『危ない公文式早期教育』(著:保坂展人)の内容のすべて【教育の矛盾に切り込んだ一冊】

危ない公文式早期教育』という本を読みました。

公文式ならびに早期教育の問題点を徹底追及した一冊です。

1994年出版で現在ではほぼ絶版となっていますが、その内容は現在でも当てはまる普遍的なことも数多く語られていました。

 

関連書籍や教育に関する研究結果の引用、関係者への取材や証言を元にした内容ともなっており、核心を突いたことも多かったです。

 

そこでここでは、そんなほぼ絶版となった本書の内容を風化させないために、僕が読んで参考になったことを備忘録的に残しました。

『危ない公文式早期教育』を読み込んだ記録

刺激的な内容が多いのは事実ですが、良い面ばかりに目を向けて盲目的になるより、あえて悪い面にも目を向けて思いを巡らせることで、何かしらの気づきが得られるはずです。

人は哺乳動物のなかで、もっとも長い「養育期間」をもつといわれる。

「一人前」や「社会人」といわれるのは、多くは二十歳を過ぎてからである。

(164ページより)

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『危ない公文式早期教育』で明らかにされた、公文式優秀児たちの残酷な未来

輝けるヒーローは、せいぜい「試験じょうずのタダの人」にしかなっていなかった。

(181、182ページ)

ここでは、本人や関係者への取材を通して本書で明らかにされていた、公文式優秀児たちのネガティブな事例をまとめました。

 

なお、紹介のなかで使われている『全国〇位』というのは公文式が公表していた『進度一覧表』を元にしており、プライバシーを配慮して名前は伏せてありますので、合わせてご了承下さいませ。

注:内容はあくまで本書が出版された1994年当時のものとなります。

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公文の幼少の部で全国一位に輝いたG子ちゃん⇒人格に影響が出始める

氏名:G子ちゃん

現在の年齢:13歳

公文での実績:公文の幼少の部:全国一位

公文に通った時期:3歳11か月~小学校入学前

教材の進度:最終教材まで修了

3歳11か月で公文に入会してから4歳10か月ものわずか11か月の短期間で方程式までを修了。

入会当時は字を読み書きできない状態だったが、小学校入学前に最終教材を修了した。

取材はG子ちゃんの母親から聞くことができたようです。以下はその母親の話になります。

いまは公文でやったことは、すっかり忘れています。成績でいうと中の上ぐらい。

(178ページ)

公文を辞めた後は、成績は落ち着いてきたことが語られています。

ただ本書の大部分で語られていたのは、学業面よりもむしろG子ちゃんの内面の変化でした。

なんか妙に大人びた子どもになってしまいました。

同級生が幼稚に見えるらしくて冷めたところがあるような。

(178ページ)

さらにG子ちゃんの内面が大きく変化したエピソードを、母親は以下のように語っています。

作文や詩はとてもじょうずで『将来のこと』についてすばらしいものを書くんだけど、四歳年上の兄が『おまえ、よくこれだけ書けるなあ』と感心すると、平気で『先生はこんな書き方が好きなのよ』と言ってのけるんです。

(179ページ)

小学校にはいってすぐに、担任の先生から『私と目が合うと、G子ちゃんはニコッと笑いかけてくるんです。

二十年、教師をやっているけど、こんな子は初めてですね』といわれました。

どうも、表と裏があるような感じがして、嫌な気がします。もっと夢のあるものを与えればよかったと思っています。

(179ページ)

親として、G子ちゃんのある種の危うさが気にかかっていることがわかります。

そして最終的にG子ちゃんは公文を想定よりも早く辞めることとなりますが、その理由も母親が語っていました。

退会した理由は、兄の勉強を脇で見ていて、「なんだ、こんなこともわからないの」と言いだしたことからという。

「このままではいけない」とやめさせた。

(179ページ)

最後に、自分の子どもが公文で結果を残し続けていたことに対して、一人の親として葛藤もあったことが語られていました。

優秀児と言われた当初は、「いきすぎではないか」という気持ちと、「どこまでやれるか試したい」という気持ちが自分のなかでぶつかりあっていたーーと母親は語っている。

(179ページ)

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公文式優秀児のシンボルだったWちゃん⇒中学で燃え尽きて、不登校に

氏名:Wちゃん

現在の年齢:大学生相当

公文での実績:毎年のように公文内で全国一位を表彰

公文に通った時期:生後1か月あたり~辞めた時期は不明

教材の進度:小学二年生で数学と国語の高校教材を修了

公文式優秀児のシンボルとして数々のメディアに取り上げられる。とある雑誌では、30ページ以上の特集を組まれたことも。

公文では広告塔としても活躍し、当時の公文内部では知らない方はいないほどの大スターだった。

毎年のように公文で全国一位の優秀児としてスポットライトを浴び続けた。

輝かしい経歴を持つWちゃんですが、本書によると、ある日を境にメディアには一切登場しなくなったそうです。

 

というのも、複数の関係者によってわかったことは、Wちゃんは中学二年生ぐらいの時期から壁に突き当たったとのこと。

しかも成長するにつれてやがて学校とのズレが激しくなり、不登校になったと言います。

 

その結果、Wちゃんは何もする気が起きなくなり、『燃え尽きた』状態になったということが記されていました。

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公文の幼稚園の部で全国二位の学力だったAくん⇒『大きくなればタダの人』

氏名:Aくん

現在の年齢:21歳

公文での実績:公文の幼稚園の部:全国二位

公文に通った時期:3歳9か月~小学五年生

教材の進度:最終教材まで修了

2歳で文字を覚え、小学一年生で人工衛星の軌道計算を試みる。

時計の長針と短針が十二時のつぎに重なるのは何時何分かを、未知数を使って計算してみせた。

小学二年生では高校化学で習うハロゲン元素を理解。

Aくん本人に取材を試みたところ、塾経営者をしている父親に電話がつながったようでした。

現在の息子の状況には、冷静な見方をしているようでした。

取材の趣旨を告げると、開口一番こんな返事が返ってきた。

大きくなればタダの人ですわ

(173ページ)

「小さいころは天才じゃないかと騒がれたし、誇張して本などにも書かれて親もその気になりましたが、やっぱり押しつけられたものがダメですね。

結局はプログラムを押しつけたということになるんでしょうね。

自分から意欲的にやった人のほうが伸びるんでしょう」

(173、174ページ)

試験を通過していくには役に立ったーーそれだけのことです。

公文で長いこと英才教育をやっていて、だれか天才的な発明をした人とか、世間をアッといわせる活躍をしている人とかいますか?いないでしょう。東大にはいることに、この時代、どれだけの価値があるんですか」

(174ページ)

ちなみにAくんは本書の取材時には大学生でしたが、上記で父親が例に出している東大生ではありません。大学名は伏せられていました。

 

また父親は、『人間の価値は学校の成績じゃ決まらない、成績はソコソコで良いんじゃないか?』とも思っているとのことです。

そして最後に、そんな息子の欠点について、父親は以下のように語っていました。

なにか課題を与えたり、レールを敷いてやったりしないとダメという弱点がある

(174ページ)

