「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」あらすじと考察【4つある】

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名作 【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】

童話:『幸福の王子』のご紹介です。

あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 幸福の王子のあらすじ
  2. 「伝えたいことは何だったのか?」の考察
  3. 参考文献

『幸福の王子』のあらすじ

まずは考察の前提となるあらすじと作者紹介です。

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物語:人々の幸せを願い続けた王子

王冠

あるまちに、『幸福こうふく王子おうじ』とばれる銅像どうぞうがありました。

まち広場ひろばにそびえるはしらうえにあったそのぞうは、全身ぜんしん金箔きんぱく*でおおわれ、りょうにはあおいサファイア*、つるぎにはなルビー*がかがやいていました。

 

あるふゆさむよるのことです。

一羽いちわのツバメがそんな幸福こうふく王子おうじ銅像どうぞう足元あしもとはねやすめていると、うえからおおきなしずくが、『ポタン…ポタン…』とちてきました。

ツバメがおどろいて見上みあげると、それは王子おうじからこぼれちていたなみだなのでした。

 

ツバメは、「なぜいているのですか?」と王子おうじたずねます。

すると王子おうじつぎのようにうのでした。

「ここからはまちかなしみがよくえる…だから、つらくていてしまうんだ…たとえば、ずっとこうには、びょうおとこえるけど、母親ははおやまずしくてかわみずしかませてあげられていない…」

 

そこで王子おうじは、ツバメにつぎのようなおねがいをたのむのでした。

「どうかツバメさん、あの子供こどもびょうでおかあさんがとてもこまっているいえに、わたしつるぎからルビーをはずし、とどけてあげてくれないだろうか?」

 

ツバメはさむさによわいので、できるだけいそいでみなみくにへとかなければなりません。

ですが、あまりにも王子おうじかなしそうだったので、ツバメはそのいえにルビーをとどけてあげることにしました。

ツバメ

つぎ、ツバメはまた王子おうじたのまれて、さむさと空腹くうふくくるしんでいたまずしい若者わかものに、王子おうじ片方かたほうにあったサファイアをとどけにいきました。

さらにそのつぎも、マッチりのしょうじょに、もう片方かたほうにあったサファイアをとどけにいきました。

そのため、王子おうじはすっかりえなくなってしまいます。

しかし、ツバメはそんな王子おうじわりにまちまわり、どく人々ひとびと様子ようす王子おうじつたえていくようになりました。

 

ぼくは、ずっと王子おうじさまのおそばにいます」

いつしかツバメはさむさにえ、王子おうじのそばをはなれないことを決心けっしんしていました。

 

その王子おうじは、ツバメからいたはなしもとに、ツバメにこんなたのごとをおねがいしました。

「ツバメさん、どうかわたしからだられた金箔きんぱく一枚一枚いちまいいちまいはがして、まずしいひとたちにわたしておくれ」

金箔

そんなことをしているうち、やがて王子おうじからだからは宝石ほうせき金箔きんぱくもなくなっていきました。

金色きんいろかがやいていた王子おうじからだは、すっかり灰色はいいろわってしまいます。

 

そしてツバメもついにさむさにえきれなくなり、んでしまいました。

 

そのしゅんかんです。

ツバメが息絶いきたえたそのとき、なまりでできていた王子おうじ心臓しんぞうが、かなしみのあまり、『ピシッ』とおとててぷたつにれてしまいました。

その王子おうじ銅像どうぞうよう鉱炉こうろかされることになります。

ところが、なまりでできた心臓しんぞうだけはけずにのこったので、んだツバメと一緒いっしょにゴミとしててられました。

 

この様子ようすていた神様かみさまは、天使てんしたちに、「あのまちなかもっととうといものを2つってまいれ」とめいじました。

神様かみさまめいじられた天使てんしたちは、王子おうじなまり心臓しんぞうと、ツバメの死体したい神様かみさまとどけます。

すると神様かみさま天使てんしたちをめ、つぎのようにかたったのでした。

 

「さあ、王子おうじとツバメを天国てんごくれてこう。きっと天国てんごくでツバメはいつまでもたのしくさえずり、王子おうじしあわせにらすことだろう」

天国

(おわり)

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用語ようご説明せつめい

金箔きんぱくきんかみのようにうすばしたもの

*サファイア:あおくて透明とうめいな、うつくしい宝石ほうせき

*ルビー:あかかがやく、うつくしい宝石ほうせき

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作者:オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルド

作者:オスカー・ワイルド(1854~1900年)

イギリスの小説家であり劇作家であり、詩人。

本作:『幸福の王子』は1888年に発表されています。

オックスフォード大学を主席で卒業。

アイルランドのダブリン生まれ。

父は医者、母は詩人でした。

オックスフォード大学はダブリンのトリニティ=カレッジで学んだ後に入学。

在学中から数々の詩を発表し、ニューディゲイト賞を受賞しています。

その他の代表作には『ドリアン・グレイの肖像』や『サロメ』、『ナイチンゲールとバラの花』など多数。

人物:『唯美主義』

ワイルドは19世紀末の『ゆいしゅ*』を代表する作家として活躍しました。

*唯美主義:美や芸術を最高の価値とみなす考えのこと

当時の社会では不道徳とされた生活を送りながら、作家活動を送っていました。

なお、このようなワイルドの主義主張は、少なくとも彼が学生だった頃から育まれていたようです。

いわゆる〈芸術のための芸術〉を主張して、一種の唯美主義運動に重要な役わりをはたしたのも学生時代だった。

(『学習人物事典』536ページ より)

