【『人体実験』一覧】恐ろしい人体実験の実例と歴史【狂気】

悲しみに暮れる少女

『人体実験』一覧です。

世界各国で実際に行われたとされる人体実験をまとめました。

科学者たちの際限のない飽くなき好奇心の一端が、生々しく理解できます。

一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 人体実験一覧
  2. 参考文献

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注:このページの情報は参考文献を元にしてはいますが、その真偽の程は保証できません。

あくまで参考としてご覧いただきたく思います。

ご承知おき下さいませ。

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タッチ⇒移動する目次

人体実験一覧:『人体蘇生実験』

まずご紹介するのは『人体蘇生実験』です。

その名の通り、死者を蘇らせることを目的としたこの実験は、現代までに数々の実験が繰り返されてきました。

とはいえ、現在では法律や倫理の問題などがあり、人を対象にした成功例は存在していません。

ですが、技術的には人体蘇生の実現は時間の問題だと指摘する声もあります。

なぜなら、実際に2005年にピッツバーグの『サファール蘇生研究所』では、死亡後数時間が経過した”犬”の蘇生には成功しているからです。

そのときは犬の血液を入れ替えることにより、ほぼ完全に近い状態で蘇生させることができたようで、脳などにもダメージはなかったといいます。

一部の科学者らは実際に、近い将来、このような蘇生実験が人間にも応用できる見通しであることを隠していません。

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<1>電気蘇生実験

そしてそんな人体蘇生実験の原点となったのが、『電気蘇生実験』です。

[起]1780年に物理学者:ガルヴァーニが周知させた『生体電気』

事の発端は1780年。

物理学者:ルイージ・ガルヴァーニが、『生体電気*』の存在を周知させたことに始まりました。

*生物の身体そのものが、電気を発し、金属を接続することによって放電、痙攣が生じること
*ガルヴァーニはカエルの死体を使った実験により、生体電気の存在を確認した

ガルヴァーニは学会により、生物の肉体で生産された電気が、刺激の伝達や筋肉の収縮に用いられていることを発表。

この発表が、後に続く数々の人体蘇生実験の土台となっています。

[承]ガルヴァーニの甥:アルディーニが死体を使った公開実験を実施

そしてさきのガルヴァーニの発表に影響を受けた一人が、ガルヴァーニの甥:ジョヴァンニ・アルディーニでした。

アルディーニはヨーロッパ各地を旅しながら、犬や羊や馬、牛などの死体に高圧電流を流し、電気による筋肉痙攣の公開実験を行い始めます。

その姿はかつてガルヴァーニがカエルの死体に行っていたことと同様でした。

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[公開実験の評判]

余談ながらアルディーニが行ったこの公開実験は、大盛況だったといいます。

なんでも生物の死体にアルディーニが電流棒を押し当てると、その死んだはずの生物の目玉や顔は動き…それを観ていた民衆たちは沸き立っていたようです。

現代の感覚からすれば異常な光景ですが…フランス革命の真っただ中にあった当時において、民衆は死体や血を見ることへの抵抗感が薄れていたのかもしれません。

とはいえ、この出来事が18世紀後半から19世紀初頭にかけての一種の蘇生実験ブームのきっかけとなった側面は少なからずある気はしています。

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[転]『殺人法』を悪用して人体蘇生実験に着手

その後も続いたアルディーニの公開実験は、回を重ねるごとにエスカレートしていきます。

そしてその最中、アルディーニは人間の蘇生実験へと着手することを決心しました。

しかし、そうはいっても実験のために自由に使える死体など、容易に調達する術はありません。

そこでアルディーニが目を付けたのが、『殺人法*』です。

*殺人法:一言でいうと、『遺体にも懲罰を与えるべし』という当時のイギリスにあった法律のこと

元来、この殺人法は、殺人犯を絞首刑にするだけでは刑が軽過ぎるとの理由から制定された法律でした。

ですが、その一方で悪用されてしまっていた面もあり、実際に科学者や医者たちのなかには、解剖用や実験用の死体を手に入れるための口実として使っていた者もいたようです。

アルディーニも同じ手口で死体を調達しました。

[結]念願の人体蘇生実験の結末とは…

アルディーニが手に入れた死体は、1803年にイギリスで妻と息子を溺死した罪で絞首刑となった、ジョージ・フォスターという者の死体でした。

死体を手に入れたアルディーニはさっそく、犬や羊などに行ったのと同様、フォスターの死体にも迷わず電極棒を押し当て始めます。

しかし、この章の冒頭でお伝えした通り、実験によって死体が蘇ることはありませんでした。

このときの様子を伝えていたイギリスの新聞:『ロンドン・タイムズ』によると、アルディーニによって電極棒を押し当てられたフォスターの死体は明確に反応を示したものの、その反応が持続することはなかったそうです。

