【ナチスの人体実験一覧】ナチスドイツで行われた非人道的な禁忌の人体実験【2選+α】

死神

ナチスの人体実験一覧です。

実際に行われたとされる非人道的な人体実験をまとめました。

一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. ナチスの人体実験一覧
  2. 参考文献

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注:このページの情報は参考文献を元にしてはいますが、その真偽の程をすべては保証できません。

あくまで参考としてご覧いただきたく思います。

ご承知おき下さいませ。

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ナチスの人体実験一覧

かつてナチス・ドイツで行われていた可能性が示唆されている実験のご紹介です。

順にご紹介させていただきます。

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<1>メンゲレの双子実験

まずご紹介するのは『メンゲレの双子実験』です。

[起]医師になることを夢見ていたヨーゼフ・メンゲレ

産業機械の製作会社を経営する父のもとに生まれたヨーゼフ・メンゲレは、幼い頃からその非凡な才能により、周囲から将来を期待されていました。

将来は医師になり、多くの人を助けることを夢見ていたといいます。

しかし、そんなメンゲレの人生は、ある一人の人物に魅了されたことにより、大きく歪められていきました。

その人物こそが、かつてのナチス・ドイツの総統:アドルフ・ヒトラーです。

まずヒトラーは政権を奪ってから、『世襲農場法』や『穀物価格安定法』の制定をはじめ、農業改革に着手したことは広く知られています。

そして幸か不幸かメンゲレの父は、産業機械のなかでも、農業用の機械製作も行っていました。

そのため、父は必然とヒトラーの政策を支持し始め、それによってナチス党への関心も深まっていきます。

メンゲレも自身が尊敬する父が支持するナチス党に触れるうち、いつしか自らも父と同じナチス党の支持者となっていきました。

そして大衆を前にして圧倒的な存在感を放ち続けるヒトラーを見るうち、メンゲレはヒトラー自身へも心奪われていったといいます。

医者になることを夢見ていたはずのメンゲレ少年は、やがてヒトラーの手足となり、ヒトラーの夢を実現する一端となることを夢見るようになっていました。

[承]アーリア人の繁栄のための実験

ナチス党員となり、ヒトラーに貢献することを人生の新たな目標としたメンゲレは、まず手始めにナチスの武装親衛隊(SS)に入隊。

そしてそんなメンゲレの配属先となったのは、ユダヤ人大虐殺の舞台ともなった、『アウシュビッツ強制収容所』でした。

メンゲレは配属早々、収容所の中で頭角を現します。

なぜなら、メンゲレはヒトラーの意思にどこまでも忠実。

他の同僚が嫌がることすら、率先して引き受けていたからです。

その証拠にメンゲレは収容者の虐殺の選抜などの非人道的な任務にも、喜んで引き受けていたといいます。

なんでもメンゲレは収容者のことを”モルモット”呼ばわりしていたそうです。

そしてそんな最中に行われたのが、『メンゲレの双子実験』でした。

この実験は『アーリア人』という民族系統の出生率を上げることを目的に行われました。

双子であることにこだわった理由は、双子であれば、単純に生むよりも人口の増加速度が2倍になるためです。

当時のヒトラーは、「アーリア民族こそが世界で最も優れた人種である」との『アーリア人至上主義』と呼ばれる思想を持っていました。

よってヒトラーは、自らが優れていると疑わないアーリア民族の血統を繁栄させることを目論んでいたのです。

[転]”楽しげに実験していた”

