『飛ぶ教室』のあらすじ内容を簡単に要約【ネタバレ注意】

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名作:『飛ぶ教室』をご紹介させていただきました。

あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 全文ふりがな付きのあらすじ要約
  2. 作者紹介
  3. 参考文献

『飛ぶ教室』のあらすじ内容を簡単に【ネタバレ】

では、あらすじと作者紹介です。

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物語:生徒たちの成長

喧嘩

ドイツのキルヒベルクにあるギムナジウム*。

その宿しゅくしゃ*には、様々さまざませいんでいます。

高等こうとう1年生ねんせいせいたちは、ほう課後かご体育館たいいくかんで、クリスマスにじょうえんするためのげきれんしゅうをしていました。

 

げきのタイトルは、『きょうしつ』です。

 

作者さくしゃせい1人ひとりであるヨナタン・トロッツ。

げき背景はいけいは、おなじくせいであるマルティン・ターラーが担当たんとうすることになっていました。

 

そんなれんしゅうなか怪我けがをしたせいが、突然体育館とつぜんたいいくかんんできます。

なんと、ギムナジウムにかよなかのルディ・クロイツカムが、じつぎょう学校がっこうせいたちにれていかれたというのです。

 

マルティンたちはきょももらわずに、学校がっこうしました。

 

禁煙先生きんえんせんせい』のもとかい、クロイツカムをたすけるためにはどうすればいいのかを相談そうだんするためです。

禁煙先生きんえんせんせい本当ほんとうまえは、ローベルト・ウトホフトといいます。

元々もともとしゃで、いまりょうてんでピアノをいて生活せいかつをしています。

廃車はいしゃになった禁煙列車きんえんれっしゃしゃりょう生活せいかつしていたため、禁煙先生きんえんせんせいばれているのでした。

 

せいたちはこれまでも、学校がっこう先生せんせいにはえないようなことを、禁煙先生きんえんせんせい相談そうだんしていました。

そして禁煙先生きんえんせんせい助言じょげんによって、ギムナジウムのせいたちは、じつぎょう学校がっこうせいたちと、1たい1の雪合戦ゆきがっせんたたかうことにめました。

 

するとたたかいにはしょうし、なんとかクロイツカムをたすすことに成功せいこう

しかし、だん学校がっこうした5にんたいしては、ヨハン・ベク先生せんせいからかるちゅうがありました。

とはいえ、せいたちから『せい先生せんせい』というあだしたわれていたかれは、それじょうおおきな問題もんだいにすることはありませんでした。

 

そのほかにも、ギムナジウムのせいたちのまわりでは、様々さまざま出来できごとこります。

せいたちは、かつて親友しんゆうどうだったせい先生せんせい禁煙先生きんえんせんせいが、再会さいかいするようにとはからったこともありました。

よわせいが、ぶんおくびょうさを克服こくふくするため、たかいところからりたこともありました。

 

それらすべての経験けいけんが、せいたちのゆうじょう信頼しんらいふかめ、たくましくせいちょうさせるのでした。

 

(おわり)

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よう説明せつめい

*ギムナジウム:おもにヨーロッパちゅうにあるちゅうとうきょういくかんのこと。大学進学だいがくしんがくぼうするせいたちがにゅうがくし、つうじょうは7~9年制ねんせいであることがおお

宿しゅくしゃ学校がっこうなどにある宿しゅくしゃのことで、せいなどが

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作者:ケストナー

作者:ケストナー(1899~1974年)

ドイツの作家であり詩人。

本作:『飛ぶ教室』は1933年に発表されています。

ケストナーの少年しょうせつ

1933年作。

ドイツのある中学校で、性的せいてきな5人のなかが、クリスマスに「飛ぶ教室」というげきじょうえんするまでのいきさつをえがく。

(『学習人物事典』153ページ 飛ぶ教室 より)

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貧しい家庭に生まれたケストナーは、苦学の末、大学を卒業。

記者を経た後、詩人として活躍し始めました。

ドレスデンのまずしいしょくにんの家に生まれた。

第一次世界大戦たいせんじゅうぐんしたのち、大学で文学の勉強をしながら、ざっへんしゅうしゃとしてつとめた。

(『学習人物事典』152ページ より)

その後、1928年には、『エミールと探偵たち』を出版。

ケストナーが世界的な作家の仲間入りをするきっかけとなりました。

1927年には詩集『こしの上のハート』を発表、つづいてその翌年よくねんどうしょうせつ『エミールと探偵たんていたち』を出版しゅっぱんし、これによって世界じゅうに知られる作家となり、『ぶ教室』など児童向けの小説をつぎつぎと世におくり出した。

(『学習人物事典』152ページ より)

思想:ナチスへの批判で出版を禁止された

ケストナーはナチス政権に批判的な側面がありました。

そのことが影響し、自作の出版を禁じられたこともあります。

1931年に出版した大人おとな向けの小説『ファビアン』は、自由しゅ者のはんと皮肉のこもった目で、当時の社会をえがき出していたためにナチス(ヒトラーにひきいられたドイツの国家しゅ的政党てきせいとう)からきらわれ、作品をドイツで出版することをきんされてしまった。

(『学習人物事典』152ページ より)

死神 【ナチスの人体実験一覧】ナチスドイツで行われた非人道的な禁忌の人体実験【2選+α】

功績:西ドイツの初代ペンクラブ会長

第二次世界大戦後には、ケストナーは西ドイツの初代ペンクラブ会長をつとめ、次々と作品を世に送り出しました。

>>【参考】国際ペンクラブ

第二次世界大戦後になって、ふたたび活やくをはじめ、『ふたりのロッテ』などの児童文学や、でん『わたしが子どもだったころ』のほか、劇作げきさく随筆ずいひつをつぎつぎと発表した。

(『学習人物事典』152ページ より)

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『飛ぶ教室』のあらすじ内容を簡単に【ネタバレ】まとめ

本作:『飛ぶ教室』では、生徒たちの成長が描かれていました。

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参考文献

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