【『名作』一覧】童話や文学、戯曲など【海外と日本の有名作品集】
童話:『幸福の王子』のご紹介です。
あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。一つの参考にして下さいませ。
- 幸福の王子のあらすじ
- 「伝えたいことは何だったのか?」の考察
- 参考文献
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『幸福の王子』のあらすじ
まずは考察の前提となるあらすじと作者紹介です。
物語:人々の幸せを願い続けた王子
ある町に、『幸福の王子』と呼ばれる銅像がありました。
町の広場にそびえる柱の上にあったその像は、全身が金箔*でおおわれ、両目には青いサファイア*、剣には真っ赤なルビー*が輝いていました。
ある冬の寒い夜のことです。
一羽のツバメがそんな幸福の王子の銅像の足元で羽を休めていると、上から大きな滴が、『ポタン…ポタン…』と落ちてきました。
ツバメが驚いて見上げると、それは王子の目からこぼれ落ちていた涙なのでした。
ツバメは、「なぜ泣いているのですか?」と王子に尋ねます。
すると王子は次のように言うのでした。
「ここからは町の悲しみがよく見える…だから、辛くて泣いてしまうんだ…たとえば、ずっと向こうには、病気の男の子が見えるけど、母親は貧しくて川の水しか飲ませてあげられていない…」
そこで王子は、ツバメに次のようなお願いを頼むのでした。
「どうかツバメさん、あの子供が病気でお母さんがとても困っている家に、私の剣からルビーを外し、届けてあげてくれないだろうか?」
ツバメは寒さに弱いので、できるだけ急いで南の国へと行かなければなりません。
ですが、あまりにも王子が悲しそうだったので、ツバメはその家にルビーを届けてあげることにしました。
次の日、ツバメはまた王子に頼まれて、寒さと空腹に苦しんでいた貧しい若者に、王子の片方の目にあったサファイアを届けにいきました。
さらにその次の日も、マッチ売りの少女に、もう片方の目にあったサファイアを届けにいきました。
そのため、王子はすっかり目が見えなくなってしまいます。
しかし、ツバメはそんな王子の代わりに町を飛び回り、気の毒な人々の様子を王子に伝えていくようになりました。
「僕は、ずっと王子様のおそばにいます」
いつしかツバメは寒さに耐え、王子のそばを離れないことを決心していました。
その後も王子は、ツバメから聞いた話を元に、ツバメにこんな頼み事をお願いしました。
「ツバメさん、どうか私の体に貼られた金箔を一枚一枚はがして、貧しい人たちに渡しておくれ」
そんなことをしているうち、やがて王子の体からは宝石も金箔もなくなっていきました。
金色に輝いていた王子の体は、すっかり灰色に変わってしまいます。
そしてツバメもついに寒さに耐えきれなくなり、死んでしまいました。
その瞬間です。
ツバメが息絶えたそのとき、鉛でできていた王子の心臓が、悲しみのあまり、『ピシッ』と音を立てて真っ二つに割れてしまいました。
その後、王子の銅像は溶鉱炉で溶かされることになります。
ところが、鉛でできた心臓だけは溶けずに残ったので、死んだツバメと一緒にゴミとして捨てられました。
この様子を見ていた神様は、天使たちに、「あの町の中で最も貴いものを2つ持ってまいれ」と命じました。
神様に命じられた天使たちは、王子の鉛の心臓と、ツバメの死体を神様に届けます。
すると神様は天使たちを褒め、次のように語ったのでした。
「さあ、王子とツバメを天国へ連れて行こう。きっと天国でツバメはいつまでも楽しくさえずり、王子は幸せに暮らすことだろう」
(おわり)
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[用語の説明]
*金箔:金を紙のように薄く引き延ばしたもの
*サファイア:青くて透明な、美しい宝石
*ルビー:赤く輝く、美しい宝石
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作者:オスカー・ワイルド
作者:オスカー・ワイルド(1854~1900年)
イギリスの小説家であり劇作家であり、詩人。
本作:『幸福の王子』は1888年に発表されています。
オックスフォード大学を主席で卒業。
アイルランドのダブリン生まれ。
父は医者、母は詩人でした。
オックスフォード大学はダブリンのトリニティ=カレッジで学んだ後に入学。
在学中から数々の詩を発表し、ニューディゲイト賞を受賞しています。
その他の代表作には『ドリアン・グレイの肖像』や『サロメ』、『ナイチンゲールとバラの花』など多数。
人物:『唯美主義』
ワイルドは19世紀末の『唯美主義*』を代表する作家として活躍しました。
*唯美主義:美や芸術を最高の価値とみなす考えのこと
当時の社会では不道徳とされた生活を送りながら、作家活動を送っていました。
なお、このようなワイルドの主義主張は、少なくとも彼が学生だった頃から育まれていたようです。
いわゆる〈芸術のための芸術〉を主張して、一種の唯美主義運動に重要な役わりをはたしたのも学生時代だった。
(『学習人物事典』536ページ より)
(前略)ロンドンに出て、唯美主義をじっさいの行動にあらわそうとして、ヒマワリの花を胸にかざって、街のなかを得意げに歩いた話は有名である。
(『学習人物事典』536ページ より)
(前略)1891年には長編『ドリアン=グレイの肖像』を出して評判になった。
これは自伝的小説で、唯美主義の鏡ともいわれている。
(『学習人物事典』536ページ より)
評価:戯曲の成功
(前略)かれの才能がいちばんよく出ているのは、戯曲である。
