とある保護者
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トモヤ
『公文に合わない子供』の特徴を、ランキング形式でまとめました。
公文と進学塾で100人以上の子供と接してきた自分の経験を元に、公文式経験者の方々などの声もご紹介させて頂きました。参考にどうぞ。
- 公文に合わない子供の特徴ランキング
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公文に合わない子の特徴ランキング11【リアルな証言アリ】
当てはまる子供が多いであろう順にお伝えさせて頂きます。
<1>勉強の勘が良くない子
まずは『勉強の勘が良くない子』です。
このことは公文に通っていた経験のある京大生:磯田美奈子さん(仮名)も、同じことを次のように語っています。
「どんどん先に進めるから、できる子にとってはいい。余計なものが一切ない無機質な教材であることが、純粋に先に進むのが楽しい子供には合う。
一方で、勉強の勘が悪い子供には向いていないのではないか」というのが現在の磯田さんの公文式への評価である。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』36ページより)
この理由を磯田さんは、自身の経験を踏まえながら、『講師が積極的に教えない公文式学習』にあったと振り返ります。
算数・数学が苦手だった。
説明は一切なく、プリントにある例題を参考にして同じように解いてみるというのが公文式のやり方。
例題を見ても意味がわからないときはあてずっぽうでやるしかなかった。
何度やっても当然不正解。「早く解説が見たい」と思うことが多かった。
おかげで早い段階から算数・数学への苦手意識が植え付けられてしまった。それは公文式を続けても、最後まで拭えなかった。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』36ページより)
最終的に磯田さんは、公文での経験が大学受験に活きた面はあるとしつつも、公文を辞めることとなりました。
紛れもなく『公文が合わなかった』ことの一例でしょう。
とはいえ、これは公文で講師をしていた自分の経験上でも、思い当たることがいくつもあります。
公文は講師が手取り足取り教える塾ではないため、子供たちは目の前の問題を、例題や今までに自力で解いた問題を元に、あくまで自主的に解かなければいけません。
そのため、『勉強の勘が良くない子』というのは、どうしてもできるまでに時間がかかります。
もちろん『『勉強の勘が良くない子』が、公文に必ずしも合わないとまでは言い切れません』が、少なくとも結果が出るまでにより時間がかかることは事実です。
「ご自身のお子さんはどうでしょうか?」
初見の問題であっても、勘の良さを頼りに、スラスラ解いてしまえるでしょうか?
もしそうでないのなら、お子さんは公文に合わないのかもしれない…可能性があるということです。
<2>競争心が低すぎる子
続いてはお子さんの性格に左右されることですが、『競争心が低すぎる子』です。
『できる子はどんどん先に進んでいける』ことは、さきほどお伝えした通り、公文式学習の特徴の一つとなっています。
しかし、これは裏を返せば、『できない子はどんどん周りに置いていかれ、複雑な思いをする可能性がある』ともいえます。
こういった状況は負けず嫌いな子供であるならまだしも、あまりにも競争心が低すぎる場合、勉強へのやる気を失うことにつながりかねません。
自分の経験上、特に仲の良い友達、または兄弟同士が同じ教室に通っている場合は要注意。過剰な競争心、過剰な劣等感を生む可能性があります。どちらに転ぶかは予想がつきません。
とはいえ、自分がいた公文の教室では、このことを嫌ってわざわざ少し遠くの教室に通われていた方もいました。
兄弟の話でいうならば、兄弟で公文に通い始めたものの、弟の方が先に進んでしまい、兄がやる気をなくしてしまった…というパターンも見たことがあります。
もちろん純粋に先に進むことが面白い子もいるため、必ずしも競争好きな面が公文で必要なわけではありません。
ですが、公文式学習には、人との競争心を少なからず刺激する面があることは事実でしょう。
このことについて教育ジャーナリスト:おおた としまさ さんは、『公文の恩恵を受けた経験者には、競争好きの面があった』ということを、著書のなかでおぼろげながらに振り返っています。
公文式経験者と話をしていると、「自信が付いた」「コツコツ学習する習慣が付いた」というフレーズがよく出てくる。公文式で得られるものは、単に処理能力だけではなさそうだ。
性格的には「競争好き」も共通しているように見える。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』45ページより)
競争心が低すぎる子供にとって、公文は最適な場所ではないのかもしれない…ということです。