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公文の幼稚園の部で全国一位の学力だったB子さん⇒勉強しなくなり、成績も落ちる

氏名:B子さん

現在の年齢:22歳

公文での実績:公文の幼稚園の部:全国一位

公文に通った時期:始めた時期は不明~小学四年生まで

教材の進度:不明

中・高一貫の有名私立女子校に合格。

小学四年生のときに、中学受験を理由に進学塾へ移ったが、受験は成功した。

公文の勉強は毎日、夕食後2時間くらいは欠かさず行っていたとのこと。

現在、大学生の本人とは電話でつながっていました。B子さんは静かな語り口調で、以下のように話し始めます。

「あんまり華々しい経歴じゃないから」

(174ページ)

B子さん自身の証言によると、中学受験の後は成績が伸び悩んだようです。

「このころに波があって、ぜんぜん勉強をしない時期がありました。

成績も落ちて、一年浪人してN大学にはいりました。

ふつうに就職するつもりです」

(175ページ)

上記の通り、大学名は伏せられていました。

とくにふつうの子と変わらないと思うから、公文から送られてくるアンケートには答えていません」と語っていた。

(175ページ)

またこれはあくまで著者の推測だと思いますが、本書では、B子さんの様子を以下のように語ってもいました。

彼女にとって「公文」は遠い過去の記憶で、あまり思いだしたくないことのようでもあった。

(175ページ)

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『危ない公文式早期教育』内での公文に対する親たちの否定的な声

本書では、『くもん子ども研究所』といって、公文式教材の修了者の将来を研究した報告書にある、公文に通って良くなかったと思う親たちの声も紹介されていました。ここではそのご紹介です。

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パターンばかりを覚え、理解していなかった

パターンばかりにとらわれて、理解しないでやっていた

(168ページ)

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時間にとらわれすぎて弊害が出た

時間を気にして、字が乱雑になり、時間に神経質になり、現在、その反動で時間にルーズになった

(168ページ)

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子どもの幸福を考えた、良心的で質の高い指導をして欲しい

子ども自身の幸福を考えた良心的な指導をして欲しい。

進度の高い子ばかりがもてはやされるのは、子どもにとっても、親にとっても、後々不幸につながると思う。また、学力の低い先生は、もっと先生自身が勉強して欲しい

(168ページ)

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『危ない公文式早期教育』で指摘されていた公文式の問題点

本書で一貫している主張の一つに、『公文式は万能な塾ではない』という指摘があります。

公文式教室で長らく指導者を続ける伊藤さん(仮名)は、以下のように語っています。

公文は数多くある学習塾の、ホンの一つにすぎないのです。

いちばん大切なのは、この教材をやって将来がかかっている子どもたち。

~略~

どんな子どもでも、公文づけにせず、解放させることが大切でしょう。

それに、どうやっても公文に合わない子どももいます。こんな発言をしたことがバレたら、即クビだろうと思います。だけど、私が日ごろ思っていることを素直に話したまでです。

(120、121ページ)

伊藤さんは、自分の力に合った教材を自分のペースで取り組む、という公文式の原点に共感しながらも、上記のように述べています。

 

そこでここでは、本書の著者による取材や公文式関係者への膨大なインタビューを元にした公文式の問題点の要点をまとめました。

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公文で身につくのはプリントを処理する力であり、社会を生き抜いていく力ではない

「公文式プリント」の処理マシンとしての力であって、世の中の現実を生きぬいていく解決・調整能力ではない。

(67ページ)

「丸暗記」「問題の機械的処理」が重視されてきた時代に、公文式をはじめ全国に「塾ブーム」が起きた。

こうした能力は、考えてみればコンピューターやロボットが、より正確に速く、また大量にこなしていくことのできる力である。

(195ページ)

本書では、『公文で身につくのは公文のプリントを処理する力であり、社会で役立つような、自らの頭で考え、柔軟に対応する力ではない』と指摘しています。それは『生産ノルマを課せられた工場』とも例えています。

 

これは本書で繰り返し語られている一貫した主張です。

それどころか本書は、学力や学歴を得ることに傾倒する姿勢すらも懐疑的でした。

 

とはいえ、本書では、『公文で身につくのは公文式のプリントを処理する力である』という主張を裏付ける事実として、数多くの有識者たちの証言を残していました。

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パターン化した問題しか解けず、創造性が育たないという多くの声

例えば、公文式教室で指導者をしていた島田さん(仮名)は以下のように自身の経験を述べています。

パターン化された問題はどんどん解けるのに、少しでも考えて創造するような問題はぜんぜんダメなんです。

(108ページ)

また心理カウンセラーの三沢さんは、『悩むこと、葛藤するということは人が持つ高級な思考である』とし、これらは社会をより良く生きていくためにとても大切なものであるとも本書で話していました。

 

一方で公文式は以下のように、『創造性は最優先事項ではなく、あくまで後々に身についてくるもの』としています。

「公文式は最も親切な指導法である。

最初に創造性が大切などとは言わない。まず生徒に、五分間でも自習ができるようにさせ、次に作業力をつけ、集中力をつける。

そうすれば、自主性、自律性がついてくる。

また、それにつれて学力が高まり創造性がついてくる」

(35、36ページ 『公文式の特長』(公文式が作成)の基本文書より)

しかし、現実はさきほど島田さんが言ったように、そうはなっていないこともあるようです。

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理解度をおざなりにした丸暗記学習

また島田さんは、上記で公文式が発表しているような『学力の高まり』についても否定的でした。

公文で計算をマスターしても、かならず学校の算数ができるかというと、そうともかぎらない。

~略~

どんどん先に進めるけど、内容をしっかり理解して身につけていないから、かんたんに忘れていくんです。

(107ページ)

島田さんが言うような、『内容をしっかり理解していないため忘れてしまう』という意見には、本書内でも同意する声が挙げられていました。

 

以下は当時、東京大学教育学部で助教授だった汐見稔幸(しおみ としゆき)さんの母親の意見です。

汐見さんの母親は、大阪で公文式教室の指導者をしていた経歴があります。

進度別に能率よく先へ進んでいくようにするために、子どもがつまずいてしまう問題をより解きやすいものへと変えていった。

プリントは一見すると、順調にすすむのだが、丸暗記で問題の理解度はむしろ低下していく。

(83、84ページ)

つまり汐見さんの母は、『公文式教育は子どもの理解度を妨げ、丸暗記を加速させている面もある』と述べています。そしてこうも語っています。

分数の意味などを自分で理解している子はいいが、わからない子は丸暗記のままだ。

算数は計算が早くできることだけではなくて、理屈や論理を知って、『へぇ、すごいな』と納得したり、『おもしろいな』とおもったりする教科だと思うから」

(84ページ)

本書の著者も、今回本書を出版するにあたって関連書籍の熟読や関係者への取材を通じて、以下のことがわかったと述べています。

もっとも、今回の取材をとおして知ることになった公文式教材は、くり返しの練習のなかでの「丸暗記」を基本とするもので、応用の苦手な子をうみだすこともわかってきた。

ここで訓練されるのは、「よく考えないで、テキパキとプリントをこなしていく処理能力」であり、テストの洪水を要領よく泳ぎわたっていく能力でもある。

(130、131ページ)

