『雪の女王』あらすじ内容を簡単にご紹介【アンデルセン童話】

雪の女王

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童話:『雪の女王』のご紹介です。

あらすじは読み聞かせができるようにまとめています。参考にして下さいませ。

このページでわかること
  1. 『雪の女王』のあらすじ内容
  2. 参考文献

『雪の女王』のあらすじ内容【アンデルセン童話】

あらすじと作者紹介です。

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物語:少女ゲルダが少年カイを救う旅

ダイヤモンドダスト

むかしたちわるあくがいました。

そのあくは、あるかがみをつくります。

そのかがみは、いものやうつくしいものはちいさくみにくうつし、みにくいものはより一層いっそうみにくうつすというかがみでした。

ところが、あるときそのかがみが、てんからじょうへとちてしまいます。

かがみはたくさんのちいさな欠片かけらくだけ、かいじゅうってしまいました。

しかもその欠片かけら人間にんげんはいると、そのひとは、物事ものごとわるいところばかりがにつくようになり、心臓しんぞうはいると、ひとかたまりこおりのようになってしまうのでした。

 

あるおおきなまちに、カイというおとこと、ゲルダというおんながいました。

二人ふたりは、あにいもうとのようになかしでした。

あるなつ、そんな二人ふたり一緒いっしょほんていたとき、突然とつぜんカイがつぎのようにいました。

 

「あっ、いたい!むねなにさった!なかもゴロゴロする!」

 

その原因げんいんは、あのかがみ欠片かけらでした。

それらい、カイは意地いじわるをしたり、いやばかりをうようになります。

あるゆきふゆに、ひろへとったカイのもとに、おおきなしろいそりがやってました。

 

っていたのは、しろがわのコートをた『ゆき女王じょおう』です。

 

ゆき女王じょおうは、カイをぶんのそりにせると、そのまま空高そらたかってきました。

突然とつぜんカイがいなくなってしまったので、ゲルダはかなしくてつづけました。

まちひとたちは、「カイはかわおぼれたのだろう…」といました。

 

でも、ゲルダはカイがきているかもしれないとおもい、カイをさがたびます。

 

ゲルダは、ボートでかわくだり、ちゅうかわ沿いのいえにいたとしったおんなひとたすけられました。

カイのことをいてみましたが、なにらないようでした。

カラスに案内あんないしてもらったところにも、カイはいませんでした。

 

その、ゲルダはこわ山賊さんぞくつかまったとき、そこでなかくなった山賊さんぞくむすめにトナカイをしてもらいます。

ゲルダをせたトナカイは、ラップランド*を目指めざしてはしります。

そして、ゆき女王じょおうにわへとたどりきました。

ゲルダがしろはいっていくと、ゆき女王じょおう留守るすでした。

ですが、大広おおひろにはカイが一人ひとりでいました。

 

「カイ!なつかしいカイ!やっとつけたわ!!」

 

ゲルダは、カイのくびきつきます。

カイは、こおりついてすわっていましたが、ゲルダのあつなみだが、カイの心臓しんぞうさっていたこおりかたまりかしました。

ゲルダがなつかしいうたうたうと、カイがしたので、にあったかがみ欠片かけらもとれました。

 

「ゲルダ!ああ、だいきなゲルダ!!」

 

二人ふたりつないでしろて、なつかしいいえへとかえってました。

バラのはなにおう、うつくしいなつのことでした。

(おわり)

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用語ようご説明せつめい

*ラップランド:ノルウェー、フィンランド、スウェーデンのほくいき

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作者:ハンス・アンデルセン

作者:ハンス・アンデルセン(1805~1875年)

デンマーク出身の作家。

『マッチ売りの少女』や『人魚姫』、『裸の王様』などの名作童話を数多く世に残し、世界中にその名が知られています。

デンマーク第2の島:フューン島のオーデンセに、貧しい靴職人の子として生まれました。

15歳のとき、俳優になろうとして、わずかなお金をもって首都コペンハーゲンに出かけたが、うまくいかなかった。

そのため、その日のくらしにもこまるようになったが、さいわい、自分で書いた劇が王立劇場の経営委員だったコリンにみとめられ、コリンの援助でコペンハーゲン大学に入学することができた。

(『学習人物事典』28ページ より)

なお、アンデルセンが詩を書き始めたのもこの頃からで、後に旅行記を出版。

作家への第一歩を踏み出し始めました。

人物:本を読むことが大好き

父親は本やしばいが好きだったので、おさないハンスに本を読んで聞かせたり、人形しばいをつくって演じてみせたりした。

しかし、アンデルセンが11歳のときになくなってしまい、その後は、文字も読めなかった母親が洗たく女をしてくらしをささえた。

アンデルセンは小学校にもろくに行かなかったが、本を読むのは大好きで、父親のように人形しばいなどにも心をひかれた。

(『学習人物事典』28ページ より)

評価:故郷オーデンセの名誉市民

1835年、イタリア旅行の印象と体験をもとにして書いた『即興詩人』で名声をえた。

その少しあとに『子供のための童話集』(第一冊)を出版したときは、「おとなの作家が童話など書いて……」と悪口をいわれたが、やがて多くの人に読まれるようになり、<童話作家アンデルセン>の名は、世界じゅうに知られるようになった。

その後もアンデルセンは童話を書きつづけ、67歳までに160編ほどの童話が世に出された。

また童話以外の作品も書かれ、『絵のない絵本』や自伝『わが生涯の物語』はよく知られている。

1867年、アンデルセンは王室顧問官の称号を受け、オーデンセの名誉市民におされた。

(『学習人物事典』28、29ページ より)

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『雪の女王』あらすじ内容【アンデルセン童話】まとめ

『雪の女王』はタイトルに反して、雪の女王自体が登場する場面はとても少ないです。最後に対決することなどもありません。

とはいえ、その世界観は現在までに、世界中で多くの支持を受けています。

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参考文献

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