<3>応用問題を効率よく解く必要がある子
これは中学受験の予定がない小学生などのお子さんであれば関係がない話にはなりますが、『応用問題を効率よく解く必要がある子』も、公文には合いません。
理由についてはいくつかありますが、代表的なこととしては、繰り返す通り、公文は講師から問題の解き方や解法のテクニックなどを教わるわけではないことが挙げられます。
以下は実際に公文を経験した現役東大生たち(出版当時)の証言です。
公文式をやっていたおかげで基本的なことは全部わかっているんですよ。
どういう問題が出ても、基本問題までは難なくできるんですが、応用問題になったときに手が止まるんです。
大学受験の数学だと、基本的な定理を利用できるのは大前提で、そこから応用的なものを導いていくという形になりますよね。先ほど言ったように、公文式はあまり考える力を養わないじゃないですか。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』30ページより)
同じく公文に通っていた経験がある東大医学部生(出版当時)も、『中学校に入ってから代数の計算問題は難なく解けるのに、幾何をまったく理解できなくて焦って塾に通い始めた』と証言しています。
こういった話は何も算数・数学だけに限りません。
計算能力はもちろん、英語だと文法を考えないでもわかるようになるまでひたすら練習するという感じでした。たとえば現在完了だったら現在完了の練習をずっとやっていくと、自然にそれが頭に叩き込まれて、悪い面というと、その裏返しです。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』26ページより)
ちなみにここで引用させて頂いた東大生の全員が、『公文式に通っていなかったら東大に入れたと思いますか?』という質問には、全員が否定的でした。
全員が公文の良さを挙げながらも、公文が直接的に東大合格に役立ったとは思っていないようです。
もちろんこれらはあくまで一つの意見ですし、実際に自分が知る限りでは、公文に通っていても応用問題を難なく解けるようになるお子さんもいます。
とはいえ、『応用問題を効率よく解くこと』をはじめとした、高いレベルのことを身につけようとするのであれば、公文で勉強することが最適だとはまったく思えません。
東大合格者ランキング上位の常連である某名門校の数学教師・亀谷信二さん(仮名)は以下のように話します。
学校のクラスでは、公文式で先取りしている分、みんなより簡単に解けてしまいます。
満点を取れてしまう。
でも、実際には、一度やったことを再現できるようになっただけ。
この、簡単に満点を取れてしまうという成功体験が、中学校以降とても厄介なものになる。
勉強の難易度が上がり、満点を取ることを前提にできなくなり始めても、この強烈な成功体験があるせいで、再現できるようにする、解き方を覚える、という勉強方法を変えることができなくなるからです。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』155ページより)
ちなみに冒頭で自分は、中学受験の予定がない小学生などのお子さんであれば関係がない話とお伝えしました。
その大まかな理由についても、亀谷さんが以下のように代弁してくれています。
小学校までは真面目ささえあれば、なんとかなります。
点数に表れるのは再現する力止まりだからです。
でも中学校や高校での学びはそれでは続きません。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』155ページより)
応用問題を効率よく解く必要性がある子供にとって、公文は最適な環境とはいえません。
<4>静かな場所でないと集中できない子
またこれは教室によりけりですが、『静かな場所でないと集中できない子』というのも、公文には合わないかもしれません。
繰り返す通り、公文は講師が付きっ切りで指導する塾ではありませんし、個別に授業時間が決まっているわけでもありません。生徒は自主的に、好きな時間に教室にやってきて、勉強を始めます。
なので時間帯によってはどうしても騒がしくなってしまうことはあります。
もちろん指導者側は注意はしますが、それでも自分がいたような100人以上もの生徒が通う規模の教室だと、どうしてもザワザワしてしまうこともありました。
当時の生徒のなかには、耳栓をしながら勉強している生徒もいました…。もちろん本人には『申し訳ない…』ことを伝えていましたが、静かな場所で勉強することに慣れたお子さんだと、公文の環境は合わないかもしれません。
<5>必要以上に理解したがる子
『必要以上に理解したがる子』も、公文には合わないかもしれないです。
公文は『『質』よりも『量』』、『『わかる』より『できる』』に重きを置いた、頭ではなく体で理解する塾です。
小・中学校で6年に渡り学校教師を務めた後、公文の教室長となった清水寿美子さん(当時)は、公文と学校の違いを以下のように語っています。
