『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』という本を読みました。
公文の全容に迫っていく一冊となっており、公文を経験した東大生から保護者、進学塾や有名塾の講師などの証言や、関連書籍や文献の内容を一冊にまとめたような本でした。
ちなみに本書のタイトルの理由は、教育ジャーナリストの著者が別件取材を通して以下のことに気づいたことがきっかけとのこと。
・東大受験指導の専門塾である鉄緑会(てつりょくかい)出身の東大医学部生の3人に1人が公文式経験者
・さらに現役東大生100人を調査したところ、3人に1人の34人が公文式経験者
なので僕自身、本書を読み始めたばかりのときは、公文と東大生の関係が延々と語られているものとばかり思っていました。
ですが、実際は公文の良し悪しや仕組みの話が中心。
公文について理解を深めたいすべての方におすすめできる本です。
ただそれでも、公文や進学塾で講師をしていた僕としては、本書の内容には『うーん…』と思うところもありました。
そこで今回は、そういったことも踏まえつつ、本の内容を振り返らさせて頂きます。
- 本書を読む価値
- 公文の元講師として指摘しておきたい間違い
- 本を読む上での注意点
- 著者の紹介
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『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』を読む価値は6つ
まずはじめにこの本を読む価値は間違いなくあります。
僕は公文をテーマにした本はほぼすべて読みましたが、この本にしか書かれていない内容がたくさんあったからです。
それどころか、公文がこの世に存在する限り、本書は後世に残していく価値があるとすら感じています。
理由は6つです。
[1]約60もの公文の良し悪しが紹介されている【進学塾の講師や公文式経験者たちなどが証言】
冒頭でも軽くお伝えした通り、本書には公文の良し悪しが関係者の証言を中心にまとめられています。
それも60にも迫る量です。
証言しているのは、公文を経験した東大生などの学生から保護者、進学塾や有名塾の講師、公文式関係者などなど。
つまりどれも公文や教育事情にくわしい方々からの意見になるというわけです。
単なるアンチ公文の方々の理由なき主張ではではありません。
なので個人的にも、読んでいて思わず納得してしまう意見も多々ありました。
ちなみにその本書で語られていた公文の良し悪しのすべては以下になります。
ネタバレになるので詳細までは触れませんが、一つでも真偽が気になる項目があれば、本書を見てお確かめ下さいませ。
- 思考力が伸びない
- 試行錯誤が苦手になる
- 社会で生き抜く力が十分に養われない
- 一度解いた問題以外を解くことが苦手になる
- AIが発達するこれからの時代に合った能力は身につかない
- 指導が楽な分野しか教えていない
- 公文に通って低学年でずば抜けて成績が良くても、次第にだんだんと成績が落ちていくのを何例も見た
- 親の支援が必要
- 指導者の質に左右される
- 子供によって合う合わないがある
- 解き方を暗記するだけ
- 旧態依然とした面がある
- 計算力の割に思考力が未熟になる恐れがある
- 講師に教えてもらえない
- 先取りしたけど忘れてしまった
- 本質理解より手順記憶が重視
- パターン学習を重視しており、正答できても理解していない
- 応用問題で手が止まる
- 暗記で結果を出した成功体験が将来ジャマをするかも
- 公文だけだと得られる学力に限界がある
- 学べることが汎用性に乏しい
- 学習単元が少ない
- 早く解くことにこだわり、見直しをしなくなる
- 問題を解く過程より、次の問題に興味がいく
- 〇Xだけに関心が集中
- 基本は学べるが基礎は学べない
- 学校の学習カリキュラムに沿って学べない
- 速さが求められるので、じっくり考える時間がない
- 理解を深める楽しさが得られない
- 計算だけに特化しており、受験に即座には役立たない
- 自信過剰になる
- 字が雑になる
- 英語は上のほうの教材になると文章を写すだけ
- 解答欄が狭い
- 方程式という便利な道具に頼ってしまう