しかし、そうはいっても当然のことながら、双子というのは人為的かつ確実につくれるものではありません。

いくら「双子を生め」と言っても、それだけで双子が生まれるはずがないことは誰の目にも明らかです。

そこでメンゲレは、人為的に双子を誕生させられる術を知るべく、双子の人体をあらゆる角度から調査。

双子の身体を切り裂き臓器を摘出したり、四肢を取り替えたり、眼球へと直接注射をするなど残忍極まりない行為に手を染めていきました。

時には双子の臓器が同時に機能するかを調べるためだけに、双子の身体を一つに縫合することもあったようです。

そしてさらに驚きなのが、実験中のメンゲレの様子です。

なぜなら、当時の資料によると、メンゲレはこのような凄惨な実験中であっても、”楽しげに実験していた”という記録が残っているからです。

なんでもメンゲレは実験の執刀中、時にクラシックを口ずさみながら、子供たちを嬉々として切り刻んだこともあったといいます。

しかもそれだけでなくメンゲレは、これらの実験を円滑に進めるべく、極めて善良な人間を演じていたという記録も残っています。

つまりメンゲレは実験対象の子供たちからできるだけ信頼を得るべく、子供たちの前では至って優しい大人を演じていたというのです。

なんでもメンゲレは子供たちの信頼を得るためだけに、子供たちと一緒に映画や音楽を楽しみ、一緒にドライブへと出かけることもあったとされています。

そしてメンゲレはそうした行いのおかげからか、子供たちからは『メンゲレおじさん』と呼ばれ、広く慕われていたそうです。

そうしてメンゲレは、信頼を得ることに成功した子供たちから順に実験室へと連行。

予定通り、滞りなく子供たちを切り刻み始めることに成功しました。

最終的にメンゲレは、合計3,000人近い子供たちを手にかけたとされています。

[結]双子の出生率が急激に上がった村の謎

とはいえ、その後はドイツが敗戦したことにより、メンゲレの悪事は公の場にさらされることとなりました。

メンゲレは連合軍に指名手配されるまでになったものの、結局、生前に拘束されることはなく、しぶとくも逃亡を続けたといいます。

しかもメンゲレは逃走中もヒトラーのことを変わらず心酔し続けていたようで、最後まで自分の悪事を認めることはなかったといわれています。

その証拠に、メンゲレは自身の潜伏先を突き止めて会いにきた息子に対しても、次のように語っていたようです。

「お前はメディアで報道されていることを信じるのか?私はお前の母さんに誓おう。それらはすべてウソであると。私は何も間違ったことなどしていないんだ」

そうしてメンゲレは1979年に病気で亡くなるまで、一度も拘束されることなく、一度もその悪事が裁かれることもなく、生涯を終えました。

それどころかメンゲレは逃亡中も自身が敬愛するヒトラーがかつて掲げていた思想を実現する術を探していた…とする痕跡があったようです。

なんでもメンゲレが逃亡中に潜伏していた村では、メンゲレが住み始めてから、急激に双子の出生率が上がったともいわれています。

もちろんその真相はわかりませんが、メンゲレが潜伏先で所持していた私物からは、双子に関する資料も見つかったといいます。

よってメンゲレは最期まで双子実験の実現を夢見ていたのかもしれません。

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<2>鏡の実験

二つ目にご紹介するのは『鏡の実験』です。

[起]古来から存在する”鏡”の言い伝え

昔から”鏡”には、不気味な言い伝えが少なくありません。

たとえば、あの江戸川乱歩の小説:『鏡地獄』では、鏡の球体内に入った人が、そこに映った自分を見つめるうち、発狂し出すという物語が描かれています。

その他だと、”深夜に三面鏡を見ると、そのなかに自分の死んだ顔が映る”といった言い伝えもあるようです。

とはいえ、ナチス・ドイツでは、そんな言い伝えを人体実験に反映させた痕跡が見つかっています。

[承]自問自答によって”洗脳”を誘発

行われた実験は次の通りです。

まず実験対象のユダヤ人捕虜を鏡の前に立たせ、”延々と”自らにこう問いかけさせました。

お前は誰だ?