学校は「わかる」で、公文式は「できる」だった。
(『子どもの”自学”する力を育むKUMON』35ページより)
学校では、なぜそうなるかを理解させてきた。
しかし公文式では、できることが先に来るのだった。
理屈よりもまず体で覚えようとする公文式は、教師をしていた自分から見れば合点がいかなかった。
(『子どもの”自学”する力を育むKUMON』35ページより)
とある生徒
自分が公文で講師をしていたとき、上記のように、勉強するうえで浮かんできた色んな疑問をその都度、理解したがる生徒がいました。
言うまでもなくこういった考えや疑問を持つことは大切です。
しかし、公文式学習は『『わかる』より『できる』』を重視しているため、こういった考えや疑問を持つことは、むしろ足かせになり得ます。
ここでも教育ジャーナリスト:おおた としまさんは次のように語っています。
また、公文式は、説明が必要なことを一切教材から排除した。
学習から「理解」という概念を消去した。理解する喜びの代わりに、先に進む達成感を、報酬として設定した。だから理解力の乏しい子供でも、とにかくひたむきに取り組めば、学習から疑似的に快感を得られる。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』190ページより)
賛否のある意見かもしれませんが、自分は的外れとは思いません。
公文で勉強するのであれば、『『わかる』より『できる』』の姿勢が大切です。もしそれができないのであれば、そのお子さんは公文には合わないかもしれません。
<6>すでに基礎学力と自主性が身についている
『基礎学力と自主性が身についている子供』も公文には合わないかもしれません。
そもそも繰り返す通り、公文は講師に手取り足取り教えてもらうことなく、自学自習するところになります。
そのため、子供が勉強する公文式教材プリントは、あくまで子供が自力で解けるように易しめに作られた内容ばかりです。このことはさきほどもお伝えした、公文を経験した現役東大生たち(出版当時)の証言にもありました。
公文式をやっていたおかげで基本的なことは全部わかっているんですよ。
どういう問題が出ても、基本問題までは難なくできるんですが、応用問題になったときに手が止まるんです。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』30ページより)
この理由について、上記を証言した現役東大生は、『公文はあまり考える力を養わない』としています。
『公文で思考力(考える力)は伸びないのか?』公文と進学塾で講師だった自分の答え【完全版】
とはいえ、ここで自分が言いたいのは、『公文は基礎学力と自主性が身についている子供にとって退屈な場所になるのでは?』ということです。
もしこのことに身に覚えがあるなら、公文は勉強するのに最適な場所とはいえないかもしれません。
<7>学校の成績を今すぐに上げたいと思っている
『学校の成績を今すぐ上げたいと思っている子供』にとって、公文は合いません。これは断言できます。
理由はいくつかありますが、代表的なことは以下のようなことが挙げられます。
- 必ずしも学校で勉強していることを公文でもやるわけではない
- 教えることに長けた講師が教えるわけではない
- 学校のテスト対策は一切できない
もちろん公文で一生懸命勉強を続ければ、結果として学校の成績が上がる可能性はあります。
しかし、自分が見てきた限りだと、多くの場合はジワジワとしか結果は出ません。あくまで『今すぐ』成績を上げたい方には、やはり公文はおすすめできません。
<8>学校でトップクラスの成績が取りたい
『学校でトップクラスの成績を取りたい子供』にとっても、公文はふさわしい場所とはいえません。
特にこのことは自分が見てきた限りだと、子供の学年が上であればあるほど、公文での頑張りが学校の成績に反映されづらくなります。
理由については、3つ目でお伝えした東大生たちの証言や、亀谷さんの考えにも通ずることです。
『公文式学習は問題から答えを『考えるというよりも、再現すること』に特徴』があるからです。
『公文で思考力(考える力)は伸びないのか?』公文と進学塾で講師だった自分の答え【完全版】
『ちょっと頭をひねらないと解けない問題に対して、手が止まってしまう…』というのは、公文の生徒やその保護者の方々がよく口にすることです。
実際に自分も進学塾で講師をしていたとき、公文から転塾してきた生徒にこの傾向がよく当てはまりました。
また『公文のなかではすごく勉強ができる生徒が、学校では平凡な成績だった…』なんてことも少なくありません。自分は何人も見たことがあります。
もちろんこれらの話は、子供が通う学校のレベルや、子供の学年などによっても変わってきます。必ずしも当てはまることではありません。
