名作童話:『野ばら』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『野ばら』のあらすじ
- 作者紹介
- 考察
- 学校教育にまつわる情報
- 参考文献
タッチ⇒移動する目次
『野ばら』のあらすじ
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:国境を越えた想い
大きな国と、それよりは少し小さい国とが隣り合っていました。
国境にあった石碑*には、その両方の国から兵士が一人ずつ派遣されていました。
大きい国の兵士は老人、小さな国の兵士は青年です。
二人は国境を示す石碑を守るため、それぞれ左右に分かれて見張り番をしていました。
近くには野ばら*が茂っていて、ミツバチたちの心地好い羽音がいつも響いていました。
二人ははじめ、まともに会話もしませんでした。
でも、やがてあいさつをするようになり、仲良くなっていきました。
老人は青年に将棋を教えました。
はじめのうちは、老人の方が圧倒的に強かったのですが、やがて青年も時々は老人に勝てるようになっていきました。
青年も老人も至っていい人です。
将棋盤の上で毎日争っても、ますます仲は良くなり、心は打ち解けていきました。
ところが、しばらくすると、二人の国の間で、戦争が始まってしまいました。
これまで仲良く過ごしていた二人は、敵という間柄になったのです。それは二人にとって、不思議なことに思われました。
そこで老人は青年に言いました。
「私はこんなに老いぼれていても少佐*だから、私を殺してこの首を持っていけば、あなたは出世できる。だから、殺して下さい」
すると青年は、「どうして私とあなたは敵でなければいけないのでしょう?私は別の場所で戦うつもりです」と言い残し、その場から去ってしまいました。
国境には、老人だけが残りました。
後日、老人は国境を通りがかった旅人に、戦争がどうなったのかを尋ねました。
旅人は答えました。
「小さい国が負けて、その国の兵士はみな殺しにされた」
それを聞いた老人は、それならあの青年も死んでしまったと思いました。
ある日、老人が石碑の礎*に腰かけてうつむいていると、一列の軍隊がやってきました。
馬に乗ってその軍隊を指揮していたのは、あの青年でした。
そして青年は老人の前を通るとき、黙ってお辞儀をして、野ばらのにおいをかぎました。
何かものを言おうとしたそのとき、老人は目を覚ましました。
それは夢だったのです。
それから一月余り経つと、野ばらは枯れてしまいました。
やがて老人は休暇をもらい、子供や孫がいる、南の方へと帰っていきました。
(おわり)
ーーーーー
[用語の説明]
*野ばら:バラ科の植物。トゲが多く、白い花を咲かせる。日当たりの良い場所に生える
*石碑:出来事などを記念した文を、石に刻んで建てたもの
*少佐:軍隊における階級の一つ
*石碑の礎:石碑を建てるときの土台となる石のこと
ーーーーー
作者:小川未明
作者:小川未明(1882~1961年)
本名は小川健作という。
「未明」という筆名は、師の坪内逍遥に名づけられた。
正しくは「びめい」と読む。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
本作:『野ばら』は1923年に発表されています。
「野ばら」は、一九二三(大正十二)年の作品である。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
ーーーーー
新潟県出身の児童文学作家。
新潟県高田市(現在の新潟県上越市)に生まれた後、1901年に上京。
東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部に入学した後、大学部英文科に移りました。
大学ではシェークスピアの講義や、坪内逍遥の指導を受けた。
また、中学時代からの学友相馬御風ら文学仲間と親しくつきあい、ロシア文学を愛読した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
在学中から小説を書き始め、卒業後は童話の創作にも力を入れるようになりました。
卒業後、雑誌『少年文庫』の編集にたずさわったことが、童話を書くきっかけとなり、1910(明治43)年に童話集『赤い船』を世に出した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
決断:童話創作へ専念
その後は1925年から制作し始めた作品の完成をきっかけにして、童話の創作に専念するようになりました。
1925(大正14)年から2年がかりで『小川未明選集』全6巻が完成したのを機に、童話だけにうちこむことを宣言した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
そして一九二六年五月十三日の「東京日日新聞」に「今後を童話作家に」という童話作家宣言を発表した。
それまで小説と童話の両方を書いてきたけれど、その二つを書き分ける苦しさを感じてきたので、『未明選集』六巻の完結を好機として「余の半生を専心わが特異な詩形のために、つくしたい」というのだ。
(『童話学がわかる。』68ページ より)
作品:約1,000編の童話を残した
約1000編の童話をのこした。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
その他の代表作には『赤い蝋燭と人魚』や『時計のない村』など多数。
評価
『日本のアンデルセン』、『日本童話文学の父』
「日本のアンデルセン」や「日本児童文学の父」と称される。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
近代的童話の先駆け
近代的童話の先がけとなった作家。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