とはいえ、それでも電極棒を押し当てられた死体は両足をバタつかせたり、右手の拳を突き上げたりするなどの反応はしたようなので、幸か不幸か見方によっては今後に希望を抱かせるかの結果となりました。

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[フランケンシュタインの原点]

余談ながら、あの『フランケンシュタイン』というキャラクターが誕生したのは、この実験がきっかけとされています。

フランケンシュタイン

フランケンシュタインの生みの親である作家:メアリー・シェリーは、人づてにこの実験の様子を伝え聞いたことをきっかけに、キャラクターの創作に至ったといいます。

フランケンシュタイン 【『フランケンシュタイン』で伝えたいことを考察】あらすじも簡単に要約【メアリー・シェリー】

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<2>ティーターボード蘇生実験

続いてご紹介するのが、『ティーターボード*蘇生実験』です。

*ティーターボード:シーソーの板のようなもの

[起]1930年代に科学者:コーニッシュが実施した血液循環法

1930年代に行われたこの実験は、科学者:ロバート・コーニッシュが実施。

コーニッシュは若くから天才と評され、カリフォルニア大学バークレー校を18歳で卒業後、20歳で博士号を取得しました。

ですが、その一方で人体蘇生に異常なまでの執着を見せ、その才能の一端を人体蘇生の実現に捧げた顔を持ちます。

そんなコーニッシュはティーターボードに遺体をくくりつけ、上下させることによって人体蘇生を実現させようとしました。

常識外れに思われるかもしれませんが、この方法は遺体の血液の循環を促す意図がありました。

しかも驚くことにコーニッシュは実際に、この方法によって1934年と翌年に渡り、2度続けて犬の蘇生には成功しています。

しかし、あくまで犬の蘇生は一時的。意識が戻ることはなかったそうです。

とはいえ、コーニッシュはこの実験を成功への足がかりと捉え、その後も蘇生実験の試行錯誤を続行しました。

[承]人体蘇生に立候補した凶悪犯

コーニッシュは人体蘇生に着手すべく、遺体探しを始めます。

そこで人体蘇生実験に協力してくれる人を募集したところ、凶悪犯:トーマス・マクモニグルが立候補しました。

マクモニグルは少女殺しの罪に問われ、既にガス室送りになることが確定していた死刑囚。

つまりマクモニグルは既に死ぬことが決まっていたため、蘇生実験により、もう一度人生をやり直したいと望んでいたのかもしれません。

コーニッシュはさっそく蘇生実験の手筈を整えるべく、1947年にカリフォルニア州更生課に請願。

マクモニグルの死刑が終わった後、蘇生実験を実施させてほしいとのことを先方に伝えたのでした。

[転]刑務所長がコーニッシュの要望を却下

しかし、コーニッシュの人体蘇生実験は実施されることはありませんでした。

なぜなら、マクモニグルが収監されていたサン・クエンティンの刑務所長が、コーニッシュの要望を却下したからです。

その理由は倫理的な面はもちろん、遺体に対する危険性もあったとされています。

実際、当時の刑務所長は、長時間ガス室に放置されるマクモニグルの遺体には危険性があるとして、コーニッシュの要望を退けています。

よって最終的にマクモニグルの遺体が人体蘇生実験の対象となることはありませんでした。

[結]要望が退けられた真の理由?

