【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『赤い蝋燭と人魚』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。
- 『赤い蝋燭と人魚』のあらすじ要約
- 作者紹介
- 考察
- 教訓の考察
- 参考文献
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『赤い蝋燭と人魚』のあらすじを簡単に
まずはあらすじと作者紹介です。
物語:人間に裏切られた人魚の悲しみ
暗く冷たい北の海に、赤ちゃんを身ごもっていた人魚がいました。
北の海は、人魚が住むにはとてもさびしく、まわりには、気の荒いけものたちが住んでいたといいます。
人魚は長い間、話をする相手もいないその場所で、さびしく過ごしてきましたが、子供を育てるには心配な場所です。
そう思った人魚は、陸地で子供を産むことにしました。
なぜなら、人魚は人間がこの世界で一番優しいものだと聞いていて、胴から上は人間そのままの人魚であれば、そんな人間の世界でも暮らせないことはないだろうと考えたからでした。
人魚は、これから産まれてくる子供には、自分のような暮らしはさせたくなかったのです。
「(この子は、やさしい人間に育ててほしい…)」
それが人魚の願いでした。
人魚の子をひろったのは、ろうそく屋の老夫婦でした。
その子供は胴から下が魚の姿だったものの、老夫婦は、「この子は、きっと神様がお授けになったのだろう」と考え、大切に育てることにしました。
人魚の子は成長し、美しい娘となりました。
しかし、その姿のために、外に出ることはできません。
そこで娘は、ろうそく屋の老夫婦の仕事を手伝うため、白いろうそくに、赤い絵の具で絵を描くようになりました。
娘が赤い絵の具で描いた魚や貝、海藻などの絵は、やがて評判となっていきます。
店にはお客さんがたくさんくるようになりました。
そしてそのろうそくには、ある不思議な噂が流れるようになっていました。
それは、そのろうそくを神社におさめて火を灯し、燃えさし*を身に着けて海に出ると、大きな嵐に遭っても船が沈んだり、命を失ったりしないという噂です。
あるとき、老夫婦のろうそく屋に、香具師*がやってきました。
そして香具師は娘が人魚であることを見抜き、「大金をやるから人魚を売ってくれ」と老夫婦に迫ったのです。
老夫婦もはじめのうちは断っていました。
しかし、老夫婦は娘を売ってしまったのです。
その理由は、老夫婦が大金に目がくらんでしまったことと、「人魚は不吉なものだ」という言葉を信じてしまったためでした。
それでも、娘は香具師に引き渡されるその日がくるまで、一生懸命、絵を描き続けました。
引き渡しの日、娘は全体を赤く塗っただけのろうそくを残し、香具師に連れていかれました。
その後のある真夜中のことです。
老夫婦のろうそく屋に、長い髪の毛がびっしょりと水に濡れた女の人がやってきました。
そしてその女の人は、娘が最後に残した赤いろうそくを買っていきました。老夫婦は後から、代金が貝殻であったことに気づきました。
それからは急に大嵐になり、数えきれないほど、たくさんの船が沈みました。
またその頃から、誰かが神社に赤いろうそくを灯すようになっていましたが、ろうそくが灯った晩は、必ず嵐になったといいます。
さらにそのろうそくを見た者は、海で溺れ死ぬようにもなったそうです。
それからは何年もしないうちに、ろうそく屋があった町は滅び、無くなってしまいました。
(おわり)
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[用語の説明]
*燃えさし:燃え切らないで残ったもののこと
*香具師:縁日やお祭りなどで露店を開いたり、いろいろな見世物を催したりする人のこと
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作者:小川未明
作者:小川未明(1882~1961年)
本名は小川健作という。
「未明」という筆名は、師の坪内逍遥に名づけられた。
正しくは「びめい」と読む。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
本作:『赤い蝋燭と人魚』は、1921年に発表されています。
(前略)一九二一年二月「東京朝日新聞」夕刊に岡本一平の挿絵で「赤い蝋燭と人魚」を連載するなど、この時期に代表作の多くを残している。
(『童話学がわかる。』68ページ より)
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新潟県出身の児童文学作家。
新潟県高田市(現在の新潟県上越市)に生まれた後、1901年に上京。
東京専門学校(早稲田大学の前身)専門部に入学した後、大学部英文科に移りました。
大学ではシェークスピアの講義や、坪内逍遥の指導を受けた。
また、中学時代からの学友相馬御風ら文学仲間と親しくつきあい、ロシア文学を愛読した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
在学中から小説を書き始め、卒業後は童話の創作にも力を入れるようになりました。
卒業後、雑誌『少年文庫』の編集にたずさわったことが、童話を書くきっかけとなり、1910(明治43)年に童話集『赤い船』を世に出した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
決断:童話創作へ専念
その後は1925年から制作し始めた作品の完成をきっかけにして、童話の創作に専念するようになりました。
1925(大正14)年から2年がかりで『小川未明選集』全6巻が完成したのを機に、童話だけにうちこむことを宣言した。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
そして一九二六年五月十三日の「東京日日新聞」に「今後を童話作家に」という童話作家宣言を発表した。
それまで小説と童話の両方を書いてきたけれど、その二つを書き分ける苦しさを感じてきたので、『未明選集』六巻の完結を好機として「余の半生を専心わが特異な詩形のために、つくしたい」というのだ。
(『童話学がわかる。』68ページ より)
作品:約1,000編の童話を残した
約1000編の童話をのこした。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
その他の代表作には『野ばら』や『時計のない村』など多数。
評価