まず、1892年の喜劇『ウィンダミア夫人の扇』の成功がある。
翌1893年には『取るに足らぬ女』、1895年には『理想の夫』『まじめが第一』がつづけて上演された。
よく知られた戯曲『サロメ』は1891年、パリ滞在中にフランス語で書いたもので、1893年に出版された。
(『学習人物事典』536ページ より)
「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」の考察や解釈【4つ】
それではここまでのあらすじなどを元にして、「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」を考察していきます。大きく考えられることは4つです。
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注:本作の作者であるワイルドの意図などは、現代に十分な形で残されているわけではありません。
そのため、ここからさきは若輩者である自分の考察に過ぎませんので、絶対に間違っていないとは言い切れません。
あくまで物語への理解を深める一つの参考にしていただければ、幸いに思います。あらかじめご了承下さいませ。
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<1>『献身』の貴さ
まず考えられるのは『献身』の貴さです。
童話:『幸福の王子』では、一貫して他者のために『献身』する王子とツバメの姿が描かれていました。
王子は町の人の幸せのため、ツバメは王子のために身を粉にして献身を続けます。
ついには王子の献身が町の人たちに十分に伝わることはなかったわけですが…それでもそんな王子とツバメの様子を見ていた神様は、『町の中で最も貴い2つのもの』を王子(正確には鉛の心臓)とツバメだったと見なして両者を天国へ送ってあげている描写があります。
以上のことから、作者:ワイルドがこの作品を通じて伝えたかったことの一つには、『献身』の貴さがあったと考察できます。
<2>『報われないこともある』という真理
またこのことは視点を変えて見てみると、『周りのために何かをすることは、必ずしも報われるわけではない』という見方もすることができます。
世の中の真理であり、教訓のような話でもありますが、もしかしたらこのことも、作者のワイルドがこの作品で伝えたかったことだったのかもしれません。
「人間性の矛盾を見据える沈鬱な目が潜んでいる」by脇明子さん
ノートルダム清心女子大学名誉教授の脇 明子さんは、そんなワイルドの作風を、”単純明快な昔話の文体を利用しながら、人間の心の奥深い問題をくっきりと描きだした傑作”の流れをくんでいると評しながら、次のように考察しています。
この流れをくむ作家として忘れてはならないのが、『幸福な王子』などを書いたワイルドだろう。
彼の作品は妖精物語の系譜からは多少はずれており、ものによってはセンチメンタルな教訓話とも見えかねないが、単純な骨組みを彩る華麗な文体の底には、人間性の矛盾を見据える沈鬱な目がひそんでいる。
(『童話学がわかる』25ページ より)
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注:この部分の考察は脇さんの意図とズレている可能性があるため、もしそうとわかった場合は削除させていただきます。
まず『人間性』という言葉の意味は幅広いです。
そのため、脇さんが上記で語る『人間性の矛盾』という言葉が、明確に何を意味しているのかはわかりません。
ですが、もし仮にこの作品に絡めて、『人間性≒人を思いやる心』と解釈した場合、『人を思いやる心(≒人間性)には矛盾がある』と解釈できなくもない…と自分は考えました。
そして以上のことは、この2つ目の考察である『周りのために何かをすることは、必ずしも報われるわけではない』ことにも通ずることだとも自分は考えました。
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<3>「本当の幸福とは何か?」を読者に考えさせたかった?
さらにもっと俯瞰して考察するなら、「本当の幸福とは何か?」を読者各々に考えさせる意図があった可能性もあります。
<4>作者の自身への皮肉?
そして最後は自分の主観が強いことになりますが…この作品は、作者自身への皮肉だと見ることもできなくはないと考えます。
まず作者のワイルドは生前、美や芸術に最上の価値を置き、周りから浮いてしまうような格好や言動、生活をしていたとされています。
このことは、童話:『幸福の王子』で描かれていた貧しい町の人々や世界観とは大きく異なります。
そのため、作者はあえて自身と相反するかのような価値観を童話を通じて描くことで、自身への皮肉や戒めのような考えを込めていた面もあったのかもしれません…という考察です。
「『幸福の王子』が伝えたいことは何だったのか?」あらすじと考察のまとめ
童話:『幸福の王子』が伝えたかったことは、どこまでも推測の域を出ません。
自分が知る限り、この作品に対する作者の意図が、何らかの形で残されているわけではないからです。
もしかしたら特に明確な意図はなかったのかもしれません。
とはいえ、あらすじ自体は随所に道徳的な示唆に富んでいます。
少なくとも「かわいそう…」という感想だけで終わらせるのはもったいないと思います。
子供はもちろん、大人であっても見て考える価値がある童話であることは間違いありません。
参考文献
>>【国立国会図書館サーチ】「幸福な王子」における二つの世界と高い壁ーオスカー・ワイルドの描くパラレル・ワールドー
>>【国立国会図書館サーチ】ワイルド文学の源流としての童話作品