とはいえ、この一連のやり取りを巡っては、当時、とある噂が流れたといいます。

それは、「当時の刑務所長がコーニッシュの要望を退けたのは、まったく別の理由があったのではないか?」という噂です。

それは結論からいうと、『法的な問題』に他なりません。

まず私たち人類の歴史のなかで、死刑囚が意図的に蘇生された前例はありません。

つまり仮に当時コーニッシュの実験が成功していたとしても、それによって生き返ったマクモニグルの処遇を決める法律はどこにも存在していなかったのです。

よってそのために当時の刑務所長はコーニッシュの要望に応じなかったのではないか…という噂が流れることになりました。

とはいえ、マクゴニグルは、死刑という形で一度裁かれてはいます。

しかし、だからといって、蘇生した凶悪犯が自由の身になることを認めてしまえば、社会の秩序は崩壊しかねません。死刑のあり方すら変えてしまうでしょう。

もちろんこれらのことはどこまでも噂にしか過ぎませんが、人体蘇生実験の問題点の一つを浮き彫りしたことは間違いなさそうです。

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人体実験一覧:『感覚実験』

続いては『感覚実験』のご紹介です。

人体の感覚を制限することの影響を暴いた実験になります。

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<1>感覚遮断実験

まずご紹介するのは『感覚遮断実験』です。

[起]CIAが主導した闇の心理実験

1950年代にアメリカで行われたこの実験は、CIAが主導した心理実験でした。

マギル大学の心理学科長:ドナルド・ヘッブの元、『人は感覚を完全に奪われると、その心理はどのように変貌するのか?』を調べることを目的としていました。

[承]実験対象者の自由を制限

実際に行われた実験では、まず実験対象者は防音式の、ベッド一つしか置けない程度の小さな部屋に閉じ込められます。

そしてその上で、半透明のゴーグルを頭からかけさせられ、腕から指先をボール紙の筒で覆うことで感覚を遮断されました。

とはいえ、それ以外に実験対象者が強制させられたことは、ベッドで横になって過ごすことだけ。

食事は規則的に与えられ、トイレに行くことも自由。さらには付き添いが必要だったとはいえ、洗面所の利用も可能だったといいます。

それどころか実験対象者が望めば、部屋の外にいる実験者ともインターフォンを通じて会話が可能な状態でした。

つまり感覚”遮断”実験といえども、何もかもが遮断されていたわけではなかったのです。

しかし、この実験は思わぬ結果を引き起こします。

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[実験の目的は宇宙事業]

この実験が行われた理由には、いくつかの目的が推測されていますが、表向きには宇宙飛行に役立てるべく行われていたといいます。

狭く自由が利かない宇宙船という空間の中を、疑似的に実験で再現することにより、宇宙飛行士のメンタルを研究することに役立てられたということです。

なお、この実験は年間10億ドルもの費用が投入された国家プロジェクトであったともいわれているようです。

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[転]1カ月予定していた実験は2、3日で急遽中止に

実験者にとって予想外だったのは、実験を急遽中止にせざるを得なくなったことでした。

なぜなら、当初、この実験は1カ月以上を予定していたにも関わらず、わずか2、3日で中止となってしまったからです。

その理由は、実験対象者が実験の苦痛に耐えられなくなってしまったことにあります。

なんでも実験対象者はこの実験によって心理に異常が見られ始め、徐々に独り言が増えたり、急に奇声をあげ出すなどの妙な行動が増え始めたとされているためです。

さらに時間を経ると、実験対象者の思考力は低下。

実際に実験対象者に実施していた知能検査の成績は急低下し、ついには幻覚や幻聴の症状が現れ始めるまでになってしまったというから驚きです。

[結]「実験は拷問だった」

とはいえ、繰り返す通り、この実験では実験対象者の自由を何もかも遮断していたわけではありませんでした。

しかし、実験対象者の中には、「実験は拷問だった」という言葉を残した人もいたとのこと。

よってこの実験結果からは、『人は感覚を遮断されるという非日常に、耐えがたい苦痛を感じ得る』ということが示唆されます。

またこの実験は後に多くの科学者たちによって分析がなされましたが、実験の研究チームだった一人が残した論文によると、ストレスは心身のバランスを保つうえで重要な役割があることを指摘していました。

人にとって日常の些細な当たり前は、実は想像以上にかけがえのないものなのかもしれません。

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[ストレス・パラドックス]