しかし、最低でも今回の内容にすべて目を通して下されば、学校でトップクラスの成績を取りたい子供にとって、公文が適切な場所であると言い切れる方はいないはずです。
公文はあくまで平均よりもちょっと上の学力を身につける場所…と思っておいた方が、悩むことは少なくなると思います。
<9>算数の図形と文章題を勉強したい子供
これは公文で算数を勉強する場合に限った話になりますが、『算数で計算以外のことを勉強したい子供』にとっても、公文は合いません。
理由は以下の通りで、公文の算数は計算中心だからです。
- 図形問題が一切ない
- 文章問題もほとんどない
【公文の算数まとめ】公文の講師だった自分が伝えてきた公文式算数(数学)のすべて
<10>外向的な子供
公文式指導者:島田隆子さん(仮名)は次のように話します。
「公文を長くつづけられる子はオタクだものね」と、指導者の仲間うちでは冗談で言っているんです。
あまり人とかかわることが好きじゃない子のほうがおおかたつづくんです。
(『危ない公文式早期教育』109ページより)
辛らつな意見ではあるものの、つまりは逆説的にいうと、『外向的な子供』は続かないとも捉えられます。
自分の経験上、このことは必ずしも当てはまるわけではありません。
ですが、今振り返ってみると、公文で長く勉強していた子供は大人しい性格の子が多かった気がしなくもありません。
公文は基本的に誰の助けも借りず、自主的に、かつ真面目にコツコツやることが求められるため、もしかしたらそのことも影響するのかもしれません。
<11>勉強が好きな子供
最後は最も賛否があるかもしれません。
『勉強が好きな子供』です。このような子供も公文には合わない…こともあり得ます。
というより、『もったいない』という言葉の方が適切かもしれません。そう考える訳は次の通りです。
- 何度も似た問題を繰り返す
- 3教科しか勉強できない
- 学校の内容が網羅されていない
公文は学年に捉われずドンドン先に進めることが特徴です。
そのため、公文は勉強好きには良いという意見があることも十分理解しています。
ですが、上記の通り、公文で勉強できる内容は限定的な面があることも否定できません。
つまり公文には、学年に捉われずに先に進めるという幅広い一面がある一方で、その一つひとつの奥深さに欠ける面もあるということです。
繰り返す通り、自分は公文の他に進学塾でも講師をしていたので、公文から進学塾に移ってきた生徒も何名かいました。
そのなかに、『公文は退屈だった』と言っていた生徒がいたのは、今でも印象に残っています。もちろん子供によりけりな話ではあるものの、考慮すべき内容であることは事実でしょう。
公文に合わない子供か見極めるうえで知っておきたいこと
最後はこの手の話をするうえで意外と見落としがちなことについてです。念のためお伝えさせて頂きました。
公文ではなく、その教室が合わないだけかも
まず前提として、公文はどの教室も共通した理念の基、運営されています。
しかし、それでも『教室によって『独自の色がある』ことも事実』です。
2人の息子を公文の複数の教室に通わせていた佐藤和美さん(仮名)は、次のように話します。
公文式に対しては全幅の信頼を寄せる。
ただし、これまで複数の教室に通った経験から、指導者の考え方や進め方による格差のようなものがあるのは事実とも言う。
(『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』137ページより)
自分も公文での講師時代の研修や、公文式指導者をしている知人の存在などから、教室に『独自の色がある』ことをこの目で何度も確認してきました。
つまりここで言いたいのは、『もし自分の子供が公文に合わないと感じたとしても、それは公文ではなく、その教室が合わないだけなのかもしれない』ということです。
意外と見落としがちなことですが、この手の話を考えるうえでとても大切な視点になります。
自分が公文で講師をしていたときも、『とある特定の教室(厳密にいうと指導者)が合わなくて教室を変えた結果、不満が解消された』という保護者の方を何名か見たことがあります。
なので今回のテーマである『公文に合わない子供』からはやや話が逸れてはしまいますが、もし『自分の子供は公文に合わないのだろうか…?』という疑問がわいた方は、このことも頭の片隅に置いて下さればと思います。
公文が合わない子のまとめ
公文は何かと特徴的なところがある塾になります。
公文と進学塾で数百人もの生徒を見てきた自分の経験から思うのは、公文は子供によって合う、合わないがハッキリするところだということです
もちろんたとえ今回お伝えしたような内容に当てはまっていたとしても、公文の恩恵を受けた子供も数多いでしょう。
今回の内容をどう捉えるかは人それぞれです。自分としては、今一度、公文ならびにお子さんのことを考える一助として頂ければ、嬉しく思います。
それでは。
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