【中原中也の詩:『骨』】解説と考察【骨を通した客観的な自嘲】

死神

>>名作一覧へ

名作 【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】

名作:『』をご紹介させていただきました。

作品内容は全文ふりがな付きでまとめています。

一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 全文ふりがな付きの作品紹介
  2. 作者紹介
  3. 解説、考察
  4. 参考文献

詩:『骨』の内容

まずは解説の前提となる作品内容と作者紹介です。

スポンサーリンク

見つめる先は

ホラホラ、これがぼくほねだ、

きていたときろうにみちた

あのけがらわしいにくやぶって、

しらじらとあめあらわれ、

ヌックとた、ほねさき

 

それは光沢こうたくもない、

ただいたずらにしらじらと、

あめ吸収きゅうしゅうする、

かぜかれる、

幾分空いくぶんそら反映はんえいする。

 

きていたときに、

これがしょくどう雑踏ざっとうなかに、

すわっていたこともある、

みつばのおしたしをったこともある、

おもえばなんとも可笑おかしい。

 

ホラホラ、これがぼくほねーー

ているのはぼく? 可笑おかしなことだ。

霊魂れいこんはあとにのこって、

またほねところにやってて、

ているのかしら?

 

故郷ふるさとがわのへりに、

なかばはれたくさって、

ているのは、ーーぼく

ちょう立札たてふだほどのたかさに、

ほねはしらじらととんがっている。

(おわり)

スポンサーリンク

作者:中原中也

中原中也

作者:中原なかはらちゅう(1907~1937年)

山口県出身の詩人。

山口県に生まれ、京都の立命館りつめいかん中学に在学ざいがく中にばやしひで*と知り合い、そのえいきょうでボードレール*やランボーなど、フランス象徴しょうちょうの詩人にきょうをもつようになった。

(『学習人物事典』323ページ より)

*小林秀雄:近代批評の道を開いた文芸評論家

感謝の合掌 坂口安吾:『教祖の文学』の解説と考察【小林秀雄への批判】

*ボードレール:独自の詩法で象徴主義の先駆けとなったフランスの詩人

1925年に上京後は、河上 徹太郎や大岡 昇平らと同人雑誌:『はくぐん』を発刊。

毎号に詩を発表しました。

1934(昭和9)年に第1詩集『山羊やぎの歌』を刊行かんこう、いろいろなざっにも作品をのせるようになったが、そのひょうは、まだ一部の人たちだけにとどまっていた。

(『学習人物事典』323ページ より)

1937年には第2詩集:『在りし日の歌』の原稿をまとめています。

その他の代表作には『汚れっちまった悲しみに』や『サーカス』など多数。

作風:傷付いた孤独な青春の魂を表現

きずついた青春のたましいをどくのリズムにのせてうたいあげたかれの作品は、死後、若者わかものの間で強い支持しじを受け、いまでも多くの愛読者あいどくしゃをもつ。

(『学習人物事典』323ページ より)

スポンサーリンク

『骨』の解説【考察】

本作:『骨』にまつわる解説をさせていただきました。

ーーーーー

注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。

間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。

ーーーーー

スポンサーリンク

自身を客観的に”自嘲”

まず本作では作者:中原中也が自身を客観的にちょう*”する様子が表現されています。

ちょう:自身の境遇などを嘲笑あざわらうこと

ホラホラ、これがぼくほねだ、(後略)

さらに本作では、”苦労に満ちた自身の人生を振り返っている”かのような描写もあることから、その自嘲は自身の人生に対する自嘲なのではないかと自分は考察しました。

きていたときろうにみちた

あのけがらわしいにくやぶって、(後略)

きていたときに、

これがしょくどう雑踏ざっとうなかに、

すわっていたこともある、(後略)

またぎゃく*ではなく、ユーモアが感じられる自嘲によって表現されていることにも、本作の魅力の一端があるといえるのかもしれません。

ぎゃく:自身の境遇などを責め立てること

スポンサーリンク

中原中也の詩:『骨』の解説まとめ

本作:『骨』には、作者自身の自嘲が反映されていたのかもしれません。

スポンサーリンク

参考文献

スポンサーリンク

関連ページ