子どもは覚えるのも早いが、忘れるのも早いという事実

さらに丸暗記自体の是非についても、本書は否定的です。

東京大学教育学部の助教授である汐見さん自身も、学者として以下のような知見を述べています。

小さいときに、すべてマスターしたかに見えても、その人の深い部分にまで刻まれていくには時間がかかる。

子どもは吸収が早く、どんどん記憶していくように見えるが、忘れるのも早い。それは大人の使うような頭脳を使っているからじゃないんです。

(85ページ)

さらに汐見さんは、海外で生活をしてきた子どもたちのとある調査も事例に挙げていました。

六歳までに帰国した子どもは、日常的に使ってきた現地のことばを完璧に忘れるそうです。

七歳から十一歳までは個人差があって、忘れる子と忘れない子がいる。十二歳以上は、忘れないというデータがあるんです。

(85ページ)

そしてさきほども登場した、公文式教室で指導者をしていた島田さん(仮名)自身も同じような意見を述べています。

せっせと詰め込めば、おもしろいように覚えることは事実です。

でも、すぐに忘れるということもまた事実なんですね。

(107ページ)

実際、島田さんが公文で受け持った生徒には、先取り学習をしたものの、いざ学校で習うころには忘れてしまっていたことも少なくなかったそうです。

 

それどころか、勉強を詰め込ませすぎて勉強嫌いになったり、挫折したケースもあったと語っていました。

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『危ない公文式早期教育』で語られた、親たちが必要以上に公文を肯定する理由

子どもたちのストレスが最大値になるのは「学校」でも「塾」でもなく、もはや「家庭」ではないかということだ。

(203ページ)

本書は公文式や早期教育の問題点を指摘した内容でありながら、当然のことながら、その問題提起は子どもを持つ親たちにも向けられています。

 

そこで本書はその一環として、公文式を必要以上に肯定する親たちの特徴をまとめていました。

『辞めたら他のことにも悪影響が出るのでは…?』という不安

まず公文で勉強する内容は学校の授業と結びついています。

 

そのため、そんな公文を途中で辞めてしまうと、『将来的に学校にもついていけなくなるのでは…?』と不安に思い、必要以上に公文をズルズル続けてしまう方も少なくないようです。

 

親によっては、公文を辞めることで子どもが勉強自体を放り投げてしまうことにもなりかねないと考える方もいるとしています。

子どもの評価が自分の自尊心や優越感の高揚になってしまっている

また心理カウンセラーの三沢直子さんは、教育に熱心な親には、自分の子どもの評価を自分自身に自己投影しているケースが少なくないとも語っています。

自分の評価というのはイコール『子どもを立派に育てる』ということになってくる。

(71ページ)

教育が子どものためだけでなく、親としての自分の自尊心や優越感を満たすための手段になっているといえるのかもしれません。

これは公文に限った話ではなく、手段と目的が乖離している典型といえそうです。

『この子はすごくできる子』と、自分の存在価値を示すことが早期教育につながっていくんですね。

(71ページ)

周りの子どもとの過剰な比較と競争

さらに公文に通う周りの子どもや、公文の経験者の存在も少なからず影響しているようです。

公文で教室を経営している島田さん(仮名)が話します。

子どもに公文のモノサシを当ててしまうと、自分の子はこのレベルしかできなくて、隣の子はもうつぎの部分に進んでいるーーと妙に客観的になってしまうんですね。

(116ページ)

こういった周りとの比較は公文だけの話ではありません。

しかしながら過剰な周りとの比較は親たちの競争意識を煽ることにつながりかねないのは事実です。

「うちの子は、手遅れになるんじゃないか」という不安、「じつは、うちの子のほうがほかの子よりもできがいい」というプライドを巧みに操作して、親子を無味乾燥な「お受験の日々」に誘い込むのは教育産業の常套手段だ。

(190ページ)

余談ですが、本書ではとある有名私立幼稚園で実際に起きた事例を紹介していました。

 

『友達付き合いがあった二組の親子の片方が合格、もう片方が補欠合格した結果、補欠合格した子どもの親が合格者になりすまし、入学辞退の連絡を入れる…』という修羅場です。

 

それ以後、その幼稚園では『受験番号は誰にも教えないこと』が通達されるようになったとか。

過剰な競争意識が招いた末路の事例といえそうです。

盲目的な信仰

母親のなかには公文のシステムをまるで宗教のようにしてしがみつく人もでてくる。

公文のプリントの枚数をこなしていくことが、ある種の達成感につながるんですね。

そして、子どもに対しては「これだけやったんだから!」とムキになっていきます。

(109ページ)

公文式教室で指導者をする島田さん(仮名)は上記のように、公文に信仰にも似た考えを持つ親がいることも明かしています。

島田さんはそんな現状を以下のように考えていました。

いまの公文は「これぞ最高の教育方法である」と信じなければできなくなってきている。

もっと批判されても、その批判に耐えられるものが最後に残るだろうと思うのに、内側にのみ向けて、外へはカラを閉ざしている。

(115ページ)

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『危ない公文式早期教育』の著者:保坂展人(ほさか のぶと)さんの経歴

本書の著者である保坂展人(ほさか のぶと)さんのご紹介です。

著者のこれまでの経歴と、本書のテーマとなっている公文式との関わりをまとめました。

世田谷区長として10年近く勤務

保坂さんは2011年から現在まで、10年近くに渡って東京都の世田谷区長として働いています。

教育ジャーナリストとしても活動

教育ジャーナリストとしての顔もあり、これまでに教育関連の書籍を多数出版しています。教育関連のコミュニティ運営も経験しているようです。

高校生のときに公文式でアルバイトを経験

本書のテーマでもある公文式には、著者である保坂さんが17歳の定時制高校生だったとき、アルバイトを経験したそうです。

 

といっても、講師をしていたわけではなく、主な仕事は首都圏教室への教材発送でした。

各教室からの注文をもとに、棚から教材を集めて発送していく仕事だったとか。

 

また当時の公文式の全国生徒数は2~3万人前後と生徒数はさほど多くなかったため、教材発送係は自分一人で十分だったそうです。

当時は、公文自体はのんびりとしたイメージが残っているようです。

1972年に公文教育研究会(当時は公文数学研究会)でアルバイトとして半年間働いていた。新宿御苑前の20坪あまりのオフィスであり、職員はわずか4人だった。

(130ページ)

後に公文式の生徒数は75年に10万人を超え、その後、わずか6年後の81年には100万人を突破することとなります。

保坂さんが身を置いていた公文式は、紛れもなく公文黎明期といえそうです。

 

