【『思考実験』一覧】怖い9例&面白い10例を超厳選【クイズ形式でわかるパラドックスの世界】
思考実験:『臓器くじ』をご紹介させていただきました。
一つの参考にして下さいませ。
- 目的や内容
- 賛否の事例
- 考察
- 参考文献
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『臓器くじ』の思考実験
では、まずは『臓器くじ』の概要をご紹介させていただきます。
応用倫理学者:ジョン・ハリスが提唱した、正義が問われる問題
まず『臓器くじ』とは、一言でいうと、『正義が問われる思考実験』です。
イギリスの応用倫理学者:ジョン・ハリスが提唱しました。
なお、この『臓器くじ』は『サバイバル・ロッタリー』とも呼ばれています。
(前略)読者を未来のあるユートピア世界に案内することにしよう。
その世界の基本的制度を「サバイバル・ロッタリー」と言う。
直訳すれば「生存のくじ引き」である。
(『現代倫理学入門』30ページ より)
『トロッコ問題』とも類似点がある思考実験です。
【『トロッコ問題』の問題文】「どっちが多いか?」の答え【85%以上の人は〇〇を選ぶ】
問題は次のようなものでした。
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「あなたは未来の世界で病院の医師をしている
あるとき、あなたは目を覚ますと、未来の世界にいました。
その世界であなたは、病院の医師をしています。
そこには臓器提供を待つ5人の患者がいた
病院には、臓器提供を待つ5人の患者がいました。
患者たちは臓器提供がなければ命がない
患者たちは、それぞれが別の臓器を必要としています。
臓器提供がされなければ、患者たちは全員がまもなく命を落としてしまうでしょう。
その世界には『臓器提供者をくじ引きで選ぶ制度』が存在」
そこでこの未来の世界では、次の制度が存在していました。
臓器提供者を完全にランダムなくじ引きにより、健全な市民から選ぶ
Q:この制度は許されるだろうか?
では、問題です。
「この制度は許されるでしょうか?」
以上が、『臓器くじ』の思考実験になります。
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前提:くじ引きは完全にランダム
なお、繰り返しになりますが、くじ引きは前提として、完全にランダムで行われます。
よって臓器提供者に選ばれるのは政治家かもしれませんし、犯罪者かもしれません。
もちろん医師であるあなたになる可能性もあります。
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『臓器くじ』を『功利主義』から考える
思考実験:『臓器くじ』には、絶対の答えが存在しません。
とはいえ、よくなされる考えとしては、『功利主義』に照らした考えがあります。
行為の善悪の判断を、その行為が快楽や幸福をもたらすか否かに求める倫理観。
(『倫理用語集』226ページ 功利主義 より)
なお、この思考実験の提唱者である応用倫理学者:ジョン・ハリスは、『功利主義』を中心とした考えに定評があります。
よってここでも『功利主義』の観点から、この思考実験の賛否をご紹介させていただくこととします。
賛成意見の例:「5人を救う方が幸福の割合が最大化する」
まず考え得る賛成意見としては、
「5人を救う方が、1人を救うより、幸福の割合が最大化する」
との意見です。
道徳的な判断を”数”によって決しようとするこの考えは、まさに『功利主義』の考えそのものです。
イギリスの哲学者:ジェレミー・ベンサムの考えに通じています。
イギリスの道徳哲学者であり法制改革者でもあったベンサムは、功利主義の理論を確立した。
その中心概念は簡潔で、直観に訴えかけてくる。
それは、道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の全体的な割合を最大化することだというものだ。
ベンサムによれば、正しい行ないとは「効用」を最大にするあらゆるものだという。
効用という言葉によって、ベンサムは快楽や幸福を生むすべてのもの、苦痛や苦難を防ぐすべてのものを表わしている。
(『これからの「正義」の話をしよう』61ページ より)
反対意見の例:「個人の権利を尊重していない」
しかし、言うまでもなく、誰もが功利主義的な判断に納得できるわけではありません。
「個人の権利を軽視した判断はいけない」
という反対意見を持たれる方もいるはずです。
実際、功利主義的な考えには、この手の批判が常に存在しています。
多くの人が指摘するように、功利主義の最も目につく弱みは個人の権利を尊重しないことだ。
満足の総和だけを気にするため、個人を踏みつけにしてしまう場合がある。
功利主義者にとっても個人は重要である。
だがその意味は、個人の選好も他のすべての人びとの選好とともに計算に入れるべきだということにすぎない。
したがって、功利主義の論理を徹底すると、品位や敬意といったわれわれが基本的規範と考えるものを侵害するような人間の扱い方を認めることになりかねない。
(『これからの「正義」の話をしよう』65、66ページ より)
『臓器くじ』の思考実験問題まとめ
繰り返す通り、思考実験:『臓器くじ』には、絶対の答えが存在しません。
しかし、答えがないからといって、考える意味がないわけではありません。
少なくとも、答えが出ない問いへの判断基準を定めるうえでの一助にはなるのではないでしょうか。
そしてそのためには、各々が考えを巡らせ、各々の価値基準を照らし合うことが大切になってくるのかもしれません。
参考文献
このページをつくるにあたり、大いに参考にさせていただきました。
ありがとうございました。