【『若きウェルテルの悩み』】あらすじを簡単に要約&考察と解説も【『ウェルテル効果』の由来】

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名作:『若きウェルテルの悩み』のご紹介です。

あらすじは全文ふりがな付きで、読み聞かせができるようにまとめています。一つの参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 全文ふりがな付きのあらすじ要約
  2. 作者紹介
  3. 考察と解説
  4. 『ウェルテル効果』について
  5. 参考文献

『若きウェルテルの悩み』のあらすじを簡単に要約

まずは考察の前提でもあるあらすじと作者紹介です。

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物語:苦しみの行く末

たくさんの本
ウェルテルという青年せいねんが、然豊ぜんゆたかなむらへとしてきます。

そのむらでウェルテルは、こころやさしい村人むらびとたちといながら、風景ふうけいのスケッチをたのしむ日々ひびおくっていました。

あるとき、そんなウェルテルは、むらひらかれた踏会とうかいへとさんします。

 

そこでウェルテルが出会であったのが、シャルロッテという法官ほうかん*のむすめでした。

ふだんはロッテとばれている彼女かのじょは、くなった母親ははおやわりに、8にんいもうとおとうとたちの面倒めんどうていたのでした。

 

ウェルテルはいつしか、そのロッテの姿すがたこえぐさなどすべてにりょうされ、こいがれるようになりました。

 

ウェルテルはロッテのいえなんおとずれては、彼女かのじょだけでなく、彼女かのじょいもうとおとうとたちともなかくなっていきました。

そのあいだも、ウェルテルのロッテへのこいごころたかまるばかりでした。

 

しかし、ロッテには、アルベルトという婚約者こんやくしゃがいました。

ウェルテルがロッテと出会であったとき、アルベルトはたびていたのですが、あるむらへとかえってきました。

 

アルベルトはどころがない*人物じんぶつでした。

ウェルテルにも友人ゆうじんのようにせっしてくれます。

そうしたアルベルトのりっいは、かえってウェルテルをみじめなおもいにさせたのでした。

 

その、ウェルテルはロッテのことをあきらめるため、むらはなれる決心けっしんをします。

とおくのまちで、かんしょくくことになりました。

曲がりくねった道

ところが、ウェルテルの決心けっしんはうまくはいきませんでした。

ウェルテルはそこでのどうりょうたちのくだらないいにまんができなくなってしまい、ごとめ、むらもどることになったのです。

 

そのころ、ロッテはアルベルトと結婚けっこんしていました。

しかし、そのことがわかっても、ウェルテルはロッテへのおもいをることができません。

ウェルテルのくるしみは、すこしずつおおきくなっていきました。

 

そしてついに、ウェルテルはぶんかんじょうおさえきれなくなってしまい、不意ふいにロッテにキスをしてしまいました。

ウェルテルからの突然とつぜんのキスに、当然とうぜん、ロッテはおどろきます。

ロッテはウェルテルに、「もうえない」とのこし、部屋へやんでいったのでした。

 

翌日よくじつ、ウェルテルはアルベルトから、ピストルをりました。

銃

そして、「ロッテ…ロッテ!さようなら!さようなら!!」といながら、ウェルテルはみずからのいのちってしまったのです。

(おわり)

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よう説明せつめい

法官ほうかんほうぎょうせいつかさど役人やくにんのこと

どころがない:欠点けってんとしてなんすべきところが1つもなく、完璧かんぺきとしかおもえないこと

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作者:ゲーテ

ゲーテ

作者:ゲーテ(1749~1832年)

ドイツの文豪。小説家であり詩人であり、劇作家。政治家や自然科学者としての顔もありました。

本作:『若きウェルテルの悩み』は1774年に発表されています。

その他の代表作には長編戯曲:『ファウスト』や、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』など多数。

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ドイツの中央部:フランクフルト生まれ。

16歳のときにライプツィヒ大学に入学し、法律を学びました。

その後はストラスブール大学へと移っています。

ゲーテはこの時期に思想家:ヘルダーと出会ったことにより、文学への関心をより深めていきました。

ここでそうヘルダーと出会ったことから、文学やぜんにたいする目を開かれた。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

なお、本作:『若きウェルテルの悩み』は、大学卒業後のゲーテの体験が元となった作品です。

1771年にストラスブール大学をそつぎょうしてべん護士ごしとなり、翌年よくねんウェツラーの町でじつの見習いを始めたが、そこでの体験たいけんを書いた『わかきウェルテルのなやみ』はそのころおこった<シュトルム=ウント=ドランク>(疾風しっぷうとう)*とよばれる文学運動のだいひょうてきな作品とみなされた。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

革新:『シュトゥルム=ウント=ドラング(疾風怒濤)』

*シュトゥルム=ウント=ドラング:18世紀末にドイツで起こった文化運動のこと。形式ばった当時の社会に反発する形で、感情や個性に重きを置いた若い詩人たちが多数活躍した

はじめは激しい感情を表現するシュトゥルム=ウント=ドラング(疾風しっぷうとう)の作家として活動し、やがてワイマール公国の政治家となって社会の向上のために活躍した。

(『倫理用語集』103ページ ゲーテ より)