ちなみに保坂さん自身は当時、昼間働いていた公文については特に関心は持っていなかったと言います。

公文式学習に対する違和感

しかし、教育ジャーナリストとして働き始めると、公文や早期教育のネガティブな声を耳にすることとなり、興味を持つようになったようです。

人間、なにごとも順調にいくことなどありえないのだ。予期せぬできごとやプログラム・ミスで、ありえないと思っていた失敗をすることだってある。

ほめられていた子が、人から嘲笑されるような立場に反転することも、十代ではひんぱんに起こる。

挫折と失敗のない人生なんて、現実にはありえない。

「自信と自負」が粉ごなになる瞬間に、その人を支えるものはなんだろう。

それは「プリント学習」で学んだものではないことだけはたしかだ。自分の責任で挑戦し、何度も失敗と挑戦、挫折をくりかえした体験が人をつくっていく。それは、プリントのうえではなくて、子どもどうしの遊び関係のなかで、あるいは暮らしのなかでこそ育まれていくのではないか。

子どものために、将来のプラスのためにーーと思いながら、インプットをつづける人たちに言いたい。それがゆえに、子どもの生きる力を縮めていたり、かけがえのない「子ども時代」を奪っていたりはしないだろうか。

(68、69ページ)

そのため、本書の内容は子どもを持つ親だけでなく、公文式の問題点に目を向けない公文式教室の指導者や、公文の関係者へも向けられています。

公文的世界のフィルターにかけられて、真実が見えなくなってはいないか。

(68ページ)

早期教育に対する考えと葛藤

本書は公文式にならぶテーマとして早期教育も取り上げていますが、保坂さんは本書を通じて早期教育のことを『妖怪』と表現し、激しい批判を繰り広げています。

早期教育を「妖怪」と呼んだのは、知らずしらずのうちに、それが親たちの心を蝕み、やがて親子関係のすべてをこの「妖怪」が支配する強烈な影響を与えかねないからだ。

(13ページ)

例えば、『わが家の子育て実践録』という本には以下のようなエピソードがありますが、保坂さんは強い違和感を覚えたと語っています。

『生後六か月の赤ん坊に親が公文のカードを複数枚見せ、親が言ったカードを赤ん坊に取らせることができた結果、その親は感動して涙を浮かべる…』

しかし、その一方で保坂さんは教育ジャーナリストとして働いてきた経験から、早期教育の良さについても少なからず理解しているようです。

私は、早期教育の「効果」を頭ごなしに否定しているわけではない。

たしかに、以前なら考えもつかなかった年齢で「文字」を習得し、「英語」に親しみ、また「本」を読む幼児がでてきていることは事実だろう。

それは認めたうえで、それとひきかえに失うものも大きいのではないかと考えてしまうのだ。

人生は、まだ始まったばかりなのだ。

そうした「優秀児」たちが、その後にしあわせになっていくかどうか、私は心配になる。

いくつか追跡してみると、幼児のころに「優秀児」であった子どもたちは、小学校にはいるころになると、丸暗記によってインプットされたはずの記憶はみごとに忘れさっているケースが多い。

その子に残されたものは「勉強する習慣だけ」だというのだが、それと引きかえに失ったものはなんだろう。

(14、15ページ)

また保坂さん自身も子どもを持つ親という立場です。

一人の親として、早期教育に走りたくなる親の気持ちも理解できることも明らかにしています。

私にも小学校三年生の息子がいる。系統的かつ集中してではないが、小学校就学前に文字を教えることはあった。

さすがに、二~三歳ではなにも教えなかったが、四~五歳で字が読めたときには「すごいな」などと手を叩いた体験ももっている。

ことばや文字を生みだすことを仕事としている私のなかには、きっと息子の言語能力を巧みに引きだしたいという願望もあった。

また、気の利いたことをチラリと言ったりすると、「この子はおもしろい子だ」と微笑みを浮かべてきた。

それを他人から見れば、親ばかと言うのだろう。

私自身が、偏差値による選別を中軸とした学歴社会を否定して生きてきたし、もっぱらその点で論陣を張ってきたから、「優秀児」や「天才児」などをわが子に期待する発想の回路はもってこなかった。

だが、じつのところ早期教育に踏みこむ親たちと薄紙一枚の差で、「人とは違ったユニークな生き方をしてほしい」という、べつの価値観による期待はある。学歴社会のなかでなんとかサバイバルしてほしいという願いと、学歴社会を超えて元気に生きてほしいという願いは、方向こそ違え、子どもの側からすればプレッシャーでもあるだろう。

私は、親たちが早期教育へと傾斜していく回路も他人ごとのようには思えない。私自身のなかにもまた、早期教育に熱心な親たちに重なる部分も存在することを認めることから、この取材を始めることにした。

(21、22ページ)

ただし、それでも当時、早期教育を推進していた公文式ならびにその創設者である公文公(くもん とおる)さんに対しては、一貫して厳しい立場をとっています。

 

以下は『公文幼児教育は世界一だ』と言った公文公さんの発言に対する保坂さんの主張です。

発展途上・試行錯誤の幼児指導を「世界一」とは厚顔無恥もはなはだしい。七田式〇歳児教育やソニーの能力開発が、それなりの指導理論のもとに行われているのとは大違いだ。

(157ページ)

同様の発言は本書にて数多く言及されています。

親たちを早期教育に動員する公文公氏自身は、三歳までにどのような知的教育を受けてきたのだろうか。

人類の長い歴史を振り返れば、すばらしい技術や芸術、そして、歴史上の発見や功績を刻んだ人たちのなかで、「三歳までに」特殊な早期教育を受けてきた人など、ほとんどいないはずである。

逆にいうと、三歳までにまにあわせろーーと大あわてで早期教育に走った親たちが、二十年後に輝かしい成果を見ることができるのかどうかーーむしろ、十歳や十五歳で燃えつきて、失速していくというケースも多いのだから、ずいぶんといいかげんなモノの言い方だと思う。

(26、27ページ)

私が会った公文公氏(公文教育研究会の創設者・会長)は、「最近の赤ん坊は泣かないんですよ」と笑いかけてきた。一瞬、意味を飲み込めずにとまどっていたが、どうやら泣かない赤ちゃんは知的進化をとげているーーということを言われたようだった。

(17ページ)

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『危ない公文式早期教育』が矛先を向けた公文式創設者:公文公(くもん とおる)さん

本書は公文式と早期教育を中心に批判しつつも、その矛先は公文式創設者であり、今は亡き公文公(くもん とおる)さんへも向けられています。

周辺の取材をつづけながらわかったことは、「公文」とは、とどのつまり公文公氏であり、カリスマ的な創始者である彼のキャラクターを解析することなしには、早期幼児教育の旗ふり役をつとめてきた、ここ数年の「公文」を理解することはできないということである。

(136ページ)

公文の世界が、会長という絶大な権威を中心としてつくられていることに変わりはない。

(153ページ)

公文式の理念をイチから理解するうえで、その源流である公文公さんを語らないことにはいかなかったことがわかります。

この点は公文式出版以外の本のなかで、本書にしかない特徴といえるかもしれません。

人物像

本書によると、かつての公文公さんは、穏やかで物腰の柔らかい人柄であったとされています。

 