- 100点を取らないと先に進めず完璧主義になる
続いて良い点についてです。
- 正確かつ早い計算力が身につく
- 処理能力が上がる
- 自主性が身につく
- 基礎が身につく
- 勉強する習慣が身につく
- 継続力が身につく
- 自信がつく
- ヒントから予測する力がつく
- 一人一人の子供に合った勉強ができる
- 勉強の土台ができる
- 集中力が上がる
- コツコツ努力すると伸びる
- 粘り強さが身につく
- 先取り学習ができる
- 先に進む達成感が得られる
- できる喜びや楽しさが身につく
- 一時的に休んだり、再開したりが自由
- 時間の意識が身につく
- 勉強時間や勉強内容を自分で調節できる
- 学力の貯金ができる
- 公式の原理から理解できるようになる
- 国語は様々な文章に触れられる
個人的な印象としては、学生や公文式関係者の意見は総じて甘口な意見が多く、公文を経験した社会人や他塾の講師たちは辛口な意見が多かった気がします。
[2]現代の社会的背景を反映【AIや教育観の変化なども】
以下のような現代の社会的背景を加味したうえで、公文の価値が検証された内容もあります。これも本書の大きな価値です。
・AI(人工知能)の発達
・他塾の台頭
・女性の活躍
これは2017年2月出版と比較的新しい本書だからこそ可能だったことといえます。
ちなみに2017年出版というのは、他の公文をテーマにした本と比べてもかなり新しい部類です。
[3]公文で伸びる子とそうでない子の考察もある
公文で伸びる子とそうでない子についての考察もあります。
公文式指導者や、子供を公文に通わせた経験のある保護者の証言を中心にした考察となっているので、何かしら参考になるはずです。
[4]公文式が計算中心である理由がわかる【図形問題・文章題がほぼ出ない背景】
公文式算数・数学が計算に特化している理由のいくつかも、本書で知ることができます。
公文を創設した故:公文公(くもん とおる)さんの自著を中心にわかりやすくまとめられていました。
またその過程で、公文式算数・数学が図形問題と文章題をほぼ出題しない理由についても考察されています。
公文の教材内容に対して理解を深めたい方は、目を通して損はないと思います。
少なくとも、『公文=計算をするところ』ということ以外に公文について知っていることがない方は、公文への理解を深めることにつながるはずです。
[5]公文の仕組みや歴史もわかる
さらに公文自体の仕組みや勉強の流れ、歴史についてもまとまっています。
設立して50年以上経っても、公文が大切にしている理念の一端を知ることもできる内容でした。
[6]読みやすく、わかりやすい
そして最後は読みやすさと、わかりやすさです。
本書は総ページ200ページほどの新書ですので、スラスラ読める一冊となっています。
内容は詰まっていますがコンパクトにまとまってもいるので、わかりやすくもありました。
公文をテーマにした類書のなかでもとても読みやすい部類だったと感じます。
『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』の間違いを4つ訂正
以上より本書はよくまとまった素晴らしい本となっています。
ですが、それでもところどころで『うーん』と思ったところもありました。
ここでは、そんな内容をまとめました。
はじめにお伝えしておきますが、決して本書を批判することを目的とはしていません。
あくまで僕自身が公文で講師をしていた経験を中心に振り返ってみて、本書の間違いだと思われることを取り上げたまでです。
『公文について知りたい方に正しい情報を伝えたい』という思いがあるだけですので、その点はご理解頂ければと思います。
<1>教室によって違いがある
まず本書で語られていた公文式教室の姿は、全国にあるどの教室にも当てはまるわけではありません。
なぜなら、公文式教室にはそれぞれ独自の色があるからです。
教室指導者の方針や、教室に通う生徒の性格や気質が教室運営に大きく影響します。
例えば本書には以下の内容が語られていますが、少なくとも僕が働いていた公文式教室では必ずしも当てはまりませんでした。
新しい単元に入っても、指導者は説明をしない。
ただ新しい教材プリントを渡すのみ。
生徒はその教材の例題を見て、それをまねる形で問題を解いていく。