ストレスが心身に好影響をもたらし得ることを示唆した研究は数多いです。

なかでも数年前には大きな話題を呼んだのが、”考え方一つでストレスホルモンの分泌が変わる”という指摘があります。

このことは一般にストレスは絶対悪だと思われがちであったことへの前提から、『ストレス・パラドックス(ストレスを巡る矛盾)』と名付けられました。

心理的側面 【心理現象一覧】面白い有名な心理現象の名前と意味大全【心理学を大学で勉強した自分が徹底調査】

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<2>感覚遮断実験・改

そしてさきの実験を改良したのが、『感覚遮断実験・改*』です。

*注:実験名は当サイトの運営者である自分が便宜上、勝手に命名したに過ぎません

[起]悪魔の医師:キャメロンが1957年に実施

悪魔の医師』としてその名を轟かせた心理学者:ユーイン・キャメロンが行ったこの実験は、1957年が事の発端となります。

それはかつてヘッブが行った感覚遮断実験から約6年後のこと。

キャメロンは元々ヘッブの同僚でしたが、キャメロンが行ったこの実験は、ヘッブのそれより明らかに非人道的なものでした。

[承]別人格を植え付ける非人道的悪行

まずキャメロンはCIAから研究資金を受け取ったうえで、実験用の特別施設を設立。

自身の患者を使って実験を実施しました。

実験自体はあくまでキャメロンが患者を治療する名目で行われていたものの、一説によれば、実験の対象となった患者の中には一生人間らしさを取り戻せなくなった者もいた…といわれています。

それはキャメロンが実験で幻覚剤や電気ショックを使ったために他なりません。

なんでもキャメロンは患者にまったくの別人格を植え付けることを目的としていたそうで、幻覚剤を使ったのは、患者を暗示にかけやすくするためだったともいわれています。

なお、実験中の患者は抵抗できない状態にされていたそうです。

[転]CIAから絶えなかった資金提供の謎

しかし、この実験が結局うまくいくことはなく、キャメロンの目論見は失敗に終わります。

とはいえ、謎とされているのは元々、この実験に資金提供をしていたCIAが、実験終了後も研究資金を変わらずに提供し続けていた痕跡があったことです。

実際、1962年頃までCIAの資金提供は続いていたとされています。

よってもしこのことが事実であるとするならば、この実験もそれに伴なって秘密裏に継続されていた可能性は否定できません。

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[別の説]