本書の著者である保坂さん自身も、高校時代にアルバイトをしていた公文式のオフィスにて、公文公さんとは度々顔を合わせていたそうです。

ひと月に一度は、公文公氏も大阪から上京してきた。

ことばを交わしたと言ってもあいさつ程度だが、当時の「公文先生」は温厚な微笑をたやさなかったという記憶がある。

(130ページ)

公文式教室で指導者をしていた島田さん(仮名)も、公文公さんに対しては同じような印象を持っていました。

むかしは腰の低い穏やかな感じの人でした。

「先生がた、これはどうやって教えていますか」と、会長自身が指導者に尋ねたりしていましたから。

私たちに対しても「公文式をやっていただいている」という姿勢が見えて、印象はよかったんです。

それが、いまでは信じられないほど変わりました。

(113ページ)

しかし、公文式が成長を続け、公文公さんが出版した本がベストセラーになったことで、その穏やかな人柄には変化が生じてきたと言います。

島田さんの話です。

“雨後の竹の子”のように教室が無軌道にできて、教室どうしで生徒の奪いあいが始まったころに、「教室の地域を決めて、事務局で規制してほしい」という意見をある指導者がだしたところ、会長は目をむいて、「いま、発言したのはどこの教室のどなたですか?」とものすごい剣幕で怒りだしました。

そして、「地域が重なっているのなら、曜日を変えて競争すればいい」と答えました。

やはり、さきの本がでたことで生徒が急増したあたりから、高圧的な態度が目立つようになりました。

(113ページ)

本書の著者:保坂さんとの直接対談での発言

保坂さん自身も本書の執筆にあたって公文公さんと20年ぶりに対面したようですが、かつての印象とは異なっていたことを明かしています。

当時七十八歳の公文氏は、年齢よりはずっと若く見える。

私の記憶にうっすらと残っていた二十年まえのイメージとくらべると、表情からは温厚さが消え、眼の光のなかには鋭いものが宿る。

老境を迎えているはずだが、むしろ早口になっているのではないかと思えた。

私が知る公文氏はもう少しゆっくりと穏やかに話す人だったからだ。

(137ページ)

公文公さんの人物像は、二人の対談からも垣間見ることができます。

そこでここでは、その対談を通じて公文公さんから語られた発言の一部を抜粋していきます。

 

まずは『公文式の勉強をやりすぎることで弊害はありますか?』の問いに対しての、公文公さんの答えです。

少ないですね。むしろ弊害がでると、うちの会自体が恐ろしいんです。

自営上、世間からどのように言われるのか、そのまえで止めないといけない。

公文がメチャクチャにやっているというのは、うちの商売では必要ない。メチャクチャやって弊害がでてきたら、うちはお陰さまで大きくなっていますが、弊害がでてきたら成り立たないんです。

(141ページ)

この発言について保坂さんは、公文公さんがあくまで弊害の対象は公文という企業についてであり、子どもについては一切語られなかったことに違和感を感じたと話しています。

 

さらに『公文の歴史を振り返って失敗したことは?』について、公文公さんは以下のように話します。

失敗というと、うちの事務所に勤めている者を、もっと強烈に折伏すべきではなかったか。

うちで給料を渡している者に、公文式のよさをもっと強調すべきであったということ

(143ページ)

また公文公さんは、公文式の特徴である先取り学習について、以下のように発言しています。

小学生で微分・積分ぐらいはできるんです。それをやらずに、他の塾にいくことは損失です。

(142ページ)

続いて公文公さん自身が設立した公文学園を通じて、『どんな人材を社会に送りだしたいとお考えですか?』という問いについての発言です。

人材ということはないですね。

(142ページ)

学校自体や教育についての評価については、以下のように考えているとも述べています。

いちおう、世間的な水準がいりますから、こんど、うちの学校に入学した生徒は百六十人で、そのうち九十人から百人は、浪人せずに東大にはいると思います。

(142ページ)

対談を通じて、本書の著者である保坂さんは以下のように思ったと述べています。

「人材ということはないですね」という返答が耳に残った。

私が予想したのは、私学創設者としての「建学の理念」であった。

ところが、公文氏からは「東大」しかでてこない。じつにわかりやすいが、奥行きに欠けると思った。

(143ページ)

その他の賛否を呼んだ発言

その他、対談以外で公文公さんが発言した言葉の数々です。

以下は公文の指導者が読む指導情報雑誌『やまびこ』(92年7月号)での発言になります。

六歳より前に字を覚える必要がないなどという者は、人類の敵であるといっても、おかしくないんではないでしょうか。

(159ページ)

次は公文式指導者が受講する講座において、公文公さんが話した発言です。

「みなさん、『可能性の追求』が公文の理念です。

公文で伸びた子は、人格も向上するか?公文は本当に人格教育なのか?ここを疑う局員は探しだして首を切る。

『公文幼児教育は世界一である』、これを信じられるかどうか?信じられない人にはやめてもらう。

可能性の追求に興味がもてない人に教室の場所を埋められては困る

(154ページ)

批判の数々

以上のことから公文公さんは穏やかな人という声がある一方で、ときに過激な発言をされていたことから、批判も少なくなかったのかもしれません。

 

東日本のある都市で指導者をする伊藤さん(仮名)は、公文公さんについて以下のように話しています。

会長は自分と意見がちがうと逆上して、そんな指導者には頭ごなしに決めつけるだけで、まったく耳を貸さない。

いまの姿勢は問題です。

だいたい、会長は方針をコロコロ変えるんです。

むかしは「二兎を追うものは一兎も得ず」で、算数だけをやればほかの教科の力もつくといっていました。

いまでは、国語力がなければ算数ものびないという主張でしょう。

(119ページ)

また本書では、公文公さんを独裁的な宗教団体の教祖だとする一面も紹介しています。

以下は公文で指導者をしていた島田さん(仮名)の声です。

会長の存在は絶対ですね。

たとえば、事務局から指導者に送られてくるアンケート類なんかは、すべて会長が喜ぶような模範解答をしなければいけないんですもの。

たとえば、そのアンケートの「公文をしていて不良になるか」という問いに、ある人が「なるかもしれない」と答えたら、その回答を見て、「なんでこんな指導者がいるんだ」と会長は激怒したそうです。

実際には大勢の子どもが教室にきているわけですから、思春期に不良ぶってみる子も当然でてくるんですが。

(114ページ)

さらに公文式の指導者は、1~2か月に一度『会長講座』というものの受講が義務付けられていたそうです。

 

講座の前夜には、公文公会長と指導者の『夕食懇談会』があり、そこでは、会長に向けて指導者が感謝の言葉を言わされる機会もあったとか。

 

公文式指導者の山崎さん(仮名)が手記にて当時の様子を振り返ります。

「おかげさまで目標を達成することが出来ました。これというのも、会長先生のおかげです。ありがとうございました。公文をやって本当によかったです」このような挨拶が延々と続く。

(154ページ)

そんな公文式の体制には、山崎さんは少なからず疑問を感じていたようでした。

頑張って生徒を増やしたのも、毎月、大枚のロイヤリティーを払うのも自分たちのはずだが、一方的な謝辞が続くのもこそばゆい。

そして夕食というにはお粗末な弁当を食べるのだが、細かいことに、この代金も指導者もちである。

(154ページ)