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…とはいえ、このように鏡の前で、「お前は誰だ?」と自問自答をひたすら繰り返すことを強制させられた実験対象者は、なんと洗脳されてしまったとされています。

そして実験対象者たちは皆、そんな洗脳状態に陥る過程で、次第にある異常があらわれ始めたといいます。

まず実験開始から10日程が経過する頃には、実験対象者たちは一同に思考力が低下。

物事の判断がままならなくなり、さらに3カ月が経った頃には、精神が崩壊。

最終的には「(自分は一体誰なのか?)」ということすら、まったくわからなくなってしまったというから驚きです。

[転]神経科医:ファウストが報告した『ゲシュタルト崩壊』

では、なぜ実験対象者たちは、ただの自問自答によって精神を崩壊させてしまったのでしょうか。

その一つの可能性が、『ゲシュタルト崩壊』という一種の心理現象です。

これは一言でいうなら、『同じ文字などを繰り返し見聞きするうち、それを正しく認識できなくなる』といった現象のこと。

つまり人は同じ文字がひたすら並んでいる対象を見続けることなどで、その意味がわからなくなってしまうことがあるということです。

もちろんこのことは一つの仮説に過ぎませんが、そのメカニズム自体は理に適っています。

なぜなら、通常、多くの人は洗脳させられそうな状況になっても、自我が拒否反応を起こすため、洗脳へは容易に至りません。

その意味でこの実験ではまず実験対象者の精神を崩壊させることにより、洗脳へのガードの役割を果たしている自我を破壊。

そのうえで当時のナチズムに服従的、盲目的な新しい自我を対象に植え付けさせたことにより、洗脳へつなげたといわれているからです。

このような手口は、数ある洗脳手法の一つともされています。

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[ゲシュタルト崩壊の歴史]

なお、ゲシュタルト崩壊は1947年に、ドイツの神経科医:ファウストによって報告された失認の一種です。

失認とは簡単にいえば、対象を正しく認知できなくなることですが、つまりは視覚や聴覚や触覚といった感覚器官に何らかのエラーが生じるようなものともいえます。

それは”ゲシュタルト”という言葉が元々、ドイツ語で”構造”を意味することからも理解できます。

つまり文字などの構造が崩れることにより起こる現象が、このゲシュタルト崩壊ということです。

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[結]闇の中に消えた真相

とはいえ、言うまでもなく、この実験は学術的な実験ではありません。

実験の詳細もどこにも残されていないため、実際に行われていたのかどうかさえ、定かではない側面があります。

それは当時のドイツの犯罪追及のために使われた『ニュルンベルク裁判』においても、この実験の記録が一切残されていないことからも明らかです。

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[ジャメビュとデジャビュ]