(55ページより)
『教えない』ことは、たしかに公文式のセオリーではあります。
ですが、僕が働いていた教室では、生徒によっては新しい教材に入る前にガッツリ解説していました。
ちなみに僕がいたのは30年以上続く老舗の教室です。
教室指導者も教室と同じく30年以上に渡って教室経営をされているベテラン講師でした。
公文の本部からの信頼も厚かったです。
また本書の49ページには、著者が取材で訪れた公文式教室に、『異なる時刻の時計が複数置かれていた』ことが語られていました。
『みんな違って、みんないい』という教室のメッセージとのことです。
しかし、そんなことをやる教室があることは僕自身、本書ではじめて知りました。
そのため、本書のなかで公文式教室ならびに教室指導者について語られている内容は、あくまで参考程度にしておくのが良いです。
<2>教室指導者は高学歴ばかりではない
本書の132ページには、『公文式は、高学歴の専業主婦を指導者に採用するビジネスモデルである』とあります。
しかし、現実はそうとも言えません。
繰り返す通り僕が働いていた公文式教室は30年以上続く老舗の教室でした。
教室長も30年以上に渡って同教室で教室経営をしている方でしたが、まったく高学歴ではありませんでした。
さすがに大学名は出せませんが、本人の口から直接聞いているので間違いありません。
その証拠として、教室長が生徒の勉強の質問に満足に答えられていない場面も、僕は何度も目にしています。
他にも僕には公文で教室長をする知り合いが何人かいますが、全員が必ずしも高学歴ではありません。
むしろ僕の周りには高学歴ではない方の方が多いくらいです。
さらにこれは僕が公文で講師だったときに、公文の社員の方から、『ここ数年は公文で教室長を希望する方が不足している』という話を聞いたことを記憶しています。
なので公文としては、『高学歴を採用する』というのはあくまで理想なのかもしれません。現実はさておき、です。
さらに付け加えると、専業主婦ばかりでもありません。
もちろんこれには地域差の影響があるとは思いますが、少なくとも現在では必ずしも『指導者=高学歴』は当てはまっていないはずです。
<3>『GRIT』は心理学の世界では賛否両論
最近アメリカの心理学者が唱える「GRIT」という概念が注目されている。
もともとは「やり抜く根性」のようなニュアンスをもつスラングである。
才能よりも「GRIT」が、人生のあらゆる成功を決めるという。
公文式で得られる副産物が、まさに「GRIT」なのではないだろうか。
(189、190ページより)
上記をはじめ、本書は心理学の概念『GRIT(グリット)』の重要性を強調している内容がいくつもありました。
ですが、そもそもの話、心理学の世界でGRITは賛否両論がある概念です。
少なくとも現在では、GRITの重要性を疑問視する研究や実験は少なくなく、とても信頼できる概念とはいえないレベルとなっています(1)。
なので本を通じて『GRITが人生を左右するかも』といったことを言うのは明らかに無理があります。
公文式学習が生徒のGRITを鍛えるのかどうかを考える以前の問題というわけです。
そもそも近年の心理学実験は結果が簡単にくつがえることが少なくありません。
とある研究では心理学実験の再現性は39%しかないとする報告もあるほど(2)。
実際に再現できなかった有名心理学実験は過去にも数多くあるわけです。
有名どころだと、『意志力は減る問題』、『パワーポーズ』、『色彩心理のアレコレ』などなど…。
またこれは冷静に考えればわかる話ですが、GRITがさほどなくても、社会的に成功している方はいくらでもいるはず。
少なくともGRITなるものが人生で成功を収めるための必須要素なはずがありません。
さらに補足になりますが、公文の創始者である公文公(くもん とおる)さんについての内容のなかで、本書はこうも伝えています。
子供への接し方については、心理学的に考えても合理的な作法が説明されている。
(186ページより)
これも具体的に何を指して、どう合理的なのかがわかりませんでした。
もしかしたら心理学者ヴィゴツキーの理論のことを言っているのかもしれないと思いましたが、特に記述はなく…。
なので申し訳ないですが、本書はGRITの件をふくめ、全体的に心理学への理解が浅い気がしてしまいました。
