【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『ロミオとジュリエット』をご紹介させていただきました。
あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きのあらすじ要約
- 作者紹介
- 考察と教訓:「伝えたいことは何だったのか?」
- 『ロミオとジュリエット効果』について
- ケンブリッジ大学の入試に出題された例
- 名言紹介
- 参考文献
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『ロミオとジュリエット』のあらすじ内容をざっくり簡単に要約
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:待ち受けていた悲劇
昔、イタリアのヴェローナ*という町に、モンタギュー家とキャピュレット家という二つのお金持ちの名家がありました。
両家は仲が悪く、ずっと昔から争いが絶えません。
血を流す事件が起きたこともあり、お互いを憎み合っていました。
あるとき、キャピュレット家で盛大な舞踏会*が開かれました。
モンタギュー家の青年:ロミオは、ちょっとした気晴らしのつもりで、仮面をつけて、その舞踏会に参加しました。
そこでロミオは、キャピュレット家の美しい一人娘:ジュリエットと出会います。
二人は一瞬で恋に落ちたのでした。
舞踏会が終わっても、ロミオは帰る気になれません。
ジュリエットの姿をもう一度見たいと、庭に隠れて待つことにしました。
すると、ロミオがいることを知らないジュリエットが、バルコニーに出てきます。
そして、暗い庭に向かって、こう嘆いたのです。
「ああ、ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」
「私のためにモンタギュー家を捨てて下さい。そうすれば、私もキャピュレットの名を捨てても構わない」
庭に隠れていたロミオは、その言葉を聞き、たまらず飛び出します。
ロミオは庭からジュリエットを見上げ、二人は熱く愛を語り合い、結婚の約束をしたのでした。
実はこのときジュリエットには、別の青年との縁談*が持ち上がっていました。
しかし、修道士*:ロレンスの計らいにより、ジュリエットはロミオと結婚することができました。
翌日、二人はロレンスのもと、こっそりと結婚式を挙げました。
ロレンスは二人が結婚することによって、両家の争いが止むことを期待したのです。
ところが、帰り道にロミオは、その両家の争いに巻き込まれてしまいます。
ジュリエットの従兄に親友を殺されてしまいました。
怒ったロミオは、路上でけんかを売ってきたジュリエットの従兄を剣で刺し殺します。
結果、ロミオは町から追放されてしまいました。
そのことを知ったジュリエットは、深く、嘆き悲しみました。
しかもジュリエットの父親は、娘を名門貴族と結婚させようとしていたのです。
ジュリエットはどうしたら良いのかわからずに、ロレンスのもとへ行って、助けを求めます。
相談を受けたロレンスは、ジュリエットに水薬を差し出して、次のような計画を提案しました。
「ジュリエット、これは人を仮死状態*にする薬です。これを飲むと、四十二時間、死んだようになります。するとみなはジュリエットが死んだと思って嘆き悲しみ、あなたを地下の墓地へと運ぶでしょう。私は今からロミオに手紙を出し、このことを伝えます。あなたは墓地で目を覚ましたら、迎えに来た彼といっしょに町を出るのです」
しかし、その計画はうまくはいきませんでした。
ロミオにはロレンスからの手紙より先に、ジュリエットが死んだという知らせの方が、早く届いてしまったのです。
ジュリエットが本当に死んだと思ったロミオは、驚き、毒薬を買い、まっすぐ墓地へと向かいました。
そして横たわっている最愛のジュリエットの横で、その毒薬を飲み干し、ロミオは死んでしまいました。
その後、目を覚ましたジュリエットは、ロミオが死んでいることを知ります。
すべてを理解したジュリエットは、ロミオの短剣を自分の胸に突き立て、自らの命を絶ったのでした。
二人の痛ましい死によって、両家の人たちを深く悲しみました。
そして両家はこれまで憎み合ってきたことを反省し、ついに和解したのでした。
(おわり)
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[用語の説明]
