるしかない」

先生せんせいであるこうは、こうして『ろん』をかたえた。

(おわり)

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よう説明せつめい

:かつてちゅうごくにあったくにであり、現在げんざいでいう山東さんとうしょうのこと

名君めいくんすぐれた君主くんしゅのこと。なお、君主くんしゅとは、しゅうによってこっとうする最高さいこうひとのことをいう

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話者:孔子

孔子

こう(紀元前551~479年)

古代中国の思想家。

本作:『論語』は約2,500年前に書かれた書物であり、そこには孔子が考えた、”理想の生き方”が記されている。

孔子の死後、弟子たちが編集した孔子と弟子の言行録。

(『倫理用語集』91ページ 論語 より)

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姓は孔、名はきゅうあざな*はちゅうの国に生まれた。

父は下級貴族に属する勇敢な武将であったが、幼くして両親と死別し、ひんきゅうの中で苦学した。

若い頃は、倉庫番や家畜の飼育係など、下級の役人となった。

(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)

*字:成人してからの名のこと

その後、孔子は教養を身に付けたことで、頭角を現していきます。

(前略)つらい少年時代を送ったが、勉強がすきで、世の中がよくおさまっていたむかしのしゅうの時代のことをよく学んだ。

(『学習人物事典』158ページ より)

当時の貴族の教養とされた詩(宴会の席で音楽の伴奏で歌うもの)、書(古代の王の政治上の訓戒)、礼(礼儀作法)を学び、やがて弟子もあらわれた。

52歳の時に魯の官吏となり、その知識と実力を認められてだいこう(司法長官)になり、大臣として魯の政治に参加した。

(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)

しかし、孔子の政治改革はうまくはいかず、56歳の時に魯の国を離れることになります。

その後は約14年に渡り、弟子とともに訪れた国々で自身が考える理想を説きましたが、必ずしもその理想は受け入れてはもらえませんでした。

孔子は、かれの考え方に賛成さんせいしてくれそうな国々をたずねて歩きまわったが、こころよくむかえてくれる国もあれば、相手にしてくれない国もあった。

(『学習人物事典』158ページ より)

魯の国に戻ってからの晩年の孔子は、弟子の教育に専念します。

塾を開塾し、自身の考えを広く弟子たちに伝えていきました。

孔子のじゅくは遠くからも弟子でしが集まり、その数は3000人にもおよんだという。

(『学習人物事典』159ページ より)

功績:『儒教』の祖

孔子は『じゅきょう』の生みの親であり、その思想は孔子の死後も広く影響をもたらしました。

孔子の教えを継承し、発展させた思想・学派。

(『倫理用語集』88ページ 儒教 より)

74歳で死去したが、その教えは弟子によって継承されて儒教と呼ばれ、漢の時代には官学となり、中国の正統な学問として伝えられた。

(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)

孔子の教えである儒学じゅがくは、孔子が死んで300年あまりたったころ、前漢ぜんかんていによってみとめられ、〈じゅきょう〉として、せいにたずさわる役人たちがかならず学ぶ学問となった。(中略)

その後、儒教は日本にもつたわって、大きなえいきょうをのこしている。

(『学習人物事典』159ページ より)

(前略)儒教は中国の政治や社会の指導原理として重んじられた。

また、日本や朝鮮・ベトナムにも伝えられ、その政治思想や道徳に影響を与えた。

(『倫理用語集』89ページ 孔子の生涯と思想 より)

思想

こうそうとしたせいとは、主君としんが、また父と子が、それぞれの立場をわきまえ、国や家のまとまりをみださないようにすることであった。(中略)

そのような社会をつくるうえで、人がもたなければならない心がまえを、孔子は「じん」とよび、その「仁」が形になってあらわれたものが「れい」だと考えた。

(『学習人物事典』159ページ より)

孔子の教えの中心的な言葉。

仁という字は「人」と「二」からなっており、人と人の間に自然に生まれる親愛の心を、すべての人におし広めたものである。

(『倫理用語集』88ページ 仁〈孔子〉 より)

なお、孔子は「仁とは何か?」と聞かれた際、「人を愛す」と答えたとされています。

仁は、他者も自分と同じ人間であることを認めて、他者を愛する心であり、他人への思いやり(恕)、自分を欺かない純粋な真心(忠)、自分のわがままを抑える心がけ(克己)などによって養われる。

(『倫理用語集』88ページ 仁〈孔子〉 より)

(前略)自分だけのえきよくに走らないたいが「」である。

(『学習人物事典』159ページ より)

この「仁」と「義」の心を「とく」ともいい、この「徳」をもって国をおさめれば、法律ほうりつでしばる政治よりもはるかによく国はおさまる、と孔子とじゅ*たちは考えた。

(『学習人物事典』159ページ より)

*儒家:孔子の教えを受け継ぐ思想家のこと

他者を敬う態度やふるまい、礼儀作法、社会規範を意味する。

孔子は、心の内面にある仁が、他者を敬う態度や言動となってあらわれたものが礼であると説いた。

(『倫理用語集』90ページ 礼〈孔子〉 より)

他者への誠実な心。

(『倫理用語集』89ページ 信〈孔子〉 より)

親への親愛の心。

(『倫理用語集』89ページ 孝〈孔子〉 より)

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【孔子:『論語』】名言一覧集【現代語訳風にその思想を簡単に要約】まとめ

本作:『論語』は、孔子の理想が散りばめられていました。

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参考文献

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