本書の著者である保坂さんは以下のように述べています。

山崎さんの手記が明らかにしているのは、強いカリスマ性をもつ教祖が率いる、巨大化した利益集団特有の抑圧構造である。

それは、ひとことで表せば「忠誠心競争の世界」である。

会長が言いそうなことは先まわりして言ってみせ、あるいは会長の喜びそうな事例を挙げて機嫌をとったりする人物が、中心にいる独裁的教祖を二重三重にとり囲んでいく。そこでは、だれがいちばん会長に近いか、そして、会長から認められているかが唯一無二の価値観となる。

山崎さんのように「ロイヤリティーを払い、日々、努力をするのは指導者なのに、一方的に感謝しつづける」ことに違和感をもったり、また「粗末な弁当も細かいことに代金は自分もち」などと感じる人は、まさに危険思想の持ち主なのだろう。

(155ページ)

公文氏が「うちの商売」とこともなげに言うように、教育産業としての「公文教育研究会」はれっきとした株式会社である。

会社は社会的な存在であって、創立者の分身ではない。

公文式早期教育の問題点の本質は、じつは、ここにあるのかもしれない。

いまだに会社を分身ととらえるどころか、「一心同体」感覚を捨てきれない公文氏自身の精神構造のなかに、会社の社会的責任についての認識の弱さが見てとれるのではないかーーと思えるのだ。

(148ページ)

十数年、公文で指導者をしてきた山田さん(仮名)も続きます。

人間はなにかをやるとき、否定的な面と肯定的な面を分析して、これでいいのか、と自問自答しながら進めるはずです。

しかし、彼は『いい、いい』とまくしたてるばかり。

あれでは信仰ですよ。

完璧にモラリティーが欠如している。

(125ページ)

また保坂さんは、公文公さんのある矛盾についても言及していました。

三十五年まえの会長は、「あまり賢くない女性か未亡人に指導者になってもらおう」と考えたそうだ。

会長は東大が大好きだが、公文の局員や指導者は「学歴不問の世界」なのだ。

指導者には高卒や短大卒が多く、「学歴を問う」ことはタブーとなっている。

(162ページ)

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『危ない公文式早期教育』のもう一つのテーマ【早期教育への警告】

この本は「早期教育ブーム」の中軸として「公文」を中心に書きすすめてはいるが、それは、ほかの教育産業を免罪するということではけっしてない。

(96ページ)

本書は公文式だけではなく、早期教育全般についても数多くの提言がなされています。

早期教育について、本書で述べられていたことや事例をまとめました。

いま、「早期教育」の現実は、私たちが生まれ、そして、生きることとはなにか、と根源からといかけてくる。そこを論じる土俵づくりを始めたいと思う。

(17ページ)。

早期教育で身につくのは条件反射で問題をこなす力であり、社会を生き抜いていく力ではない

早期教育で育つ能力とは、条件反射で問題をこなす能力にすぎない。

(77ページ)

前提とも言えますが、本書における早期教育に対しての一貫した主張です。

パターンが脳裏に焼き付き、ミミズを『L』や『つ』と言う子ども

また繰り返し学習によってパターンが脳裏に焼き付いてしまい、ミミズを見るなり、その形から『L』や『つ』と言うようになる子どもが事例として取り上げられていました。

将来が豊かになる保証はない事実

そして早期教育については本書の著者だけでなく、当時、東京大学教育学部で助教授だった汐見稔幸(しおみ としゆき)さんが以下のように述べています。

早期教育によって将来が豊かになる保証はない

(82ページ)

なお、上記の主張を支える理由ともいえる事例は、次の段落でまとめました。

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『危ない公文式早期教育』に記された、『早期教育』で起こり得るデメリット

本書で明かされていた、早期教育の結果起こり得るデメリットをまとめました。

社会性が欠ける

まずは児童心理学者で全米幼児教育協会の会長だった、デイヴィッド・エルキルドの意見です。

幼い子どもを対象にした学習プログラムの最大の問題点は、盲目的服従という犠牲を払わなければ受け入れてもらえないという枠組みを子どもに教えてしまうことにある。

こうした枠組みを押しつけられた子どもは、疎外感と個人主義ばかりが肥大化し、健全な帰属感の育成は拒まれる

(198ページ)

早期教育は社会性のようなものを阻害する危険があるようです。

またエルキルドは、年齢にそぐわない先取り学習も子どもの将来のためにならないとし、反対的でした。

 

さらにフラッシュカードを使って小さな子どもに文字や絵、数字などの見分け方を学習させることにも否定的です。

指示待ち症候群になりやすい

『家庭教育研究所』という早期教育の実践と効果を検証する教育機関の主幹研究員であり、数十年に渡って子どもと関わっている中野由美子さんは、早期教育の一番の問題点を以下のように語っていました。

“指示待ち症候群”をつくるということですね。

つねに、情報が開いてからきて、その情報を処理する。そういう頭や心の構造になることがいちばん怖いと思う。

(54ページ)

続けて中野さんは、研究者として以下の調査結果も明らかにしています。

三歳の子を幼稚園まで追跡調査した結果では、早期教育を受けたパターン型の子は概して生活習慣がきちんとできていて、そういう面では自立している。幼稚園の先生の評価ですが、片付けがよくできるらしい。

それに対して、体験型の子は遊びはユニークだけど、片付けはダメという結果がでています。

パターン型は親にとってはすごくいい子で、扱いが楽な子ですね。だけど、それは自我が弱いということにつながるんですね。

(55ページ)

おとなしくて、素直で、人に迷惑をかけない『いい子』たちですが、人とのやりとりや柔軟なコミュニケーションができないところが怖いですね。

(53ページ)

挫折や息切れの恐れ

『くもん子ども研究所』といって、公文式教材の修了者の将来を研究する機関の研究者であり、代表者でもある佐野勝徳(さの かつのり)さんの意見です。以下は共著内での発言になります。

中学・高校生くらいになりますと、早期教育を受けていた子が、トップクラスに留まっていることは、もうほとんどありません。

たいていは、ごく普通の成績になっています。

しかし、普通であれば、別に問題はないのですが、途中で挫折してしまっているケースが相当に多いわけです」

(167ページ)

その理由を裏付ける事例として、本書では国内外問わず多くの事例が挙げられています。その事例の一部のご紹介です。

氏名:Sちゃん

実績:三歳で英検五級に合格し、英語だけでなく、数学と国語でも全国進度上位者に仲間入り

その後:周囲からのプレッシャーで挫折し、名前すら出なくなる

氏名:キムくん(韓国)

実績:幼児から小学生までを優秀児として名を馳せる

その後:中学から思うようにいかなくなり、心身のバランスを崩し、大学進学すらできなくなった

勉強する理由が『親に褒められたい』というだけになる

東京大学教育学部で助教授だった汐見稔幸(しおみ としゆき)さんは、早期教育のリスクとして、『勉強する動機が親に褒められたいというものに集中し、主体的に動機づくりができなくなること』も挙げていました。

氏名:ジョン・スチュワート(イギリス)