*ヴェローナ:イタリア北部にある都市
*舞踏会:西洋の正式なダンスパーティーのこと
*縁談:結婚の話のこと
*修道士:キリスト教の修道院で修行をしている人のこと
*仮死状態:呼吸などが止まって死んだように見えるが、実際には死んでいない状態のこと
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作者:ウィリアム・シェイクスピア
作者:ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616年)
17世紀はじめに活やくした世界演劇史上最大のイギリスの劇作家
(『学習人物事典』206ページ より)
(前略)人間の性格をほりさげてさまざまな人物を創造し、世界の演劇史上に大きな足跡をのこした。
(『学習人物事典』206ページ より)
イギリス出身の劇作家。詩人でもありました。
当初は俳優として活動していましたが、後に劇作家として活躍することになります。
『四大悲劇』と呼ばれる『ハムレット』と『オセロ』、『マクベス』、『リア王』の存在は、世界的傑作として有名です。
本作:『ロミオとジュリエット』は1594~1596年頃に発表されたと推定されています。
その他の代表作には『ヴェニスの商人』や『ジュリアス・シーザー』など多数。
略歴
生い立ち
シェイクスピアは1564年にイングランド中部のストラトフォード・オン・エイボンで生まれています。
父親は裕福な商人で、町長にもなったことがあるといわれている。
母親もゆたかな農家のむすめだったので、シェークスピアは少年時代には、かなりめぐまれた生活をしていたものと思われる。
町のグラマー=スクール(日本の中学校にあたる)に入り、かなりきびしいつめこみ主義の教育を受けたが、13歳のときに父親がなくなったため、くらしが苦しくなり、そのために上の学校に進学することができなくなった。
(『学習人物事典』206ページ より)
18歳となった1582年には、シェイクスピアは年上のアン・ハサウェイと結婚。3人の子供をもうけています。
しかし、やがてシェイクスピアは妻子を故郷に残したまま、ロンドンへと出ていくこととなりました。
成功
ロンドンに出て何をしていたのか、はっきりわかっていないが、1592年には劇作家として活やくしていたという事実が明らかになっているので、おそらく劇場にやとわれて、まず俳優となり、それから劇作家にかわったのだろうと考えられている。
(『学習人物事典』206ページ より)
そしてシェイクスピアはそれ以後のおよそ20年で、37編の戯曲と数編の長詩、1609年には叙情的な名作を集めた『ソネット集*』を書いています。
*ソネット集:ソネット形式の詩を集めたもの。ソネットとは、西洋の詩の形式の一つであり、14行の詩句から成り立っている。イギリスのものは4・4・4・2という行分けになる
作風の変遷
シェークスピアの37編の戯曲がいつ書かれたものか、はっきりしない。
しかし、ふつうには4つの時期に分けて考えられている。
(『学習人物事典』206ページ より)
第1期(1590~1595年)
第1期(1590~1595年)は習作時代で、未熟だが、わかわかしい情熱にあふれ、喜劇・悲劇など、いろいろな分野に手をそめている。
代表作に『リチャード3世*』『ロミオとジュリエット』がある。
(『学習人物事典』206、207ページ より)
*リチャード3世:1593年に初演されたシェイクスピアの悲劇。薔薇戦争の末期、残忍な方法で甥のエドワード5世から王位を奪ったヨーク家のリチャード3世が描かれた作品
第2期(1596~1600年)
第2期(1596~1600年)は『真夏の夜の夢』『ベニスの商人』など、悲劇のけっ作がつぎつぎと生まれ、シェークスピアの人間を見る目がいちだんと深まった時期でもある。
また悲劇『ジュリアス=シーザー』もこの時期の作品である。
(『学習人物事典』207ページ より)
第3期(1601~1609年)
つづく第3期(1601~1609年)は悲劇の時代といわれ、『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』の4大悲劇をはじめ、多くの悲劇を書いているが、このんで悲劇を書き、また喜劇を書いても、初期に見られた明るさや陽気さがすっかりかげをひそめてしまった原因はわかっていない。