余談ながら、ゲシュタルト崩壊に似た現象に、『ジャメビュ』という現象があります。

これは『未視感』を意味し、『一度経験したはずのことを、はじめてのことだと錯覚してしまう現象』のことです。

『デジャビュ』という『既視感』と対極に位置する現象としても知られています。

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<+α>サードウェーブ実験

最後にご紹介するのは『サードウェーブ実験』です。

はじめに注意点としてお伝えさせていただきますが、この実験はナチス・ドイツが行った実験ではありません。

とはいえ、対象者にナチス・ドイツを疑似体験させた実験になるため、ナチス・ドイツ絡みの実験として、最後に補足としてご紹介させていただくこととしました。

悪しからずご了承下さいませ。

[起]時代のギャップに悩んだ教師:ロイ・ジョーンズ

実験が行われたのは1969年。

カリフォルニア州カバリー高校で教師をしていたロン・ジョーンズが、自身の授業を受けていた生徒に対して行いました。

しかし、おそらくジョーンズは悪意を持って実験を行ったわけではありません。

むしろ生徒のことを誰よりも想い、生徒のために実験を行ったものと思われます。

まずこの実験の発端となったのは、ジョーンズがいつものように、生徒たちに歴史の授業をしていたことにありました。

そのときの授業内容はナチス・ドイツ。

ジョーンズは生徒たちに対し、当時のナチス・ドイツやヒトラーについての歴史を教えていました。

ですが、生徒たちの反応はまったく思わしくありません。

いくらジョーンズがわかりやすく当時のナチス・ドイツを中心とした出来事を説明しても、生徒たちには理解できなかったからです。

とはいえ、それは決して生徒たちが怠慢だったわけではなく、ジョーンズの説明に問題があったわけでもなかったと思われます。

民主主義社会に生きる生徒たちにとって、当時のナチス・ドイツがあまりにも非現実的に感じられてしまっていただけでした。

民主主義に慣れ親しんだ生徒たちにとって、当時のファシズムを理解するのは容易ではなかったのです。

とはいえ、ジョーンズは熱心な教師でした。

生徒に対して当時の人々の証言を見せたり、記録映画を観せたりするなどして、どうにかナチス・ドイツを少しでも理解してもらおうと工夫を凝らしました。

しかし、どうやっても生徒の理解を得ることはできなかったといいます。

そこでジョーンズは思いつきました。

ナイツ・ドイツの状況を、生徒たちに身をもって体感してもらえば良いのではないかと。

[承]”疑似組織”に魅了されていく生徒たち

生徒たちにナチス・ドイツを体感してもらうべく、まずジョーンズは教室内に”疑似組織”を構築し始めました。

それは文字通りナチス・ドイツを再現した疑似組織であり、生徒たちにリアルを体感してもらうことを目的としたものです。

そうして教室にできた疑似組織には、細かなルールも不随。

たとえば、『質問する前は必ず許可を求める』や、『常に姿勢を正すこと』であったり、『私物の制限』などもあったといいます。

これらのルールは規律のためではあったものの、意外なことに、ルール自体に反発する者は現れなかったそうです。

なんでも生徒たちはこのジョーンズの実験をゲーム感覚で捉えており、実験自体も当初は一日限定だったことにも関係があったのかもしれません。

しかし、当のジョーンズは、この実験をただのゲームで終わらせることを望んではいませんでした。

実験は当初予定していた一日を越え、組織内のルールもどんどん厳しくしていったのです。

すると驚くことに、生徒たちの中に、その組織自体を支持する者が現れ始めます。

その証拠に実験開始から三日目にもなると、生徒の中には組織を象徴する腕章や軍旗風の旗を自作する者が現れるなど、組織の活動は時間を経るごとにどんどんと活発化していきました。