(前略)ロンドンに出て、唯美主義をじっさいの行動にあらわそうとして、ヒマワリの花を胸にかざって、街のなかを得意げに歩いた話は有名である。

(『学習人物事典』536ページ より)

(前略)1891年には長編『ドリアン=グレイの肖像』を出して評判になった。

これは自伝的小説で、唯美主義の鏡ともいわれている。

(『学習人物事典』536ページ より)

評価:戯曲の成功

(前略)かれの才能がいちばんよく出ているのは、戯曲である。

まず、1892年の喜劇『ウィンダミア夫人の扇』の成功がある。

翌1893年には『取るに足らぬ女』、1895年には『理想の夫』『まじめが第一』がつづけて上演された。

よく知られた戯曲『サロメ』は1891年、パリ滞在中にフランス語で書いたもので、1893年に出版された。

(『学習人物事典』536ページ より)

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「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」の考察や解釈【4つ】

それではここまでのあらすじなどを元にして、「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」を考察していきます。大きく考えられることは4つです。

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注:本作の作者であるワイルドの意図などは、現代に十分な形で残されているわけではありません。

そのため、ここからさきは若輩者である自分の考察に過ぎませんので、絶対に間違っていないとは言い切れません。

あくまで物語への理解を深める一つの参考にしていただければ、幸いに思います。あらかじめご了承下さいませ。

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<1>『献身』の貴さ

まず考えられるのは『献身』の貴さです。

童話:『幸福の王子』では、一貫して他者のために『献身』する王子とツバメの姿が描かれていました。

王子は町の人の幸せのため、ツバメは王子のために身を粉にして献身を続けます。

ついには王子の献身が町の人たちに十分に伝わることはなかったわけですが…それでもそんな王子とツバメの様子を見ていた神様は、『町の中で最も貴い2つのもの』を王子(正確には鉛の心臓)とツバメだったと見なして両者を天国へ送ってあげている描写があります。

以上のことから、作者:ワイルドがこの作品を通じて伝えたかったことの一つには、『献身』の貴さがあったと考察できます。

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<2>『報われないこともある』という真理

またこのことは視点を変えて見てみると、『周りのために何かをすることは、必ずしも報われるわけではない』という見方もすることができます。

世の中の真理であり、教訓のような話でもありますが、もしかしたらこのことも、作者のワイルドがこの作品で伝えたかったことだったのかもしれません。

「人間性の矛盾を見据える沈鬱な目が潜んでいる」by脇明子さん

ノートルダム清心女子大学名誉教授の脇 明子さんは、そんなワイルドの作風を、”単純明快な昔話の文体を利用しながら、人間の心の奥深い問題をくっきりと描きだした傑作”の流れをくんでいると評しながら、次のように考察しています。

この流れをくむ作家として忘れてはならないのが、『幸福な王子』などを書いたワイルドだろう。

彼の作品は妖精物語の系譜からは多少はずれており、ものによってはセンチメンタルな教訓話とも見えかねないが、単純な骨組みを彩る華麗な文体の底には、人間性の矛盾を見据える沈鬱な目がひそんでいる。

(『童話学がわかる』25ページ より)

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注:この部分の考察は脇さんの意図とズレている可能性があるため、もしそうとわかった場合は削除させていただきます。

まず『人間性』という言葉の意味は幅広いです。

そのため、脇さんが上記で語る『人間性の矛盾』という言葉が、明確に何を意味しているのかはわかりません。

ですが、もし仮にこの作品に絡めて、『人間性≒人を思いやる心』と解釈した場合、『人を思いやる心(≒人間性)には矛盾がある』と解釈できなくもない…と自分は考えました。

そして以上のことは、この2つ目の考察である『周りのために何かをすることは、必ずしも報われるわけではない』ことにも通ずることだとも自分は考えました。

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<3>「本当の幸福とは何か?」を読者に考えさせたかった?

さらにもっと俯瞰して考察するなら、「本当の幸福とは何か?」を読者各々に考えさせる意図があった可能性もあります。

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<4>作者の自身への皮肉?

そして最後は自分の主観が強いことになりますが…この作品は、作者自身への皮肉だと見ることもできなくはないと考えます。

まず作者のワイルドは生前、美や芸術に最上の価値を置き、周りから浮いてしまうような格好や言動、生活をしていたとされています。

このことは、童話:『幸福の王子』で描かれていた貧しい町の人々や世界観とは大きく異なります。

そのため、作者はあえて自身と相反するかのような価値観を童話を通じて描くことで、自身への皮肉や戒めのような考えを込めていた面もあったのかもしれません…という考察です。

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「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」あらすじと考察のまとめ

童話:『幸福の王子』が伝えたかったことは、どこまでも推測の域を出ません。

自分が知る限り、この作品に対する作者の意図が、何らかの形で残されているわけではないからです。

もしかしたら特に明確な意図はなかったのかもしれません。

とはいえ、あらすじ自体は随所に道徳的な示唆に富んでいます。

少なくとも「かわいそう…」という感想だけで終わらせるのはもったいないと思います。

子供はもちろん、大人であっても見て考える価値がある童話であることは間違いありません。

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参考文献

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