(『学習人物事典』207ページ より)
第4期(1610~1611年)
第4期(1610~1611)はロマンス劇*の時代といわれ、晩年のしずかな心境が『冬物語』や『あらし』などの作品によくあらわれている。
(『学習人物事典』207ページ より)
*ロマンス劇:ロマンス物語に取材した戯曲のこと。ロマンス物語とは、様々な出来事の末、ハッピーエンドで終わるような、空想的かつのどかな内容を持ったもの
その他の成功
1594年以後は<内大臣一座>という劇団の座つき作者兼俳優として成功し、1596年には故郷に大きな屋しきを買い入れるほど、経済的にもめぐまれた。
内大臣一座が<グローブ座>という劇場を建設すると、そこをホームグラウンドとして活やく、劇団の幹部となり、グローブ座の株主として、かなりの財産をつくった。
(『学習人物事典』206ページ より)
「シェイクスピアとは何者なのか?」
なお、シェイクスピアの人物像をめぐっては、少なくとも18世紀頃から、とある議論が存在しています。
それは、「シェイクスピアとは一体何者なのか?」といった議論です。
このような議論が存在する理由はいくつもあります。
たとえば、シェイクスピアの人物像を特定する資料が少ないことや、シェイクスピアが平民の生まれだったとは思えないほど、当時の貴族文化が鮮明に反映された作品があることです。
『シェイクスピア=ベーコン説』の真相
そしてそんな疑問への答えとして、なかでも有力視されていた説が、イギリスの哲学者:フランシス・ベーコンとの『シェイクスピア=ベーコン説』でした。
イギリスの哲学者・政治家で、イギリス経験論の祖とされる。
名門の家に生まれ、12歳でケンブリッジ大学のトリニティ=カレッジに入学し、さらにグレイズ=イン法学院に学んで、弁護士の資格をとった。
23歳で国会議員に選ばれ、政治家・弁護士として活動を続け、52歳で司法長官になり、さらに最高の地位である大法官になった。
(『倫理用語集』200ページ ベーコンの生涯と思想 1561~1626 より)
ベーコンはシェイクスピアとほぼ同じ時代を生き、名門の家に生まれた教養のある人物としても知られていました。
よってそのような人物的背景のあるベーコンであれば、貴族文化を作品へと鮮明に反映させることはもちろん、シェイクスピア作品に見られる美しく教養ある戯曲をつくれたことへの説明も十分につくというわけです。
しかし、この説は後に初期の計量文献学*において否定されました。
両者が書いた文体には統計的に有意な違いは見られず、今では両者はまったくの別人であると結論付けられているようです。
*計量文献学:文章中の単語の数や種類、長さなどから、その文章の特徴を理解しようとする研究のこと
有識者たちからのシェイクスピア作品に対する批評
児童文学研究家:金原瑞人さん
児童文学研究家の金原瑞人さんは、シェイクスピア作の文学への社会的評価は、ロマン派の時代になってからより一層高まった傾向にあったことを、以下のようにご指摘されています。
文学的価値観などというものは、すべてがこの「好み」に左右されているわけで、たとえばシェークスピアも十八世紀から十九世紀にかけての古典主義の時代にはかなり不遇であったのが、ロマン派の時代になって一躍注目されるようになったのは有名な話だ。
(『童話学がわかる』144ページ より)
そしてこのような時代の変遷に伴うシェイクスピア作の文学への社会評価の変遷は、金原さんは今後も起こり得ることを次のようにたとえています。
現在こわもてしているシェークスピアも将来、もしかしたら品性下劣で下世話な劇作家として一蹴される時代がこないともかぎらない。
(『童話学がわかる』144ページ より)
「『ロミオとジュリエット』が伝えたいことは何だったのか?」考察と教訓
では、「本作:『ロミオとジュリエット』が伝えたいことは何だったのでしょう?」
考察させていただきました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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『争いの不毛さ』
結論からいうと、本作が伝えたかったことの一端は、『争いの不毛さ』だったと自分は考察しました。
なぜなら、本作で起こった出来事の多くは、両家の争いが背景となっていたからです。