最終的には髪型や服装まで統一し出したというから、見る者にとってはさながら軍隊のように見えていたかもしれません。

もちろんこのような結果は実験を企画したジョーンズの予想を超えるものでした。

ですが、それでもジョーンズはこのような生徒の変貌を決して異常とは思わず、実験を中止することは考えなかったといいます。

そもそもジョーンズは組織をよりリアルなナチス・ドイツに近づけるため、自身を指導者として見るように生徒たちに説明していたというから驚きです。

実験を管轄すべき立場にあったジョーンズ自身が、いつしかこの実験自体に取り憑かれてしまっていた側面があったのかもしれません。

[転]過激化する組織活動の末路

当初は教室内の小さな存在に過ぎなかった疑似組織は拡大を続け、ついにその活動は教室内を飛び出します。

外部の者との接触が始まったのです。

組織内の生徒たちは学年を問わず、自分たちの組織に賛同してくれる者を勧誘し始めました。

とはいえ、この勧誘活動は、ジョーンズが指示したものではありません。

あくまで生徒たちが率先し、自主的に勧誘活動に乗り出したのです。

しかし、さすがにここまで来ると、組織の活動に異を唱える者も当然出てきます。

そもそも組織の理念は、かのナチス・ドイツを模したものでした。

「反民主主義的運動を公教育の場で喧伝するのはいかがなものか?」との意見が学校内で噴出し始めたことは、必然の事態だったともいえます。

一方、組織内の生徒の中には、外部との勧誘活動を始めたことにより、正気に戻り、組織の理念に疑問を持つ者も現れ始めたといいます。

ですが、中には自身が所属する組織への批判を耳にしたことで、組織外の人間へ猛烈に反発する者も出現。

ついには恐れていた暴力行為による過激な制裁が始まり、組織の活動を支持する生徒たちは、組織に対して批判的な者を排除し始めました。

また組織内に現れた内部批判者に対しては、密告の後、容赦ない制裁を課したといいます。

とはいえ、この段階まできてしまうと、さすがに実験を続行することは難しくなりました。

校内だけでなく、校外からも多数の批判が寄せられていたこともあり、ついにジョーンズは、この実験に終止符を打つ決断を下します。

[結]2008年には映画化するほど社会現象になった

しかし、いかに組織の指導者であったジョーンズといえども、自分の一声で組織の活動を止められるかどうかには自信が持てませんでした。

既に組織の活動はジョーンズの意志を十分に反映しているとは言い難かったからです。

そこでジョーンズは教師らしく、ある策を講じます。

まず組織に所属する者を含め、クラス全員を講堂へ集めた後、次のように言いました。

「君たちが信じていたものの正体を見せよう」

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そうしてスクリーンに映し出されたのは、ジョーンズが元々生徒たちに伝えたかった、ナチス党員やヒトラーなどの実際の映像でした。

生徒たちはその映像を見たことにより、そこで繰り広げられていた独裁的な体制の弊害を身をもって理解。

なぜなら、その映像に映し出されていたナチス党員たちの言動は、まさに自分たちそのもののように映ったからです。

そこでようやく組織内の者たちは目を覚まします。

自分たちは間違っていた』ということに。

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その後、この『サードウェーブ実験』は、世界中で大きなニュースとなりました。

ごく普通の高校生が疑似組織をきっかけにナチス党員のように変貌したと聞けば、ニュースのネタになるのは当然です。

2008年にはこの実験を題材にしたドイツ映画:『THE WAVE』も公開。

一種の社会現象になったといえます。

ちなみにこの映画では、実験を実施した教師:ジョーンズのことを徹底して非難したような内容となっていました。

もちろんジョーンズは明らかにやりすぎではあったものの、その責任をすべてジョーンズに擦り付けてしまうことには少なからず賛否があったといいます。

とはいえ、ジョーンズはこの実験を通じてカルト的な組織の指導者となった結果、当初の目的を逸脱したかのような次のような言動があったことが明らかにされています。

「我々は崇高な目的のため、団結しなければならない。我々は共同体の理念のために各々が行動することで、はじめて優れた力を得られるのだ」

ジョーンズは実験を進めるうち、この実験が単なる実験ではなく、反民主主義を目的としたものだと生徒に説くようにもなったとされているようです。

よってジョーンズが徹底して非難の対象となったことには、擁護できない側面もあるといえそうです。

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この実験は5日も経たずして中止となったわけですが、以上のことからもわかるのは、人間の心がいかに脆く、崩れやすいかということです。

冷静になって考えれば、当時のヒトラーはじめナチス・ドイツの思想が、現代からすればいかに時代錯誤であるかは理解できそうなものです。

しかし、現実にはいざ自分が当事者となったとき、冷静に頭を働かせることは難しい側面があるのかもしれません。

このことは誰にとっても、いつの時代においても教訓となり得るのではないでしょうか。

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[実験名の由来]

この実験の実験名である『サードウェーブ』という言葉は、日本語で『第3の波』を意味します。

この言葉は主に海外では、何か『革新的な取り組みや出来事など』を指して呼ばれることが多いです。

そのことから、実験を行ったジョーンズは、実験を通して『社会に革命を起こそう』との考えも持っていたため、実験名を『サードウェーブ実験』と命名したそうです。

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ナチスの人体実験一覧まとめ

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参考文献

ページをつくるにあたって大いに参考にさせていただきました。

ありがとうございました。

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