なお、その他の説では、軍の拷問プログラムに取り入れるためだったとする噂もあがっているようです。

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[結]闇の中に消えた真相

不気味にも闇の中に消えてしまったその真相は、現在では誰も確かめようがありません。

とはいえ、確かなことは、現在では『感覚遮断実験』そのものが禁止されているということです。

そして元々この実験の発端となったヘッブは、インタビューで次のように語っています。

「感覚遮断実験が実に恐るべき尋問技術であることは明らかだった」

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<3>洞窟隔離実験

3つ目にご紹介するのは『洞窟隔離実験』です。

[起]地下150mの洞窟でただ一人、4カ月を過ごした

1989年にアメリカ・ニューメキシコ州で行われたこの実験は、地下150mの洞窟でただ一人、4カ月間生活をしてもらうというものでした。

実験の目的は、太陽の光が届かず、環境音などもない地下の世界で過ごすことにより、人間の心身にどのような影響が出るのかを調べることでした。

なお、この実験は、NASAと、イタリアの社会学者:マウリツィオ・モンタルビーニとの共同研究となっていました。

つまりこの実験もさきほどご紹介した『感覚遮断実験』と同様に、狭い宇宙船の中で過ごす宇宙飛行士に役立てる情報を得るためにも行われていたということです。

[承]奪われた時間間隔

まず実験の対象となったのは、ステファニア・フォリーニというインテリアデザイナーをしていた女性です。

フォリーニは、「自分の力の限界を試したかったから」との理由で、自らこの実験に参加しています。

そしてそんなフォリーニが入った洞窟内の気温は約20度。

洞窟内では、フォリーニは仕事をすることは許可されていたものの、実験上のルールとして、時計の持ち込みは禁止。

さらには研究チームが彼女の様子を観察するため、洞窟内にはカメラを設置。

またフォリーニは一日に一度自身の血液や尿を採取したうえで、それを洞窟の入口付近に置くことや、不定期の脳波測定と運動機能の検査も義務付けられました。

これらは彼女の健康状態などに気を配る必要性からも行っていたものではありましたが、彼女にとってはプライバシーを奪われる側面もあったともいえます。

とはいえ、ここで最も注目すべきは、時計の持ち込みが一切禁止されていたことです。

つまりフォリーニはこの実験の4カ月間、一切時間を知る術がなかったことになります。

なお、洞窟内は外の光が一切届かない環境だったため、彼女には昼夜を判断する術もありません。

そのため、フォリーニがこの実験中に時間を知るうえで頼りにできたのは、自身の体内時計だけでした。

[転]崩壊した体内時計と心身

なお、この実験は途中で中止されることこそなかったものの、実験によってフォリーニの心身は変わり果ててしまいました。

なぜなら、実験が終わる頃にはフォリーニの体重は11kgも落ち、思考力や判断力、集中力も低下。

一時は感情のコントロールさえままならなくなってしまったからです。

その理由はフォリーニが日の光の当たらない洞窟での生活を4カ月間続けたことにより、体内時計が崩壊してしまったことにあります。

なんでも洞窟内での彼女の体感では、一日の感覚が40時間以上にも長く感じられてしまっていたそうです。

よって一日の体感時間が伸びたことで必然と食事の間隔も伸び、洞窟内でも3度の食事を規則正しくとっていたつもりが、実際にはまったくそうではなくなってしまっていた…ということになります。

そうして時間間隔が完全に狂ってしまったフォリーニは、最終的には「自分がどれだけ起き、どれだけ寝ているのか?」が認知できなくなっていました。

実際、フォリーニは14時間寝たときでさえ、「いや、自分は2時間しか寝ていない」と錯覚してしまっていたといいます。

実験者から実験が4カ月経った5月に終了したことを告げられたときにも、フォリーニは「まだ2カ月しか経っていないでしょう?」と、自身が洞窟内で4カ月過ごした事実が信じられず、まだ3月だろうと錯覚してしまっていたというから驚きです。