父親から徹底した早期教育を受けた結果、自分が手に入れた膨大な知識と、体験と感情のギャップに苦しみ、20歳でうつ病になる

学習方法が固定化してしまう

さきほども登場した児童心理学者で全米幼児教育協会の会長であるデイヴィッド・エルキルドは、早期教育の問題点を以下のようにも述べていました。

「集団での反復訓練である。そこで使われる丸暗記という方法が幼児に固定されてしまうおそれがあるからだ。

幼児期は、自分なりの学習方法を確立する大切な時期であり、さまざまな学習方法を試す機会を与えられないと、特定の学習様式が固定化してしまう。

これは、将来にわたってその子どもの不利益になりかねない

(199ページ)

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『危ない公文式早期教育』が伝える『早期教育』をするうえで知っておくべきこと

早期教育についての最後のトピックは、本書で述べられていた、早期教育をするうえで知っておきたいことについてです。

やりすぎないことが一番大切

まずは何よりも『やりすぎないこと』が繰り返し強調されていました。

だれにだって常識というものがある。

早期教育といっても、あまりやりすぎては弊害もでるだろう。

「ちょうどいい」ところでコントロールできてこそ、知的で賢い子育てなのだーーという声もよく聞く。

(13ページ)

東京大学教育学部で助教授だった汐見稔幸(しおみ としゆき)さんも同じ意見です。

すべてやるなとは言わないが、絶対にやりすぎないでほしい。

(82ページ)

早期教育をしたがる親は『井戸端会議が嫌い』

しかし、それでも早期教育をやりすぎてしまう方は一定数いるようです。

 

早期教育の実践と効果を検証する教育機関『家庭教育研究所』の主幹研究員であり、数十年に渡り子どもと関わっている中野由美子さんは、早期教育に傾倒する親には一つの特徴が見られることを明らかにしています。

早期教育に熱心なお母さんたちは、井戸端会議はきらいというタイプが多いんです。人よりは情報と思っている。

ベタつく関係はいやで、クールにふるまっている。

(47ページ)

線引きのポイントは1対1【レーマンの研究】

では、『早期教育をやりすぎかどうかを調べるには、何を基準にすれば良いのか?』

それには本書によると、海外で行われたとある研究が参考になるとしています。

 

以下は公文式教材の修了者の将来を研究した『くもん子ども研究所』の研究者であり、代表者でもある佐野勝徳(さの かつのり)さんが本書で紹介した研究結果です。

一日の生活時間を①拘束時間(会社で仕事をしている時間など)、②半拘束時間(通勤時間、食事、身支度など)、③自由時間(趣味、余暇の時間など)、④睡眠時間の四つに分け、心身の健康との関係で詳細に分析している。

その結果、『拘束時間と半拘束時間を合わせた時間』と『自由時間と睡眠時間を合わせた時間』との割合が、一対一、つまり十二時間対十二時間となっているのが理想的であり、前者が後者より長くなっている生活を長期にわたり続けていると、自律神経失調症、慢性疲労感を伴い、イライラやストレスが蓄積し、ノイローゼ、胃潰瘍などになりやすく、ときに鬱病や精神障害になることもあることを明らかにしている。

レーマンの知見は、成長盛りにある幼児、児童、生徒にも十分あてはまると思われる。

(168、169ページ 旧西独の労働生理学者レーマンの『サラリーマンの生活と健康に対しての調査の方法』より)

海外の事例とはいえど、日本においても少なからず参考になるところはありそうです。

『遊び』は人格を形成する

さきほどの研究結果を見るに、子どもにとっては勉強以外のゆとりを持つことも大切なのかもしれません。

『くもん子ども研究所』は以下のことも報告しています。

子ども同士の遊びを通して、自立心、協調性、社会性、思いやりなどが育つと言われている通り、子どもの人格を形成していく際に、きわめて重要な役割を果たしているものの一つが遊びである。

また『遊びによって想像力や創造力の基礎が培われる』との指摘もあるが、子どもの発達に欠くことのできない遊びが、優秀児群で少なく、さらに低年齢の優秀児ほどその傾向が強まっていることは、やはり大きな問題の一つであると言わざるをえない。

(169ページ)

早期教育の時間的かつ心理的な拘束の結果、『失うものがある』ということは本書が繰り返しているメッセージの一つです。

『家庭教育研究所』の主幹研究員である中野さんは以下のように話します。

人類の歴史のなかで、「教育」はプラスであると思われていた時期が長かったけど、この早期教育の登場で、「教えることによって、何かを得ることよりも多く削られる」という局面を迎えているんだと思うんです。

そこを、どうやって親たちに気づいてもらうのか、むずかしいところですね。

(55ページ)

『危ない公文式早期教育』に登場する公文式教室の指導者たちの声なき声

最後は本書に寄せられていた、公文式で教室指導をする指導者たちの声のご紹介です。

現実では公文式の名を借りているからなのか、指導者たちからはなかなかネガティブな話は聞こえてきません。

 

その意味では、ここでは貴重な現実が垣間見えるかもしれません。

指導者の評価は生徒の『数』で決まる

生徒の「数」こそが、公文のなかでは指導者が評価されるすべてなんです。

(111ページ)

まずは公文式教室で指導者をする島田さん(仮名)の声です。

島田さんによると、公文式指導者の評価は生徒の数によって左右されると語っています。

 

指導者の間には、生徒の数を競う競争意識が少なからず存在するようです。

その事実を裏付けるエピソードも本書に寄せられていました。

指導者もまた生徒数をいかに確保し、伸ばしたかで競争させられている。

『やまびこ』という内部雑誌に、三か月に一度、二百人を超えた教室の指導者全員の名前が載る。生徒が二百人になると、「二百人会」という会に出席できるようになる。

てのひらを返したかのように職員の態度も変わる。これが、さらに「三百人会」となると大変だ。

少々の我ままは許されて当然というぐあいになる。頂上には「五百人会」があり、これをゴールドと呼ぶ。ゴールドとなれば、事務局長の首を飛ばすことも出来るといわれている。

(161ページ)

『生徒の『数』≠指導者の努力』という残酷さ

しかし、残酷なことに、その生徒の数を決めるほとんどの要因は、指導者の力ではないとも言われています。島田さんが話します。

そのときどきの公文の評判、世間の評価によって、生徒数は増えたり減ったりするんです。

私自身のカラーや努力は、ほとんど問題にならないんですね。

(111、112ページ)

売上の40%は事務局(本部)に持っていかれる

さらに、仮に生徒の数を増やせたとしても、教室の売り上げが指導者にそのまま入るわけでもありません。

公文式で指導者をする伊藤さん(仮名)が話します。

「こんなにうまい商売をする人がいるんですか」と、税理士に言われたことがあります。

長年、指導者をつづけていても、高い納入率はちっとも変わらない。

正資格をもつ指導者でも、四〇パーセントは事務局へもっていかれるんです。

教材を送る以外、あちらはなにもしないのにですよ。

募集用のチラシから、教室の看板、さらに教室の会場費や助手の人件費にいたるまで、経費はぜんぶこちらもち。教室も指導者が探し、事務局は許可をだすだけですから。

(118、119ページ)

