【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
童話:『ごんぎつね』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- ごんぎつねのあらすじ要約
- あらすじの意味と解釈、考察
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
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『ごんぎつね』のあらすじを簡単に短く【読み聞かせOKの要約版】
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:ある一匹の子ぎつねが見せた思いやり
昔、人里離れた山の奥に、”ごんぎつね”という子ぎつねがいました。
ごんはいつもひとりぼっちです。
いつもは森の中に穴を堀ったところに住んでいましたが、それ以外の時間には、あたりの村へ出てきては、いたずらばかりする毎日でした。
昼でも夜でも、いたずらばかりをして、色んな人を困らせていたといいます。
そんなある秋のことです。
二、三日降り続いた雨がようやくあがった日、ごんは川まで出ていきました。
そこでは、兵十という名前の人が、腰まで水につかった状態で、一生懸命、網で魚をとっていました。
かごの中には、そんな兵十がとった魚がたくさん入っています。
そこでごんは、いつものように、いたずらをしてやろうと考えます。
兵十が少し離れたすきに、かごの中に入っていた魚を、ポンポンと川へ投げ捨ててしまったのです。
かごの中にはうなぎも入っていました。
ごんは頭をかごの中につっこみ、その太いうなぎの頭を口にくわえます。
そのとき、「コラ!ドロボーぎつねめ!!」と兵十の怒鳴り声が聞こえてきました。
ごんはびっくりして、うなぎに首を巻き付かれたまま逃げ出しました。
それから十日ほどたったある日のことです。
村で兵十の母親の葬式がありました。
その様子をたまたま見ていたごんは、どうやら自分のいたずらが、兵十の母親を死なせてしまったのだと考えます。
「死んだのは兵十の母親か…そうか、兵十は病気で寝込んだ母親のために、川でうなぎをとっていたんだ。それなのに自分がいたずらをしたから、母親はうなぎを食べられず、死んでしまったに違いない…あんなこと、しなければ良かった…」
ある日、兵十を物置の後ろから見ていたごんは、「兵十は自分と同じひとりぼっちか…」と思いました。
ごんは償いに、入口に栗を置いて帰りました。
次の日も、その次の日も、またその次の日も。
その日のごんは、栗を持って、兵十の家の中へこっそり入りました。
そんなあるとき、外の物置にいた兵十がふと顔をあげると、一匹のきつねが家の中に入ったことに気づきます。
「あのごんぎつねめが…またいたずらをしにきたな…ようし…」
兵十は立ち上がり、火縄銃に火薬をつめます。それからごんに気づかれないよう近寄りました。
そして、今まさに戸口を出ようとするごんを、『ドン!』と火縄銃でうちました。
『バタリ…』とごんがその場で倒れます。
兵十が近づき家の中を見てみると、そこには栗が置いてあることに気づきます。
兵十はびっくりしてごんを見ました。
「ごん、お前だったのか…いつも栗をくれたのは…」
ごんはぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をその場でバタリと落とします。
火縄銃からは、青い煙がまだ、筒口から細く出ていました。
(おわり)
作者:新美南吉
作者:新美南吉(1913~1943年)
現在の愛知県半田市に生まれた後、児童文学作家として活躍。
本作:『ごんぎつね』はそんな作者が18歳のとき(1932年(昭和7年))に発表された作品になります。
新美南吉の十八歳のときの作品であり、『赤い鳥』に掲載された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』100ページ ごん狐 より)
子供の頃から創作活動に意欲的で、半田中学校に在学していた14歳の頃から、童話や童謡、小説、詩、俳句、劇作などの創作をしていました。
十四歳の頃から、童話や童謡を盛んに創作し始めた。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』20ページ 新美南吉 より)
その後、半田小学校の代用教員をしながら、復刊した児童雑誌:『赤い鳥』に投稿。童話4編、童謡23編が掲載されます。
上京して東京外国語学校を卒業してからは、安城高等女学校で教員などの仕事をしながら、数々の作品を発表し続けました。