そうしたことから洞窟内でのフォリーニは、一度に30時間働き、22時間から24時間ほど眠るという不規則な生活をするまでになっていました。

しかし、言うまでもなくそんな生活が正常に続けられるわけはなく、フォリーニは洞窟内でしていた仕事にも徐々に身が入らなくなっていきました。

もっとも、フォリーニは日中に日の光を浴びていないことから体内で睡眠ホルモンが分泌されなかったため、眠りは浅くなっていたともいいます。

以上のことからフォリーニにとって洞窟内での生活は、満足に活動することも、満足に眠ることもできない…地獄のようなものだったのかもしれません。

[結]太陽により刻まれる生活リズム

人は太陽と調子を合わせるようにして、生活リズムを整えています。

そしてそのことが、人間の心理にも良い影響を与えている側面があるのかもしれません。

とはいえ、この実験が明らかにしたことの一つは、体内時計の偉大さです。

おそらく多くの方が、食事の時間になればお腹が空き、夜が深くなれば眠くなるように、いちいち食事の時間や睡眠の時間を細かく見る必要はないはずです。

それは体内時計の存在があってこそ。

しかし、その一方で人間が普段刻んでいる生活のリズムは、脆く崩れやすく、かつ元に戻りにくい側面もあります。

急な不規則な生活や、長距離移動による時差ボケなど、体内時計が壊れる要因は少なくありません。

実際、この実験に参加したフォリーニも、地上に戻ってからもしばらくは体内時計が元に戻らず、数カ月は不整脈も続いたともいいます。

一歩間違えれば命にも関わっていたかもしれません。

このことは、一つの教訓として、知っておくべきことだといえそうです。

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<4>ブアメードの血実験

ブアメードの血実験』は、伝説として語り継がれている実験です。

[起]19世紀に死刑囚:ブアメードが実験体となった

今から遡ること19世紀のヨーロッパ。

死刑囚:ブアメードが、とある実験の被験者になることを引き受けたことからすべてが始まりました。

[承]自由を奪われたブアメードは、自身が出血していく様子を強制的に聞かされた

まず実験を行った医師団は、ブアメードの手足を縛り、目隠しをすることで自由を奪います。

そしてその状態で医師団は、ブアメードの足の指にメスを入れ、さらに当のブアメードはその自分の血液が滴っていく音が聞こえる状態に身をさらされました。

そして医師団は1時間ごとにブアメードに告げていきます。

『ポタッ、ポタッ…』と滴り続ける、ブアメードの出血量が容器にどの程度溜まっているのかを。

[転]錯覚だったにも関わらず、ブアメードは命を落とした

とはいえ、じつはこの実験で、ブアメードは出血などしていません。

あくまで目隠しをされ、手足を縛られて自由がなかったブアメードに、出血しているかのような錯覚を与えただけです。

よってブアメードの血が容器に溜まっているというのもまったくのデタラメ。

『ポタッ、ポタッ…』と滴る音は、実はブアメードとは無関係の水分を使っていたに過ぎませんでした。

しかし、驚くことに、ブアメードはこの実験によって、命を落としたとされています。

[結]思い込みの恐ろしさを示唆した伝説

では、なぜブアメードはこのデタラメの実験で命を落としてしまったのか。

まず前提としてこの実験は元々、当時定説となっていた、『人間が生きるためには、その人間の体重の10%にあたる血を必要とする』という仮説を実証するために行われていました。

つまり医師団は実験を通じてその状況を疑似的であれ再現することにより、被験者の心理にどのような変化が生じるのかを調べたのです。

そのうえでこの実験の被験者となったブアメードは、さきの仮説が事実であると思い込んでいたとされています。

そのため、実験によって自分の血が身体から失われていると思い込んだブアメードは、自分は死ぬんだと錯覚。

思い込みによって本当に死んでしまった…ということです。

…しかし、繰り返す通り、この実験はどこまでも伝説の域を出ません。

当然のことながら学術的な実験ではありませんし、文献らしい文献も見つかっていないため、実験の真偽は現在でも不明です。

(自分が調べた限りでもそうでした)

とはいえ、見方を変えれば思い込みの恐ろしさが示唆された実験だと見ることはできるのかもしれませんが。

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人体実験一覧:『断眠実験』

最後にご紹介するのは『断眠実験』です。

これはその名の通り、睡眠を削る実験になりますが、これまでご紹介した実験とはやや毛色が違います。

ちなみにさきほどご紹介した『洞窟隔離実験』では、実験対象者だったフォリーニは、体内時計が壊れたことにより、一日に22時間から24時間ほど眠るようになってしまっていました。

よってこの『断眠実験』は、”睡眠時間”という意味では、それとは対極に位置する実験といえるかもしれません。

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<1>200時間断眠

そこでまずご紹介するのは『200時間断眠実験』です。

[起]8日と8時間を一睡もしない無謀な挑戦

事の発端は1959年。

アメリカのラジオ局でDJをしていたピーター・トリップは、小児麻痺救済の資金集めのため、『200時間不眠マラソンラジオ』を敢行しました。

200時間といえば、実に8日と8時間を一睡もしないことになりますが、ピーターはその間、休まずにラジオを放送し続けるという無謀な挑戦を自らに課したのです。

この挑戦は学者が主導した実験ではなかったものの、危険な試みにはなることが予想されたため、睡眠学者や医師が待機したうえで断眠はスタート。

とはいえ、この実験によってピーターの心身は、異常な形で蝕まれることとなります。

[承]情緒が乱れ、幻覚を見始める

断眠を敢行したピーターに異変が生じ始めたのは、実験開始から3日のこと。

時間にして100時間を過ぎた頃でした。

まずピーターの情緒は不安定になり、突然泣き出したかと思えばその後、急に笑い出すなど、感情が壊れ始めます。

さらに5日目が過ぎた頃には、幻覚を見ているとされる症状が発生。

「身体中を虫が這いずり回っている」といった言動をするようにまでなりました。

当然それらの症状を目にした医師らは、ピーターの状態を確かめようと接触を試みます。

しかし、なぜだかピーターはその人を医者ではなく葬儀屋であると勘違いし、「自分を葬るつもりか!」などと言ってその場を逃げ回る始末だったようです。

[転]極限の状態ながら200時間断眠を完走

当然、その時点で誰もが実験の中止を覚悟しましたが、ピーターは極限の状態ながら、なんとか覚醒作用のある薬を飲んで実験を続行。

最終的にはギリギリの状態だったものの、200時間断眠を完走するに至りました。

とはいえ、最後の66時間あたりではピーターの認知能力は著しく低下。

友人の顔が判別できないことに加え、「ピーター・トリップとは自分が演じている人間の名前に過ぎない」などと、自分自身が何者なのかを問うような言動も見られたといいます。

