【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
名作:『教祖の文学』をご紹介させていただきました。
概要は全文ふりがな付きです。
一つの参考にして下さいませ。
- 全文ふりがな付きの概要
- 作者紹介
- 解説と考察
- 参考文献
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『教祖の文学』の概要
まずは解説と考察の前提となる本作の概要と作者紹介です。
自分という人間は他にかけがえのない人間
自分という人間は他にかけがえのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いっぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。
人間一般、永遠なる人間、そんなものの肖像によって間に合わせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きる他に、何物もありやしない。
文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目*は常にただ自分が生きるということだけだ。
良く見える目、そして良く人間が見え、見えすぎたという兼好法師*はどんな人間を見たというのだ。
自分という人間が見えなければ、人間がどんなに見えすぎたって何も見ていやしないのだ。
自分の人生への理想と悲願と努力というものが見えなければ。
人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ。
なぜなら、死んでなくなってしまうのだから。
自分一人だけがそうなんだから。
銘々*がそういう自分を背負っているのだから、これはもう、人間どうしの関係に幸福などありやしない。
それでも、とにかく、生きる他に手はない。
生きる以上は、悪くより、良く生きなければならぬ。
(おわり)
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[用語の説明]
*主題眼目:中心となる問題と、最も重要となる点のこと
*兼好法師:『徒然草』の作者である吉田兼好のこと
*銘々:それぞれ
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作者:坂口安吾
作者:坂口安吾(1906~1955年)
新潟県出身の小説家。
新潟県の大地主の家に生まれた。
父は県会議長、のちに衆議院議員をつとめ、漢詩*にも通じていた。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
*漢詩:中国の伝統的な詩のこと
中学に進学したが、家庭の複雑さもあって奔放・孤独な日常を送り中退、仏教を学ぼうと1926(昭和元)年に東洋大学哲学科に入学した。
交流のあった芥川龍之介の自殺に衝撃を受け、精神的に不安定となるが、アテネ=フランセで学ぶうちに小説家を志す。
大学卒業後、同人誌を創刊、創作を始めて新進作家となった。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
その他の代表作には『堕落論』や『風と光と二十の私と』など多数。
評価
古い道徳観を否定した自由で大胆な作品の数々は、社会に衝撃を与え続けました。
『無頼派』
特に『堕落論』はベストセラーとなり、太宰治らとともに『無頼派』と称されるまでになりました。
(前略)人間が人間本来の姿に戻ることを「堕落」と呼んでベストセラーとなり、太宰治らとともに「無頼派」と呼ばれた。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
「『堕落論』が伝えたいことは何だったのか?」あらすじをわかりやすく解説&考察【名言とともに】
鋭い評論と独特の視点からの文明批評
やがて物心ともに苦しい生活の中で、「突きつめた極点で生きることに向かった時、そこから新しい倫理が発足する」と説くなど、鋭い評論を発表した。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
作品は多彩で、独特の視点からの文明批評も有名である。
(『倫理用語集』182ページ 坂口安吾 より)
『教祖の文学』の解説と考察
本作:『教祖の文学』にまつわる解説です。
参考文献を元にまとめました。
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注:ここからの情報は自分独自の考察も含みます。
間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。
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教祖=小林秀雄
まず前提として本作のタイトルである“教祖”という言葉は、“文芸評論家:小林秀雄*”のことを指しています。
*小林秀雄:近代批評の道を開いた文芸評論家
時代の流行に冷静な目を向け、プロレタリア文学(労働者の立場から、その生活や心情をえがこうという文学)を批判した時期(1929~32年)の評論集に『文芸評論』がある。
ついで、雑誌『文学界』の中心となって、『ドストエフスキーの生活』『私小説論』を書いて近代の知識人の不安に取り組み、その本質を見きわめようとした。
(『学習人物事典』168ページ 小林秀雄 より)
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ちなみに小林の存在は多方面に多大な影響を与えたとされており、詩人:中原中也もその影響を受けた一人です。
【中原中也の詩:『骨』】解説と考察【骨を通した客観的な自嘲】
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作家を評価することへの批判
そして本作の作者である坂口 安吾は、作家たちを評価する文芸評論家の小林のことを、本作を通じて批判しました。
自分という人間は他にかけがえのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いっぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。
人間一般、永遠なる人間、そんなものの肖像によって間に合わせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きる他に、何物もありやしない。
文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目*は常にただ自分が生きるということだけだ。
なお、批判の矛先を向けられた小林は、生前、次のような言葉を残していたといいます。
小林秀雄は、批評とは「つまるところ、自己を語ることだ(批評は創造であるということ)」と語っている。
(『学習人物事典』168ページ 小林秀雄 より)
以上のことを今一度念頭に置いて本作を見返してみると、本作への理解がより深まるかもしれません。
少なくとも自分はそうでした。
坂口安吾:『教祖の文学』まとめ
本作:『教祖の文学』は、作者の人生論が垣間見える作品だったように自分は思います。