本当に申し訳ないですが…。
<4>『3学年先に進まないと意味がない』は言い過ぎ
公文式での学習が塾歴社会で効果を発揮するためには、少なくとも3学年分は先に進んでいないと意味がないことは忘れてはいけない。
(191ページより)
※塾歴社会とは、学歴社会の勝ち組が限られた塾に通っている現状のこと
上記にあるように本書は、『受験を有利に進めるうえで公文を有効活用するには、最低3学年先に進まないと無意味』としています。
しかし、明らかに言い過ぎです。
これだと本書を読んだ方のなかには、『公文で先に進むこと』だけに価値があると勘違いしてしまう可能性も考えられます。
僕は公文の他に進学塾でも講師として働いていた経験がありますが、進学塾には公文と両立している生徒、または公文を経験した生徒が何名かいました。
結果として公文で3学年先取りしていなくても難関校に進学している生徒は何名もいます。
しかもそのなかには、3学年先取りしていないにも関わらず、公文で処理能力などが高まったことを実感していた生徒もいました。
本書を読む限り、おそらく著者が上記の発言に至ったのは、以下3つが理由だと思われます。
1.進学塾ミライズ代表の近藤さんから、『中学受験の序盤である小4になる前に、公文式で小6相当のF教材を修了することで、算数の苦手意識をなくすことが期待できる』という発言を受ける
2.その他の教育関係者の証言や公文自体の学習方法や内容から、著者は公文式学習が中学受験に最適とはいえないと確信
3.以上より著者は本書の終盤で、『公文式は小学校中学年段階で最低中学校レベルを修了し、それが達成できれば公文は辞めて進学塾に切り替えることを提案』している
※英語は例外
(167ページ参考)
本書はあまり著者自身がハッキリと主張する場面は少なかったので、発言には自信を持っているのだと思います。
とはいえ、反例がないにも関わらず『意味がない』と言い切ってしまうのは考え物です。
<+α>サンプルに偏りがあるのでは?
最後は間違いとは言い切れないことですが、公文を経験した東大生についての内容のなかでいくつか違和感がありました。
いわゆる『都合の良いことだけを見せているのでは?』ということです。
例えば本書はまず鉄緑会出身の現役東大医学部生6人による座談会があったことを明かしています。
そこでは6人中4人が公文式経験者だったとのこと。
しかし、ここではなぜかその東大生たちからの具体的な話はほぼ聞けず、その後、他の現役東大生3人を集めての座談会に場面が入れ替わります。特に何の説明もなく、です。
結果としてその座談会の内容は10ページ以上に渡っており、全員が公文に良い印象を持っていたようでした。
つまり僕がここで言いたいのは、結局は『都合の良いサンプルが欲しいがために、公文に好意的な学生だけを集めたのでは?』ということです。
また20、21ページには現役東大生へのアンケート結果がグラフ化されていますが、これも僕が知っている公文式経験アリの東大生たちとは大きく違う結果です。
統計学的にも違和感を感じました。
もちろんこれはあくまで僕の印象に過ぎませんし、ぶっちゃけると、本書に限った話でもありません。
そもそも真偽はただの読者にはわからないままです。
ただ個人的には、本書の東大生にまつわる内容はあくまで参考程度にするのが良い気がしました。あくまで個人的な意見ですが。
『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』を読むうえで注意すべきこと3つ
ここでは、本書を読む前に知っておいて頂きたい注意点についてになります。
読んで後悔しないためにも、軽く目を通して下さればと思います。
(1)内容は算数・数学にまつわることがほとんど
まず本書は公文をテーマにした本ではありますが、その内容は算数・数学にまつわることがほとんどです。
例えば『計算力』についてや『方程式』についてのことなどなど。
なので子供に公文で算数や数学を習わせていない保護者の方が本書を読むのは微妙かもしれません。
もちろん学びがないわけではありませんが、あくまで公文式算数・数学にまつわる話が多いことは知っておいて下さい。
それを知らないと、『算数のことばっかり…』と後悔する可能性があります。