人物

政治家や弁護士としても活躍

繰り返しになりますが、ゲーテは弁護士や官僚としても活躍した経歴があります。

1775年、ザクセン=ワイマール公国こうこくに行き、やがてそう大臣だいじんのような地位ちいについて、10年あまりせいにたずさわった。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

情熱から調和への変遷

またこの時期から、ゲーテの人物像には変化が表れ始めたといいます。

そのことは作品へも反映されていきました。

この地で知り合っただんしゃくじんシャルロッテ=フォン=シュタインのえいきょうを受けて、じょう熱的ねつてきなゲーテもしだいに調和とせつあいするようになっていた。

創作そうさくはつづけられたが、この時期には、むしろぜん科学の研究に見るべきものが多い。

1786年、せいにつかれ、創作そうさくにもゆきづまったゲーテは、あこがれのイタリアへ旅立った。

イタリアの明るいぜんと調和のとれた古代じゅつにふれて、ゲーテは生まれかわったようになった。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

(前略)イタリアに旅行して調和と秩序ある古典美に触れ、古典主義*の作品を書く。

(『倫理用語集』103ページ ゲーテ より)

*古典主義:合理的秩序に基づく調和のとれた美術様式のこと

シラー*とともに典主てんしゅ黄金おうごん時代をきずきあげた。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

*シラー:ゲーテと並ぶ、ドイツを代表する詩人であり、劇作家

詩人:エッカーマンとの10年に渡る友情

ドイツの詩人:エッカーマンは、ゲーテと10年に渡る友人であったことが知られています。

エッカーマンはゲーテと文学や芸術、外国の文化などについて語り合い、後に発表した『ゲーテとの対話』には、その会話内容がまとめられています。

女性との恋と作品への反映

またゲーテは大学在学時におけるフリーデリケへの恋に始まり、自身の恋愛経験を作品に反映させることもありました。

(前略)そのころから少女フリーデリケにこいをし、『野ばら』や『五月の歌』などのすぐれた詩を生みだした。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

ゲーテの晩年ばんねんはいく人かの女性じょせいとのこいでいろどられ、それが創作そうさくのはずみとなって、『詩と真実しんじつ』『イタリアこう』などのけっ作が生まれた。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

思想:人間の使命

(前略)人間の中にも神が宿っており、人間はこの世界に芸術的・道徳的な理想を実現するべき使命をもっていると考えた。

(『倫理用語集』103ページ ゲーテ より)

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『若きウェルテルの悩み』の考察と解説

本作:『若きウェルテルの悩み』にまつわる考察です。

参考文献を元に考察しました。

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注:ここからの情報は自分独自の考察に過ぎません。

間違っていないとは言い切れませんので、あくまで一つの参考にして下さいませ。

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青年期の心理が反映されていた

結論からいうと、『本作では架空の世界に留まらない、現実世界における青年期のリアルな心理が反映されていた』ように自分は考察しました。

つまり本作で主人公のウェルテルが見せた情緒の不安定さ、危うさといったものは、何もウェルテルに特有のことではなく、現実世界における青年にも見られる心理描写だったのではないか…ということです。

また本作では恋愛の問題以外にも、職業選択や自立、職場での人間関係なども描かれていましたが、それらも見方によっては青年期のリアルを際立たせる側面になっていたようにも思います。

婚約者こんやくしゃのいるロッテをあいしてしまったウェルテルの苦しい恋愛れんあいを通して、こいのためだけではなく、社会ともあいいれないためにさつしてしまう青年の心理を綿密めんみつにえがいている。

(『学習人物事典』153ページ 若きウェルテルの悩み より)

もちろん本作は元々、作者であるゲーテの実体験に基づいた物語であるため、本作がリアルさを帯びていることは当然といえば当然だとは思いますが。

1771年にストラスブール大学をそつぎょうしてべん護士ごしとなり、翌年よくねんウェツラーの町でじつの見習いを始めたが、そこでの体験たいけんを書いた『わかきウェルテルのなやみ』はそのころおこった<シュトルム=ウント=ドランク>(疾風しっぷうとう)*とよばれる文学運動のだいひょうてきな作品とみなされた。

(『学習人物事典』153ページ ゲーテ より)

*シュトゥルム=ウント=ドラング:18世紀末にドイツで起こった文化運動のこと。形式ばった当時の社会に反発する形で、感情や個性に重きを置いた若い詩人たちが多数活躍した

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『ウェルテル効果』とは?」【本作が由来】

なお、本作:『若きウェルテルの悩み』は、『ウェルテル効果』の由来となった作品でもあります。

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『マスメディアの報道が影響して自殺が増加する現象のこと』

『ウェルテル効果』とは、『マスメディアの報道が影響して自殺が増加する現象のこと』です。

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『若きウェルテルの悩み』のあらすじを簡単に要約&考察と解説も【『ウェルテル効果』の由来】まとめ

本作:『若きウェルテルの悩み』では、一人の青年の葛藤、焦燥などが、克明に描かれていました。

そしてその心理描写は作品の世界に留まらず、現実世界の青年期の様子が反映されていた側面もあった気がします。

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参考文献

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