[結]「実験によって人が変わってしまった…」

またこの断眠実験を敢行したピーターは、実験終了後に十分過ぎる睡眠をとったものの、「ピーターは実験前と比較して人が変わってしまった」と証言する声が他方からあがっていたようです。

なんでもピーターに対しては、「実験前と比較して性格が荒くなった」という声が寄せられた他、ピーター自身が職場の人間関係を悪化させるようになったと指摘する声もあったといいます。

もちろんこのことがこの断眠実験とどんな因果関係があるのかは不明なものの、長時間の断眠によってピーターの心身に何らかの異常を残した可能性は否定できません。

少なくとも睡眠が心身の安定を支える要因の一つであることには、誰もが納得できるはずです。

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<2>264時間断眠

そしてさきの200時間断眠を踏襲する形で行われたのが、『264時間断眠実験』です。

[起]断眠のギネス記録に挑戦

ピーターが『200時間不眠マラソンラジオ』を敢行した5年後の1964年。

ランディ・ガードナーという名の一人の学生が、この前人未踏の断眠に挑みました。

まずこの実験の背景として、当時のアメリカでは、断眠が一種の社会問題化していたところがあったといいます。

なんでも断眠時間の『ギネス記録』更新を狙い、断眠記録に挑戦する猛者たちが後を絶たなかったそうです。

もちろんランディもその中の一人。

ランディはスタンフォード大学の睡眠研究者:ウィリアム・デメント協力の元、この264時間断眠をスタートさせました。

とはいえ、結論からいうと、ランディはこの264時間断眠を達成しています。

しかし、ここでも断眠の進行と共にランディに見られたのは、明らかな異常でした。

[承]言語障害や震えなどの異常

まず断眠開始から2日目。

ランディの情緒は不安定になり、どこか怒りっぽくなるなどの様子が見られ始めます。

注意散漫な様子も見せるようになったようです。

さらに7日目には言語障害や震えが頻発。

意識が朦朧とした様子を見せたようで、この時点で実験の中止が危ぶまれたものの、なんとか実験は続行。

ですが、ピーターの記録を抜いた9日目にもなると、ランディは途端に感情が無くなったかのように無表情となり、話す内容にもとりとめがなくなってしまったといいます。

そして11日目にもなると、ランディの目は焦点を結ばなくなり、眼球が左右バラバラに動くようになりました。

[転]ギネスブックから抹消

以上のように、極度の断眠による悪影響が相次いだ影響からか、現在ではギネスブックに断眠記録が載ることは一切なくなりました。

それ以後は無謀な長時間断眠に挑戦する者は現れなくなったといいます。

[結]動物実験の闇

なお、このような断眠にまつわる大規模な実験が、人間に実施されていた歴史は多くはありません。

しかし、動物を対象にした動物実験であれば話は別。

たとえば、ロシアの科学者が犬に100時間近く断眠させた実験や、アメリカの睡眠研究者がラットを対象に長時間に渡って断眠を強制させた実験などが知られています。

そしてそれらの実験ではいずれも、断眠を強要された動物たちは全員死亡してしまいました。

実際、ラットの実験に関していえば死因は敗血症だったとのことで、直接的な原因は解剖しても突き止められなかったそうです。

よって断眠が動物たちの死亡にどれだけ影響していたかは不明ですが、度を超えた断眠はストレスホルモンの過剰分泌や免疫力の低下、低体温につながる可能性などが知られています。

これらの悪影響を踏まえても、過度な断眠などするものではないことは間違いないでしょう。

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人体実験一覧まとめ

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参考文献

ページをつくるにあたって大いに参考にさせていただきました。

ありがとうございました。

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