(前略)1910(明治43)年に童話集『赤い船』を世に出した。
これは、それまでの童話やおとぎ話の世界とはちがった芸術性の高い、最初の近代的児童文学となっている。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
浪漫主義、人道主義の作家
(前略)浪漫主義・人道主義の作家として評価された。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
初代児童文学者協会会長
1950(昭和25)年『小川未明童話全集』が完結し、芸術院賞を受け、初代の児童文学者協会会長となった。
芸術院会員・文化功労者でもあった。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
人物:童話作家は子供のために作品を書くのではない
未明はまた、「童話の創作に就いて」(『童話研究』一九二八年一月)のなかで、童話作家は子どものために作品を書くのではないとして、「児童は自分たちの背後から来る大衆である。最も正直で、純粋な感激性に富んだ大衆、それが児童である。童話作家の童心に立って、正直なる告白と、至純の感激とによって作られた作品は、期せずしてそれらの大衆に受け入れられる筈である」と述べている。
(『童話学がわかる。』68ページ より)
『野ばら』の解説と考察【あらすじから読み取れる3つのこと】
本作:『野ばら』の解説と考察です。
作品から読み取れることを3つにまとめました。
ーーーーー
注:ここからの情報は自分の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
ーーーーー
<1>心を通わせる喜び
まず本作から読み取れることは、『心を通わせる喜び』です。
本作では異なる国の、異なる立場にあった二人が、あいさつや将棋などを通し、心通わせていく様子が描かれていました。
お互いの立場を越えて交流を深めていくその二人の様子は、喜びに満ちていたように、自分には見えました。
<2>思いやりの心
とはいえ、その後、二人の国々の間では、戦争が始まってしまいます。
心を通わせたはずの二人は、対立する関係へとなってしまったわけですが、それでも二人の間にあったのは、『思いやりの心』でした。
まず老人は青年に対して、自身を手柄にすることを提案。
一方の青年は、その提案を却下。お互いが敵対することを決して望みませんでした。
この一連の二人の行動は、お互いが相手を思いやる心があったからだと自分は考察しました。
そしてこのことはもっというなら、思いやりの心というのは、心を通わせることによって育まれるものなのだということも読み取ることができそうです。
<3>未来への希望
最後は『未来への希望』です。
本作の最後では、野ばらが枯れてしまった様子が描かれていたため、見た人によってはネガティブな印象を持つかもしれません。
ですが、あらすじではその後に老人が家族のもとへ向かっている様子も描かれていたため、同時に未来への希望のようなものが示唆されていた…と自分には見えました。
『野ばら』と学校教育
最後は本作:『野ばら』の学校教育にまつわる情報です。
小学6年生の教科書に掲載
まず本作は小学校6年生の教科書に掲載されたことがあるといいます。
「野ばら」は、一九二三(大正十二)年の作品である。
小学六年生の教科書に採録された。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
実際に行われた指導例
なお、実際の学校教育の現場では、本作は少なくとも次の3つの指導が行われたことがあるとのこと。
<1>「二人の心の結び付きがどう書かれているか?」をノートに書き出してみる
まず一つ目は、『老人と青年の心の結び付きについて』です。
「野ばら」は、一九二三(大正十二)年の作品である。
小学六年生の教科書に採録された。
授業では、次のような指導が行われた。
・大きな国の老人と小さな国の青年の心の結び付きが、どのように書かれているか、ノートに書き出してみる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
<2>情景を表している文から、その様子を思い浮かべてみる
二つ目は、『情景を表す文から、その様子を思い浮かべる』です。
授業では、次のような指導が行われた。(中略)
・情景を表している文から、その様子をはっきりと思い浮かべてみる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
<3>「なぜ、『野ばら』という題名なのか?」を話し合ってみる
最後三つ目は、『本作のタイトルが『野ばら』である理由について』になります。
授業では、次のような指導が行われた。(中略)
・「野ばら」という題名が付けられた理由を、話し合ってみる。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
ーーーーー
ちなみにこの最後の指導例については様々な意見があるかと思いますが、自分は『野ばら』という植物が老人と青年の関係に置き換えられると考察しました。
つまり野ばらは一見すると、トゲのある植物だが、近づくほどに綺麗で、良いにおいがする。
このことは、異なる(一見するとトゲがありそうな)立場にあった老人と青年が交流を深め、距離を縮めていった結果、お互いの良さ(綺麗な側面があること)に気づいていったことと通じているということです。
老人の夢に出てきた青年が、最後に野ばらのにおいをかいだのも、老人と打ち解けられたことへの喜びが示唆されていたように自分には見えました。
もちろん以上のことは自分の勝手な考察に過ぎませんが。
ーーーーー
【『野ばら』:小川未明】解説と考察【あらすじ】まとめ
童話:『野ばら』は、国境や立場を越えた二人の交流が、色鮮やかに描かれていました。
そこには心を通わせる喜びや、相手を思いやる心など、人間の豊かさがあったように思います。