- “こっそりと”結婚式を挙げたこと
- ロミオが町から追放されたこと
- 悲劇的な結末
もし両家の争いがなければ、上記の出来事は起こっていなかったかもしれません。
よって本作は表向きには恋愛の物語であった一方、見た人に『争いの不毛さ』のような教訓に近いことを伝えようとした意図もあったのではないか…と自分は考えました。
ロミオとジュリエット効果
困難が恋愛感情を高める心理のこと
『ロミオとジュリエット効果』とは、『困難が恋愛感情を高める心理』のことです。
本作が由来となった、一種の心理現象になります。
【心理現象一覧】面白い有名な心理現象の名前と意味大全【心理学を大学で勉強した自分が徹底調査】
「困難な恋愛の方が燃える…!」との経験がおありの方は、もしかしたらこの心理が影響しているのかもしれません。
『ロミオとジュリエット』がケンブリッジ大学の入試で出題された事例
イギリスの名門:『ケンブリッジ大学』では、本作にまつわる入試問題が出題されたことがあるといいます。
「ロミオは衝動的ですか?」
実際に出題されたのは面接形式による次の問題です。
ロミオは衝動的ですか?
(『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題「あなたは自分を利口だと思いますか?」』193ページ より)
「はい」と一言で終わってしまいそうな問題ですが。苦笑
とはいえ、ケンブリッジ大学のジーザス・カレッジ出身でもあるジョン・ファーンドンは、この問題について、次のように話しています。
もちろん、ロミオは衝動的だ。(中略)
彼はキャピュレット家とモンタギュー家の間の確執に火をつける危険もかえりみず、一瞬にしてジュリエットへの恋情に溺れるのだから、衝動的だ。
また、復讐心にかられて後先考えずにティボルトを殺すのだから、やはり衝動的であると言える。
(『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題「あなたは自分を利口だと思いますか?」』193ページ より)
またファーンドンは、このロミオをはじめとした衝動性のようなものが、本作への魅力にもつながっていると考察していました。
(前略)私たち観客にとってはそこが魅力でもある。
彼らは勇敢で情熱的で無鉄砲にも見えるから、危なっかしくてはらはらするのだ。
舞台にのめりこんだ観客の胸中では「だめだ、そんなことをしては! 狂気の沙汰だ!」という気持ちと「そうだ、かまうもんか、やっちまえ!」という気持ちがせめぎ合い、観客は彼らの浮き沈みに一喜一憂しつつ客席から身を乗り出さんばかりとなる。
もっと抑制のきいた計算ずくの行いだったらそこまで引き込まれはしない。
彼らが冒険者として観客の代わりに危険をおかしてくれるから、観客は陶酔するのだ。
(『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題「あなたは自分を利口だと思いますか?」』195ページ より)
しかし、ロミオは恋ゆえに衝動的になったのだろうか、もともと衝動的だから一瞬にして恋に落ちたのだろうか?
恋は一種の狂気と言われるだけあって、一見まともな男も女も恋をすると極端に愚かしい行為に走ってしまう。
(『オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題「あなたは自分を利口だと思いますか?」』194ページ より)
『ロミオとジュリエット』の名言【有名なセリフ】
「だって私の気前の良さは、海のように限りがない。愛の深さもそう、あげればあげるほど湧いてくる」
「だって私の気前の良さは、海のように限りがない。愛の深さもそう、あげればあげるほど湧いてくる」は、気前の良さや愛情を、限りない海の深さにたとえたセリフです。
【『ロミオとジュリエット』が伝えたいことの考察と教訓】あらすじ内容もざっくり簡単に【要約】まとめ
本作:『ロミオとジュリエット』には、悲しい恋が描かれていました。
参考文献
>>オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題「あなたは自分を利口だと思いますか?」
・Oleg Seletsky, Tiger Huang, William Henderson-Frost「The Shakespeare Authorship Question」