ただこの点は公文が事業化してから25年ほどは算数・数学の1教科体制でしたし、実際に公文で一番履修者が多い教科は算数ですので、本書が算数・数学を中心とした構成にするのは当然といえば当然ですが。
(2)最後まで読まないと、本書で語られた公文の良し悪しがすべてわからない
また本書は一度読み始めたら、なるべく最後まで読み切ることをおすすめします。
というのも、本は5章構成となっていますが、公文を批評する有識者たちの声は各章に散りばめられているからです。
つまり本の構成上、最後まで読まないと本書で語られている公文の良し悪しがすべて把握できないというわけです。
そしてこれは僕個人の印象ですが、本の前半は公文の良さが多く語られているように感じました。
そのため、本質を理解するためにも、一度読んだら是非とも最後まで読み切って下さい。
(3)公文に入れば東大進学に近づくわけではない
そして最後の注意点ですが、本書を読んでも東大進学には近づきません。
なので『公文で勉強すれば東大に行けるかも…!』とお思いの方にとっては期待外れになると思います。
その証拠に本書に登場した公文を経験した現役東大生たちの全員が、『公文式に通っていなかったら東大に入れたと思いますか?』という質問には否定的な考えを口にしていました。
つまり東大生たちは公文の良さを挙げながらも、公文での経験が直接的には東大合格に役立ったとは思っていなかったわけです。
もちろんだからといって、公文が東大合格に無価値なわけではありませんが。
とはいえ、本書の内容はあくまで公文式の理解を深められる一冊という位置づけです。
東大合格につながるヒントが隠されているわけではありません。
この点は出版社が本を売るためとはいえ、やや誤解を生みそうなタイトルだと感じたため、注意点として挙げさせて頂きました。
以上が本書を読む前の注意点になります。
『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』の著者:おおた としまさ さんのご紹介
最後は本書の著者である、おおた としまさ さんについてのご紹介です。
育児・教育ジャーナリストとして活動
おおたさんは育児・教育ジャーナリストとして活動されています。
関連書籍の出版やメディアへの出演も精力的なようです。
本書にも、おおたさんが出演されたラジオ番組でのやり取りが一部紹介されていました。
公文に対する評価【発言一覧】
公文への評価については、本書のなかで以下のように語っています。内容を一部ご紹介させて頂きます。
便宜上、算数・数学に限って言えば、公文式とは、子供の能力のごくごく一部である「計算力」を効率よく向上する目的に特化して作られた究極的にシンプルな「専用ツール」である。
その以上でもそれ以下でもない。
(189ページより)
公文式だって完璧な学習法ではない。
しかし少なくともある局面には効果がある。
特に低学年のうちに基本的な四則計算の能力と学習習慣が身に付くことは、それだけでも大きな魅力だ。
(199ページより)
本書の最後は以下の言葉で締めくくっていました。
「やる・やらない」「続ける・やめる」は結論でしかない。大切なのは、「何のため」「どうして」である。
(202ページより)
『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』まとめ
近年、公文そのものをテーマにした本は出版されなくなりました。
公文の創設者・公文公(くもん とおる)さんがご存命のときは、氏の自著を中心に数多くの書籍が出版化されていたのに、です。
理由はいくつかあると思いますが、一つは『公文式』という存在が日本の教育産業に根付き、社会的に当たり前の存在になったからなのかもしれません。
つまりあえて書籍で説明するまでもないと。
ですが、僕が公文や進学塾で講師をしていて思ったのは、まだまだ公文をよく理解していない方がいかに多いかということです。
繰り返す通り、本書は数ある類書と比べると、2017年出版と比較的新しい一冊です。
現代の社会的背景にも触れつつ、現代における公文の良し悪しが垣間見える内容となっています。
公文について知りたいすべての方にとって、本書はその一助となってくれるはずです。
関連ページ
『危ない公文式早期教育』(著:保坂展人)の内容のすべて【教育の矛盾に切り込んだ一冊】