『日本のアンデルセン』、『日本童話文学の父』
「日本のアンデルセン」や「日本児童文学の父」と称される。
(『もう一度読みたい 教科書の泣ける名作』116ページ 小川未明 より)
近代的童話の先駆け
近代的童話の先がけとなった作家。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
(前略)1910(明治43)年に童話集『赤い船』を世に出した。
これは、それまでの童話やおとぎ話の世界とはちがった芸術性の高い、最初の近代的児童文学となっている。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
浪漫主義、人道主義の作家
(前略)浪漫主義・人道主義の作家として評価された。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
初代児童文学者協会会長
1950(昭和25)年『小川未明童話全集』が完結し、芸術院賞を受け、初代の児童文学者協会会長となった。
芸術院会員・文化功労者でもあった。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
人物:童話作家は子供のために作品を書くのではない
未明はまた、「童話の創作に就いて」(『童話研究』一九二八年一月)のなかで、童話作家は子どものために作品を書くのではないとして、「児童は自分たちの背後から来る大衆である。最も正直で、純粋な感激性に富んだ大衆、それが児童である。童話作家の童心に立って、正直なる告白と、至純の感激とによって作られた作品は、期せずしてそれらの大衆に受け入れられる筈である」と述べている。
(『童話学がわかる。』68ページ より)
『赤い蝋燭と人魚』の考察
本作:『赤い蝋燭と人魚』の考察です。
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注:ここからの情報は自分の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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前提:新潟県の人魚伝説がモデル
まず前提として、本作は作者:小川 未明さんの出身である新潟県の人魚伝説が元になったとされています。
大潟区に伝わる「人魚塚伝説」は、小川未明の代表的な童話「赤いろうそくと人魚」のモデルになったとも言われています。
佐渡を望む雁子浜の海岸の海岸の人魚伝説公園には、「人魚伝説の碑」がたち、人魚のロマンを伝えています。
※人魚塚伝説:神社の常夜灯を目当てに毎夜、佐渡が島から通ってくる女性と、地元の若者との悲恋の物語。
(『にいがた観光ナビ』人魚塚伝説の碑 より)
社会悪への抗議
そしてそんな本作から示唆されることの一つは、『社会悪への抗議』です。
代表作『赤いろうそくと人魚』は1921(大正10)年朝日新聞に連さいされ、神秘的で美しい物語性と、社会悪*への抗議がおりなす名作となっている。
(『学習人物事典』85ページ 小川未明 より)
*社会悪:犯罪や差別など、社会の矛盾から生じる悪のこと
特に本作では、社会悪のなかでも”人身売買”が描かれていたのではないか…と自分は考察します。
なぜなら、本作では人魚である娘がお金によって売り買いされたことをきっかけに、人々や町に甚大な被害をもたらすようになった描写がなされているからです。
もちろん人魚は人とはいえないかもしれませんので、厳密にいえば、人身売買とはいえません。
ですが、本作では、お金によって命を売買することを”悪”だとみなしていることは明らかです。
よって自分は、本作は『人身売買(正確には命の売買)という社会悪への抗議や警告』が示唆された作品であると考えました。
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余談ながら自分は本作で作者が売買の対象を人ではなく人魚にした理由には、童話という世界観を意識したためであることに加え、想定読者である子供への配慮をしたことにもあるのではないかと思いました。
(まぁ当然といえば当然かもしれませんが…)
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『赤い蝋燭と人魚』の教訓
最後は本作:『赤い蝋燭と人魚』から読み取れる教訓についてです。
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注:繰り返しになり恐縮ですが、ここからの情報も自分の考察に過ぎません。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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欲に流されないこと
まず本作の教訓として示唆されていることは、『欲に流されないこと』にあると自分は考察します。
その理由は、本作では登場人物たちが欲に流されたことによって、人魚の娘は不幸な思いをすることになったためです。具体的には次の通りとなります。
- 老夫婦…金に目がくらんで人魚を売った
- 香具師…人魚を見世物にしたいと人魚を買った
もっといえば、「(やさしい人間に育ててほしい…)」と願った人魚の母親の願いすら、見方によっては無責任な欲であったといえなくもないかもしれません。
とはいえ、作中の登場人物たちは、各々が各々の欲のままに行動したことにより、結果として人魚の娘の心を傷付けました。
もちろん現実問題としては、欲に流されることは必ずしも悪いこととは言い切れません。
しかし、少なくとも本作においては、もし登場人物たちが欲に流されていなければ、人魚の娘は幸せに暮らすことができていたかもしれません。
このことは人道主義者として評価されていた作者のことを踏まえても、本作における教訓の一つだと考えられます。
(前略)暴力・束縛・疎外・抑圧・不正などといった非人間的な状況に対して、人間性の擁護と解放を掲げて闘う思想や運動をさす。
(『倫理用語集』263ページ ヒューマニズム(人道主義) より)
【『赤い蝋燭と人魚』の考察】あらすじも簡単に【教訓】まとめ
童話:『赤い蝋燭と人魚』は、人魚の娘の悲しみが描かれた物語でした。
そしてその背景には、現代にも通ずる社会問題や、人間が持つ欲望など、現実性が散りばめられていたようにも考察します。
とはいえ、そんな暗く悲しい世界観と、美しい人魚という対比が、この作品の魅力の一つなのかもしれませんが。
参考文献