作品:1,500を超える作品を残した
(前略)童話の他、童謡、小説、戯曲、詩、俳句、短歌など、千五百を超える作品を残した。
それは、創作を始めたのが早かったおかげといえよう。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』20ページ 新美南吉 より)
その他の代表作の一部
当サイトでご紹介させていただいたその他の代表作の一覧です。
作風:善意溢れる詩情を讃えた作
庶民の子どもの生活や喜び、悲しみを、物語のなかにたくみにとけこませて、ユーモアのある独特な語りくちで、清潔で善意あふれる詩情をたたえた作である。
(『学習人物事典』332ページ より)
評価:1960年代に評価され始めた
生前にはあまりみとめられなかったが、1960年代にいたって評価されはじめ、『新美南吉全集』全8巻が出版された。
(『学習人物事典』332ページ より)
『ごんぎつね』のあらすじの意味と解釈、考察
童話:『ごんぎつね』のあらすじの意味と解釈、そして考察です。
物語への理解を深める参考にしていただければと思います。
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注:ここからの情報は自分の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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原文の結末でごんは「うれしくなりました」と話している
まず本作の原文の結末では、ごんは兵十にうたれた後、「うれしくなりました」と話しています。
これはおそらく、ごんが抱いていた償いの気持ちが、最後に兵十に伝わったことに対して、嬉しくなったのだと考えられます。
『ひとりぼっち』の境遇に共感
またあらすじにあるように、普段のごんは、山奥にひとりぼっちで生活しています。
そのため、ごんには後に母親を亡くすこととなった兵十の辛い気持ちに、少なからず共感できる側面があったように考察します。
そしてもっというなら作者の新美南吉さんは4歳のとき、自身の母親を亡くされています。
よってもしかしたらそのことも、本作のあらすじに反映されている側面があったのかもしれません。
『ごんぎつね』と学校教育
最後は童話:『ごんぎつね』の学校教育にまつわる情報です。
小学4年生の教科書に掲載
まず本作は小学校4年生の教科書に掲載されたことがあるようです。
全ての教科書会社の、小学四年生の教科書に採録された。
その意味でも、「ごん狐」は国民的な童話といえる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』100ページ ごん狐 より)
本作が小学4年生の教科書に掲載されていたことは、塾講師をしていた自分の経験上でも、そうだった気がしています(曖昧な記憶)。
とはいえ、”すべての”教科書会社が対象だったことには驚きでしたが。
実際に行われた指導例:『場面ごとに、ごんや兵十の気持ちを想像』
なお、実際の学校教育の現場では、本作は『ごんや兵十の気持ちを想像してもらう』といった指導に結び付けられていたようです。
授業では、それぞれの場面ごとに、ごんや兵十の気持ちを想像させるといった指導が行われた。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』100ページ ごん狐 より)
本作はごんや兵十の気持ちが場面ごとに刻々と変化していました。
よってそんなごんや兵十の気持ちを本作から想像することには、少なからず考えを巡らせることが求められそうです。
もっとも、いきなりごんや兵十の気持ちが思い浮かばない場合は、まずは”喜怒哀楽”のどれに当てはまりそうかを考えてもらい、それからごんたちの気持ちを考えてもらうことも一つの案なのではないか…と個人的には思いました。
作者の故郷:半田市の小学校では研究発表会が実施by名取弘文さん
神奈川県の藤沢市立鵠沼小学校教諭(当時)の名取 弘文さんは、自身の経験を交えつつ、本作のことを次のように話して下さっていました。
『ごんぎつね』は新美南吉が一九三二年に発表した作品です。(中略)
教員たち、とりわけ文学教育に力を入れている教員に強く支持されている作品で、新美南吉の生まれた半田市の小学校では、継続的に新美南吉作品の読み方・読ませ方といった研究発表会が行われているほどです。
(『童話学がわかる』99ページ より)
(自分は愛知県出身ですが、この話は初耳でした)
『ごんぎつね』のあらすじを簡単に短く【読み聞かせOKの要約版】まとめ
童話:『ごんぎつね』は、一匹のきつねが見せた、償いと思いやりの物語が描かれていました。