生徒が少ない教室は評価されることもなく、仕事としても成り立たないと伊藤さんは語ります。

いまの生徒数では、仕事としては収益はなくて、すっかりボランティアです。

公文は、指導者の犠牲のうえに成りたっているんです。

(119ページ)

年収一千万超え『公文ドリーム』の現実

ただし一方で、教室の生徒数を膨大に増やすことができれば、その教室の指導者は『公文ドリーム』を手にできるとのこと。

公文で指導者をする山崎さん(仮名)は話します。

学歴も資格も特技もない、ただの専業主婦が年収一千万円とれる職業はほかにあるだろうか。

もちろん、この公文ドリームを体現しているのは、指導者一万八千人のうちでわずか一パーセントにすぎない。

具体的に言うと、指導者の収入とは即、教室の生徒数に直結している。

生徒数三百人で月収七十~八十万円を得ている指導者が全体の一パーセント。生徒数二百人で、四十~五十万円という指導者が全体の一〇パーセントぐらい。

(161ページ)

以下は実際に『公文ドリーム』なるものをつかんだとされる方のエピソードになります。

三十五周年式典では、なんと生徒数千人を超えた先生が表彰された。

この数字は指導者たちを唸らせるのに十分だった。

この人は「週に二十時間は寝たいわね」と言ったそうだ。

教室を三つ運営して、週に六日は見なければならない。午前中は幼児クラスでつぶれてしまう。公文では生徒が教室に来て、その日のうちにする宿題のプリントを前もって準備することを「セット」と呼んでいる。この先生は、助手まかせにしないで全員のセットを自分の手で行う。たとえば、午後一時から九時の教室が終了した後で、翌日の三百人の生徒たちのプリントを五~六時間かけてセットするわけだ。

こうして、いのちを削り、公文に身も心も奉仕して公文ドリームの頂点に立った彼女は、皮肉なことに「夢を見る暇もない」ようだ。

(161、162ページ)

夢のある話かもしれませんが、しかし、現在においてはその『公文ドリーム』は過去のものとなりつつあるようです。

「公文ドリームの頂点に立つ人は夢を見る暇もない」とは皮肉なたとえだが、教室の開設から生徒募集、そして、生徒数が増えれば助手の雇用や諸雑費などすべてが指導者の負担となる。

しかも、生徒からの月謝のうち、約四割を本部に納付させるというシステムは、巧妙な共同幻想のもとにつくられてきた。

「やれば、できる」と生徒数二百人、三百人と目標を掲げて、指導者どうしもまた競争にまきこむことで、「現状に不満な者は、努力がたりないのだ」と異議申し立てを受けつけない企業体質をつくりあげたのだろう。

だが、生徒数はどの教室ものきなみ減少している今日、「公文ドリーム」は収入のうえからも過去のもととなりつつある。

(163ページ)

指導者に『主婦』が多いカラクリ

しかしそうなると気になるのは、『公文のやり方に誰か異議を申し立てたりはしなかったのか?』という疑問です。

これには公文の指導者である伊藤さん(仮名)が以下のように答えています。

以前、組合をつくろうという動きがありましたけど、かかわった人はすべて首になりました。

指導者に男性をいれずに、主婦を使っているのには、いくつかの理由があると思います。

それは、公文で食べなくても死活問題にならないことや、家庭を犠牲にしてまで事務局を突きあげたりしないという、あちらの目算からでしょう。

安い給料で目いっぱい公文に奉仕してきたのが、私たち指導者なんです。

(119ページ)

一方でそういった厳しい現実がありながらも、公文式に感謝している方がいるのもまた事実です。

本書の著者である保坂さんは言います。

「公文のおかげで高卒の私が先生と呼ばれ、立派な収入も得ることが出来た。会長先生のお陰です」と信仰に近い声もあげるのだから、コンプレックスとだれかに認められたいという見栄を満足させる魅惑のシステムを考えた会長は、やはり、「商売の天才」だったのかもしれない。

(162ページ)

そして公文で指導者をするのは単純に『子どもが好きだから』、『子どもと関わりたいから』という方がいるのも当然のことながら事実でしょう。

指導者は、多かれ少なかれ自己犠牲や家庭犠牲を強いられながら教室運営をしているが、会長のやり方に反発しても「やめない」のは、やはり子どもが好きだからだ。

だから、教室の現場から離れられなくなってしまうのだ。

(162ページ)

公文式の運営方針と、指導者としての本心との葛藤

ただしそのような状況でも、当時の公文式は教室指導者に公文産の優秀児を生み出すことを後押していたようです。

「優秀児」を教室からだすと、公文公基金という奨励金がでる仕組みもある。

(115ページ)

公文教室の指導者にとって、自分の教室から「進度上位者」をだすというのは、ハレの舞台にのぼることである。

さらに「優秀児」をだす教室の指導者には公文公基金という名の奨励金も配られる。

(66ページ)

当時、公文式が作成したパンフレットには、以下のような宣伝文も使われていました。

・五歳で英検四級に合格したR子ちゃん

・四歳で百編以上の詩を書く、小さな詩人ことM子ちゃん

・五歳にして三角関数を解く数学博士ことU君

(『幼児教育ーーここだけの耳よりな話』という公文式が作成したパンフレットに載せられた優秀児の紹介文)

公文式で教室指導者をしていた伊藤さん(仮名)は葛藤があったと振り返っています。

『〇歳なのにこんなハイレベルな教材を勉強している!スゴい!!』みたいに公文に通う子どもを広告塔に使うことに反対している。

なので教室に優秀な生徒がいても、公文に提出する進度表には抑え目にして書いているらしい。

子どもを本に載せたり宣伝に使って子どもにプレッシャーになったり、天狗になると、どちらにせよ将来的にマイナスになりかねない。

子どもを守っていきたいと話している。

同じく公文式教室指導者の島田さん(仮名)は以下のように語っていました。

私は、もともと公文の教材にはちゃんとしたよさがあると思っています。

派手に巨大企業としてふくらまなくても、地域のなかでそこそこの役目をはたしていれば、しぜんに生徒はきてくれます。

(112ページ)

『危ない公文式早期教育』のまとめ

本書は公文式ならびに早期教育の問題点に徹底的に切り込んだ一冊です。

著者の執念ともいうべき気の遠くなるような取材の数々と、多くの関連書籍や文献を元にした結果が一冊の本にまとめられています。

 

感情論で根拠のない批判を繰り広げているわけではないので、読んでいると納得してしまう部分も少なからずあるかもしれません。

 

といっても、だからといって本書の著者は、読者に対して本の内容に盲目的になることは望んでいないはずです。

早期教育も、小学生の塾がよいも、私立学校ブームも、その底流にあるのは「みんながやることだから」という、ディズニーランドの行列のようなものなのではないだろうか。

(197ページ)

つまるところ本書を通じて読者がすべきことは、本書で得た知見を元に、教育の正しい在り方や方向性を一人一人が今一度考えることなのかもしれません。

教育にマニュアルはないんですから

(123ページ)

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